チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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強い錦織圭が戻ってきた!

2024年09月29日 | チエの玉手箱
有明テニスの森で開催中のATPジャパンオープンテニスに6年ぶりに出場した錦織圭選手。
昨日の2回戦は世界ランキング29位のトンプソン選手に快勝。
強かった!まさか、あそこまで出来るとは思っていませんでした。
今日は最後に勝ちきれなかったけど、世界ランキング14位のルーネ選手と五分の勝負してました。
6月頃と比べたら、かなり以前のレベルに戻ってきています。
これなら、トップ20も目指せるんじゃないかと思います。
がんばれ! Kei Nishikori!

今、気付いたけど、これって「推し活」⁉
「推し」に元気もらってます。
 
明日はもう一人の「推し」藤井君の王座戦第三局。楽しみだぁ~😍 


ATMで振り込みができない!

2024年09月25日 | チエの玉手箱
お葬式は一大イベント。簡略化されたとはいえ、やっぱり、疲れました。
昨夜はめまいがしてフラフラになったので、早くに休みました。
7年前(父の葬儀の時)より確実に年を取ったと感じています。
今後も、やらなければならないことがいっぱいあります。
23日は、二七日(ふたなのか)なのでお彼岸ということもあり、墓参り。
24日は、市役所へ手続きに行くための保険証などの書類と、葬儀社への支払いについて弟と確認。
そして、本日25日はケアハウスの利用料金を振り込みに銀行へ。
毎月の介護施設の利用料は母の口座から引き落とされていました。
(お金の面でも、息子・娘に負担を掛けたくないと両親はしっかり貯金していてくれた。ほんとに有難いことです。)
口座が凍結されてしまったので、振り込まなければなりません。
窓口で振り込むより、ATMで振り込んだ方が手数料安いよね!
ということで、やってみたら・・・

お振込金額が一日あたりの振込限度額を超えています

え、えっ~!そんなぁ~😭  50万円までは振り込めるはずだよね。
何度やっても同じなので、窓口へ行ってみる。すると、

65歳以上かつ過去3年以内に当行キャッシュカードや通帳によるATMでの振替振込利用がないお客さまにATMでの振込利用を制限しております

なるほど、そういうことか。
確か、振り込め詐欺被害防止のためにこんな風になったって聞いたことがあったわ。
こんな時、シニアになったんだって実感しますね。😅 
振り込み限度額を変更してもらい、ATMで振り込むことが出来ました。

今回は私が仕事を持っていないこと(つまり平日に出来る)が一番の強み。
後処理を一つ一つ、ゆっくり確実にやっていきたいと思います。

コロナ後の葬儀事情

2024年09月22日 | チエの玉手箱
前の記事では母の葬儀を終えて、私の心情的なことを書きました。
今回はお葬式のリアルについての下世話なお話。

母の葬儀を終えて思ったことは、お葬式って、こんなに簡単(ラク)だっけ?
父の時はもっと大変で、やることがたくさんあったような・・・

もちろん、父の葬儀の経験があったからこそ、次はどうなると分かっていたので心のゆとりがあったこともあり、家族葬としたことでお葬式自体が小規模化、弔問客が少なかったことが挙げられる。

7年前の父の葬儀の時は一般葬だった。
父の場合、病院で亡くなって夜の遅い時刻に自宅へ戻ったので、翌日朝から隣近所の方々がお線香を上げに来てくれた。
その対応をしていると、お寺さんが枕経に来てくださる。
そちらの対応もしていると、隣組の男衆が集まってくる。
枕経が終わると、お寺さん、喪主、隣組の人々でお葬式の日程と受付・会計・墓掘りなど係を決めるのである。
弟と私は葬儀委員長を立てないで行いたかったが、母がこれまで通りを望んだので葬儀委員長をお願いすることになった。
で、委員長が決まるまでにすったもんだがある。(その間、遺族は黙って見ているしかない)
やっとのことで委員長が決まると、係を決めるのは彼の手に委ねられることになる。
そのうち、お昼になるからと私と父の従妹たちで昼餉の準備をするのだが、生臭(肉・魚)は使えないからと献立に悩む。
一事が万事、この調子だったから、やっぱり、大変だったのだ。

今回の母の場合は、家族葬なので、形式だけの葬儀委員長は立てない。
(葬儀委員長をたてると、葬儀後お礼に行く手間がある)
お寺さんと葬儀社の担当者、弟と私で、日程・係がスイスイと決まった。
もちろん昼餉は出さない。
遺体も自宅に帰らなかったので、お線香を上げに来てくださる方もほぼいなかった。


7年前も家族葬が流行り始めていたけれど、田舎のことだからまだ「家族葬って、お葬式に行っていいの?」「親族以外はダメなんじゃないの?」状態。
お葬式をやる側も弔問する側も???だったと思う。
それが新型コロナの流行で、お葬式はなるべく少人数で行い、通夜振舞いや精進落としの食事会ができなかった。
しかし、これがやってみたら、煩わしい諸々が簡略化されて良かったのだ。
新型コロナが5類になって緩和されたとはいえ、おそらく今後このスタイルが主流となっていくのではないだろうか。


そして、今回最も驚いたのは、お寺さんから戒名料を提示されたことだ。
以前は「お布施は如何程?」と聞いても、「それはお気持ちでよいですよ」と金額を示すことはなかったのに・・・
いやはや、この物価高でお寺さんでも「この金額をいただかなければ、やってられませんよ」ということなのだろうと思った。
弟は工面できたが、支払えない場合は交渉となるのだろうか?
『地獄の沙汰も金次第』という言葉が浮かんできた。


母の葬儀を終えて

2024年09月18日 | 介護
私にとって母の死は、父よりも、夫よりも、誰よりも一番堪えるだろうと思っていたけれど、今は肩の荷が下りたような、大仕事を終えたようなそんな気持ちになっている。
ただ、とうとうひとりぼっちになってしまったとも思う。
もちろん、血縁は息子たちや弟がまだいるわけだけれど、頼れる人が居なくなってしまったという気持ちが強い。

葬儀の翌日、母がお世話になっていたケアハウスに退所の手続きと荷物を受け取りに行った。
こんなに有ったのかと驚くほどの荷物だった。
施設ではすぐに運び出せるよう、100均の大きなビニールバッグ8個に詰めていてくれた。
それから、衣料用キャビネット(ここにも下着類がいっぱい入っている)、衣装ケース、テレビとテレビ台。
ポータブルトイレは施設が引き取ってくれた。

今日は、私が持ち帰ったその一部を開けてみた。
その中から、私が母へ宛てた手紙の束と私が手作りしてプレゼントした巾着が出てきた。
2020年10月17日から脳梗塞になるまで2年半の間に書いた74通の手紙を母は大事に取って置いてくれた。
巾着はかなり汚れているので使っていた証拠だ。
その巾着に手紙を入れて、時々取り出しては繰り返し何度も読み返していたとスタッフさんが教えてくれた。
本当の本音のところでは最期まで家族と一緒に実家で過ごしたかったに違いないが、それでは息子・娘に負担を掛けると思い、自ら施設に入居すると決めてくれた。
施設に入ってからも、家に帰りたいとは一度も口にしなかった。
コロナ禍で、そんな母にしてあげられることは手紙を書くことくらいだった。

施設に入る前、自宅に引き取り1年間一緒に過ごしたことと、手紙を書いたこと、この2つがせめてもの親孝行だったように思う。

母親というのは、誰にとっても特別な人。感謝しかない。
だから、私も子供たちのために出来る限り、生きようと思う。

母 永眠

2024年09月15日 | 介護
2024年9月10日 7時20分 母が永眠しました。

8日に救急搬送され入院した母は、医師の診立てではあと一週間くらいとのことだったので、少し猶予期間があると私たちは思っていた。
ところが、10日朝6時20分頃、母の呼吸が止まり、もうすぐ心臓も停止すると病院から連絡が入る。
弟に連絡し、急いで病院へ駆けつける。
父の時は母・弟・私の家族3人で最期を見守ることができたが、母の場合は間に合わなかった。それも致し方なしと思う。

実家は母が住まなくなって5年。北側の部屋の床は抜け落ち、台所の床もベコべコしている。
とても遺体を安置できる状態ではないので、葬儀社に安置してもらうことにする。
母も生前、それでよいと言っていた。
それに、葬儀は家族葬で小規模にと以前から決めていた。

それから、お寺さんに連絡を入れると、なんと同じ時期に3人が亡くなり、母は3番目。
葬儀の日程はこちらの心積もりより、大きく遅れることになった。
この暑さで一週間も遺体を安置しておくのはどうなのか。
経費の面でも、遺体管理料、ドライアイス代がかかる。
葬儀社の提案で、先に火葬を済ませてしまうことに決める。
そうなれば、通夜の前まで遺骨は自宅(今回は弟宅)へ帰ることになる。
なるべく部屋(会場)を空けておきたいという葬儀社のビジネスライクな部分も垣間見えた。

そんなことで、12日火葬、15日通夜、16日葬儀となった。

救急搬送の理由

2024年09月09日 | 介護
昨日の記事で母が救急搬送されたことを書きました。
それには理由(わけ)があります。

一般的にケアハウスとは自立している方を対象としている施設ですが、母が入居しているケアハウスは介護型で要介護5などのレベルになっても退去しなくてもよい有難い施設です。
しかし、母が入居しているケアハウスは『看取り』をしていないのです。
それは契約書に明記されています。
契約時は何とも思わなかったのですが、母が寝たきりになって最期を迎えようとしている今、病院に移ることなどなく静かにその時を迎えさせてあげたいというのが本音です。
それで、母が脳梗塞になってから、『なぜ看取りが出来ないのか』スタッフさんに尋ねてみたのです。
すると、こんな答えが返ってきました。

私たちスタッフも、今まで介護させていただいたわけですから、最期を看取って差し上げたいと望んでいます。
でも、この施設に来てくださるお医者さんがいないのです。
ここは、福島市からも時間がかかりますし、夜間に来てくださるお医者さんを見つけることが出来ていないのです。
それで、たいへん残念なのですが、現在のところ看取りが出来ないのです。

ああ、そういうことだったのか!
24時間体制で、臨終に来てくれる医師がいないのか。
チエちゃんの村に医療機関はありません。
もう何年も前に、たった一つの医院が医師の高齢化で閉院となってしまったのです。

いろいろな介護施設が存在していますが、それぞれに問題を抱えているのだなと思いました。





母、救急搬送される

2024年09月08日 | 介護
午前11時頃、母が入居しているケアハウスから電話が掛かってきました。

お母様にお声掛けしても反応がありません。
それから、サチュレーション(酸素血中濃度)が下がっていて70くらい(正常値は94%~99%)です。
酸素吸入をして様子を見ますが、改善されない場合は病院に搬送することになります。

それから1時間もしないうちに再度電話があり、状態が良くならないので救急搬送するとのこと。
私も、洗濯物を取り込んだり、猫たちにご飯をあげたりして、病院へ駆けつけました。
母に付き添ってきたケアハウスの看護師さんと処置室の前で待っていると、やがて部屋に入るようにとの案内。
対面した母は、8月21日に面会した時の顔と明らかに違っていました。
薄く開かれた目はどこも見ていない。酸素吸入マスクを付けた口は開いたまま。
声を掛けても、何の反応もありません。

医師の説明は、かなり体調が悪化していますから入院していただきますが、ご高齢でもありますので、積極的な治療は行わないということでよろしいですか?
つまり、老衰だからこのまま見守りましょう ということです。

ああ、やっとお迎えが来てくれたらしいよ。
昨年の春に脳梗塞を発症、今年1月にも新たな脳梗塞が見つかって、嫌がっていた鼻から管を入れて栄養を摂るようになって7か月。
七夕の短冊に願い事を書いたからかしらね。



電卓買い替え

2024年09月05日 | チエの玉手箱
電卓の2と3と6の数字ボタンが戻ってこなくて、次の数字が打てません。
これは中のゴムかスポンジが摩耗したってことですね。
結構な年数使ったので廃棄することにして、新しく買い求めました。
(写真が新しい電子式卓上計算機←電卓ってなんの略だっけ⁉ということで^^;)
家計簿を付けている私にとって電卓は必須アイテム。
そして、ボタンが小さなものはダメです。大きくて操作がしやすいものがベター。
古い電卓の色はグレーでしたが、新しいのは白なのでボタンが見やすいと思い選びました。
要するにシニア仕様です。😓 

家計簿は一度パソコンでやってみようとしたのですが、目が疲れるので止めました。
やっぱりアナログがいいんだわ。
本日のネタはこれだけなんですけどね。😅 


↓ つぼみ菜が芽を出しました。(昨日撮影)


『芽が出る』っていうけど、今回、よ~く観察してたら、最初に出てくるのは『根』なんだよね。それが土の中に潜った後にむっくり起き上がって双葉が出てくるのよ。不思議だけれど、よくできてると思う。😄 


つぼみ菜の種を蒔く

2024年09月01日 | チエの玉手箱
私はいつもグズグズしていて種まき時期が遅れるので、今年はつぼみ菜の種を早く蒔きました。(といっても、すでに遅いかも?)
袋には8月下旬からとあるので、まあまあかな?
一昨年の種は青色だったのに、今回はそのままの黒でした。↓ わかるかなぁ


早く蒔くのには訳があります。
つぼみ菜は来春収穫するのですが、今年の秋のうちに大きく成長させておかないと春になってトウが立った時、太い茎にならないのです。
最初に収穫する時の太い茎立ち菜がうまいんです。
花壇にはまだししとうとピーマンがあるので、今日はプランターに蒔きました。
早く芽を出してくれよ~