チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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サンドマメ

2011年05月30日 | チエの玉手箱
「うまいなあ!甘みがあるよ。」夕食に出したさやえんどうのお浸しを食べながら、ヒロシが言う。
「でしょ!採れたては、スーパーなんかのと全然違うのよ。」

昨日、実家の母から遠慮がちな電話が掛かってきた。
「今年も、サンドマメがでぎだんだげど、食べっかい?
 今年は、うっかり畑の物をくれらんにがらなあ。
 お寺の若奥さんは、
『おばあちゃん、畑の野菜は絶対食べない方がいいですよ。放射能があるからね』
 って言うがら、『はい、はい、分かりましたよ』って相槌うってっけんちょも、
 なあに、うちでは勿体ないから、かまわず食べてるのさ。
 向がいのみっちゃん家では、孫の嫁さまが『絶対に食べない』って言うもんだがら、
 カブレナもサンドマメも全部引っこ抜いちまったんだと。
 気にする人は、気にすっから、下手にくれらんに。
 まったぐ、原発には困ったもんだ。
 いづになったら、放射能がなぐなるんだべ・・・」

「そうだね。小さい子どもがいる家は気を使ってるだろうけど、
 うちは全然気にしてないから、もちろんもらうよ。」

そう言ってもらったものの、このさやえんどうにはどれくらいの放射性物質が含まれているのだろうと、筋を取りながら考える。
考えたって、わからない。
放射性物質を含んだ食べ物をどれくらい食べたら人体に影響が出るのか、偉い学者だって、データがないから本当のところは分からないのだ。

こんなに美味しいのにね。

国会では・・・

2011年05月24日 | 大地震
菅首相、注水中断への政権の関与否定 復興特別委で答弁(朝日新聞) - goo ニュース

どうしたら原発事故を一刻も早く収束できるのか、復旧・復興をどう進めるのか、経済をどうやって立て直すのか、エネルギー政策はどうするのか、今後のことを日本のビジョンを議論してほしい。
今は、起こってしまったことをどうこう言ってる場合じゃないと思う。
私たちは、この2か月半ずっとそう望んでいた。
なぜ私たちの想いは、願いは、伝わらないんだろう?
こんな人たちしか選べなかった自分がなさけない。

応援ありがとう

2011年05月16日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

昨日、仮設住宅を見に行った時、パトカー数台と遭遇!
なんと、長崎県警です。
遠方よりの応援、本当に感謝します。
別に見かけた警察車両は、神戸ナンバーでした。
この2つに思い当たることが、ありました。

長崎は、雲仙普賢岳の噴火。
神戸は、阪神淡路大震災。

たぶん、福島県警、応援に行ってたんですね。
県警同士の貸し借りってあるらしいです。

でも、やっぱり有難いです。
福島県民として、お礼を申し上げます。
ありがとうございます。

仮設住宅建設中

2011年05月15日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

先週、基礎工事が始まった仮設住宅はたちまちのうちに設置されました。
現在は、内装工事と浄化槽などの設置工事を行っているようです。
一部屋ごとにエアコンも装備されてるみたいです。
福島の夏は暑いから。
浜通りの人たち、大丈夫かな?

あの日から2か月

2011年05月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日14時46分三陸沖を震源とする大地震が発生したあの日から、2か月が経った。

地震の規模は小さくなっているが、今でも毎日余震が続く。
今朝は携帯の緊急地震速報メールで起こされた。
今日は、午後から雨になった。
この雨には、放射性物質がたくさん含まれているのだろうと思った。

暑くなってきたせいなのか、花粉症の季節が終わったせいなのか、それとも放射能に鈍感になってきたせいなのかマスクをしている人がめっきり少なくなった。
4月中旬から、スーパーの営業時間が夜9時までに伸びた。
震災前は、夜10時までだったが、9時で十分だと思う。
たけのこが出荷停止になったというが、ヒロシの実家からもらったので、煮物とたけのこご飯にした。
昨日10日は、20㎞圏内の川内村が一時帰宅を実施。やっと実現。
おそい。遅すぎる。
残されたペット達も、どうにかならないのだろうか。
彼らには何の罪もない。

私自身は、先の1か月は興奮状態であったけれど、5月に入り、GWで休み過ぎたせいもあり、なんだか気の抜けた状態だ。



母の日~2011~

2011年05月10日 | チエの玉手箱
5月8日(日)。今年も、母の日に花を贈ることができた。
姑も、実家の母も80歳を過ぎて健在である。ありがたいと思う。

実家を訪問すると、母が買い物に連れて行ってほしいというので、連れだって出かけた。
母は、腰が曲がり、歩くのがつらいからだ。
駐車場へと向かう坂道を下りながら、母は唐突に話し出す。

「わたしは、もう何にも思い残すことはなくなったよ。
 80歳まで生きたんだもの。
 母親よりも、父ちゃんよりも、2人のあんちゃんよりも長く生きた。
 2~3年前までは、お父さん(チエちゃんのお父さんのこと)を残して、
 先に逝ったらと思うと心配だったけど、今はもうそんなことも思わなくなったよ。
 残った人は、残った人でやっていくものさ。
 だから、もうなんにも思う残すことはないんだ。」

「・・・・・」

父親と2人の兄をガンで亡くした母は、自分もガンになると思い込んでいる。
何か身体の変調がある度に、医師の診察も受けないうちから、今度こそ絶対にガンだからと身辺整理を始める。
タンスには下着・靴下・夏物・冬物などの貼紙がしてあるし、押し入れには毛布・布団・夏掛けなど、台所にもお葬式などの行事用の食器がどこに入っているかなどが貼り付けてある。
そして、必ず言うのだ。
お父さんをひとり残して逝くのが心配だと。
炊事はできないだろうし、掃除や洗濯だってひどいものだろう。
男やもめに蛆がわくというけれど、きっとゴミ屋敷になるにちがいない。
近所付き合いだって、上手くできるだろうか。

そんな母を、父は「また母ちゃんの病気が始まった」とあきれた顔をして見ている。。


「どうしたの? 急に、そんなこと言って。」

「ん? だから、もう何の心配もなくなったんだよ。」


年を取るということは、そんなものなのかなと思った。
いや、きっとまた、取り越し苦労をしているのだろう。

けれども、近い将来、私は母との別れに向き合わなければならいのだとも思った。

仮設住宅着工

2011年05月05日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

我が家からほど近い場所に、仮設住宅が建てられることになったようです。
たしかに、ここは広い空地でした。
息子たちが子供の頃は、ここでソフトボールの練習をやったこともあります。
4月中旬頃、資材が運び込まれていることは知っていました。
まさか、ここに建設されるとは・・・



GW返上で、基礎工事が始まっています。




ブルーシートに覆われた仮設住宅です。こんなのがたくさんあります。
200棟できるとの噂です。




ブルーシートの中はどうなっているだろう?
好奇心の塊の私は、こっそりのぞいてみました。
ある程度、出来上がっているんですね。
でも、狭いの。ほんとに仮設、間に合わせの住まいなんですね。
(ガラス越しに撮影したので、カメラと私が映り込んでます。)

耕す

2011年05月04日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

近くの田んぼでは、農家の方が作業を始めました。
いつもの年より、少し遅いかもしれません。
こうして耕し始めたからには、作付の制限はないのでしょう。

でも・・・、
果たして、収穫された米は食べられるのだろうか?
放射性物質の基準値を下回っていたとしても、福島県産の米は売れるのだろうか?

政府の決めた年間被ばく量20mSvを疑問視する専門家もいる。
心配だ。

睡眠不足

2011年05月03日 | 
福島県福島市在住@チエちゃんです

ここのところ、睡眠不足が続いている。
原因は、余震の恐怖でもなければ、原発事故の恐怖でもない。
犯人は、コイツだ。



ヒロシの飼い猫ボブ♂である。
毎朝5時になると、私の枕元へやって来ては、髪を触ったり、顔に鼻先を近づけフンフンとやったり、仕舞には冷たい肉球の前足を私の顔にピタッとつける。
しかし、不思議なことに決して爪を立てることはしない。
起きろというのだ。

もう、休みの日くらいゆっくり寝かせてよ。

私が目を覚まし、彼の頭をなでるとうれしそうに、頭を摺り寄せグルグルとのどを鳴らす。

冬の間は、ヒロシが標的であった。
或る時、あまりしつこいので、彼を投げ捨てたのだという。
それ以来、標的は私になった。

しかたなく私が起き出すと、彼はそのまま私の布団に丸まったり、階下に来てもコタツや猫ベッドで寝てしまう。
一体なんなのだ。

けれども、私は多少寝不足になろうとも、猫と暮らせる幸せをかみしめている。

ソースかつ重

2011年05月02日 | チエの玉手箱
福島県福島市在住@チエちゃんです

今日は、午後から二男宅を訪問。
何のことはない、お掃除おばさんなのですが・・・
二男は、2月に転勤になり現在は会津若松市に住んでいます。

会津若松の名物といえば、ソースかつ丼。
アパートの近くの食堂で、食べましたよ。
ここのお店は、かつ重でした。うまい!
これから、若松の食べ歩きができるかも!?

食べながら、震災のこととか仕事のことを話しました。
3月と4月は、被災した店舗の片付け応援にかり出されたようで、浜通りは瓦礫ばかりで何にもなかったと言っていました。
口ごもっていたので、あまり話したくない様子でした。
疲れてたのかな。

こちらは、高速道路から望む磐梯山です。
これから高速道路を利用される方、東北自動車道路は所々路肩が凸凹になっている箇所がありますので、走行には十分注意してくださいね。