チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第84話 学校の怪談

2007年06月28日 | チエちゃん
 ずいぶん前に、トイレの花子さんや動く二ノ宮金次郎像などの学校の怪談物がブームになりました。
こういった話は学校には付物らしく、チエちゃんの通う小学校にも、まことしやかな怪談話が伝わっておりました。

 村立小学校は、明治年間築の木造校舎でボロボロでしたが、床だけはピカピカに磨き上げられておりました。
そして、玄関脇の国旗掲揚塔のそばには、薪を背負った二宮金次郎さんが居りましたし、薄暗い理科室には、臓器が取り外しできる人体模型、保存ビンに入ったカエルやフナのホルマリン漬けもあったのです。
トイレといえば、水洗であろうはずもなく、ドアは立て付けが悪く、開閉するたびにギィーーと不気味な音をたてていたのでした。

 その怪談話というのは、こうです。

 校舎の一番西端にポツンと建てられた音楽室で、誰もいないというのに、夜中になると女の人のか細い歌声が聞こえてくるというのです。
宿直に当たった先生方が何度か耳にしているということが話に信憑性を持たせていました。
実は、音楽室の建てられている場所というのが、その昔、墓場だったというのです。


 その日、チエちゃんは先生のお手伝いをしていて、帰りが遅くなりました。ランドセルを背負って帰ろうとした時、音楽室に縦笛を忘れたことを思い出したのです。今日習った曲をおうちで練習してくるという宿題が出ていたからです。
 一瞬、「いやだな」という思いが過ぎりましたが、夕闇が迫る中を急いで音楽室へと向かいました。
窓際の後ろから2番目の席。
あった。
縦笛を手にしたチエちゃんが、戻ろうとしたその時です。

 ガタッ・・・・・

チエちゃんの身体がビクッと反応しました。
まさか、あんな話ただの作り話、それにまだ明るい。
それでも、あわてて音楽室を飛び出しました。

すると、そこに居たものは・・・・・

 にゃあ

かすれた声の三毛猫でした。
猫は用務員のおじさんが飼っているよぼよぼの年寄り猫です。
いつもは用務員室のある校舎東側の渡り廊下のあたりで日向ぼっこをしています。
どんなに突こうが一向に動こうとしない年寄り猫です。

なあんだ、ネコか。
ホッとしたチエちゃんは昇降口へ向かい、廊下の角を曲がる所で、何気なく猫へ目を向けました。
その時、老猫がチエちゃんに向かいウィンクをしたように思えたのでした。


   


 

第83話 あめふり

2007年06月25日 | チエちゃん
 あめあめ ふれふれ かあさんが
  じゃのめで おむかい うれしいな
  ピッチピッチ チャップチャップ
  ランランラン
      かけましょ かばんを かあさんの
      あとから ゆこゆこ かねがなる 
      ピッチピッチ チャップチャップ
      ランランラン
  あらあら あのこは ずぶぬれだ
  やなぎの ねかたで ないている
  ピッチピッチ チャップチャップ
  ランランラン
      かあさん ぼくのを かしましょか
      きみきみ このかさ さしたまえ
      ピッチピッチ チャップチャップ
      ランランラン
  ぼくなら いいんだ かあさんの
  おおきな じゃのめに はいってく
  ピッチピッチ チャップチャップ
  ランランラン 

 洗濯物の心配も農作業の心配も関係のないチエちゃんは、雨の日がすきでした。
赤い長靴、赤い傘のチエちゃんは、学校の帰り道、舗装されていない田舎道のあちこちにできた水たまりに、わざと入ってはじゃぼじゃぼとかき混ぜます。
時折、走ってくる車に、泥水を掛けられぬよう、傘でブロック。
蜘蛛の巣に付いた雨粒をチョンと突けば、バラバラと落ちる。
ピッチ ピッチ、チャップ チャップ、ラン ラン ランだ。

雨の日曜日には、
ツートン、ツツートン、ツートン、ツートン、ツツートン・・・・・・
電線を伝う雨粒をぼんやりと眺める、夢見る少女でした。
 とはいうものの、雨はたまに降るからよいのであって、3日も続けば、お日様が恋しいチエちゃんなのでした。






 

第82話 も ろ

2007年06月22日 | チエちゃん
 チエちゃん家には、桑の葉を保存しておくための室(むろ)がありました。
裏山の斜面に掘った横穴で、間口1.5m、奥行き4~5mはあったように思います。大人は少しかがんで中に入りましたが、子どものチエちゃんはゆうに立つことができました。
中の温度が一定のため、夏は涼しく、冬は暖かでしたから、冷蔵庫のない時代、野菜の保存やビール・ジュースを冷やすことにも利用していました。
また、おばあちゃんは真夏の暑い日には、ここに茣蓙を敷き、涼むこともありました。
入り口には、板戸が蝶番で取り付けてあり、外から施錠できるようにもなっておりました。

 この室のことをチエちゃんの家では「もろ」と呼んでいたのです。

「もろ」は、チエちゃんたち子どもにとって、時折、恐ろしい場所にも変身したのです。

 チエちゃんとたかひろ君がケンカして、いつまでも揉めていると、とうとう大人が仲裁に入ります。ケンカ両成敗で、お互いに謝るように諭されます。

 すると、弟のたかひろ君は自分に非があっても無くても、すぐに「ごめんなさい」をします。
ところが、強情っぱりのチエちゃんは、自分に非が無いと思う時には「ごめんなさい」を言うのは絶対に嫌なのです。
そして、いつまでも黙ったままでいると、その態度が悪いということで、お仕置きが決定するのでした。
こうなると、どんなに泣いてわめこうが、聞き届けられず、「もろ」に閉じ込められてしまうのでした。

 普段は平気でジュースを取りに中に入っているのに、こんな時の「もろ」は、パタンと板戸がしまった途端にやって来る闇がとても恐ろしく、奥の真っ暗闇の中にはとんでもない魔物が潜んでいるように思えたものです。
「もろ」の住人のベンジョコオロギがぴょんと跳ねようものなら、魔物に襲われたと、ますます泣き叫ぶことになるのでした。

 一時の興奮も収まり、鼻水をすすりながら、ヒック、ヒックしている頃、ようやく「もろ」の扉が開き、解放されるチエちゃんなのでした。

 こうして、チエちゃんは、世の中を渡っていくためには理不尽なことでも、妥協しなければならないこともあると学んだのです。(ぜ~んぜん、反省していないや!)

 また、弟は弟で、謝らない姉ちゃんは、いつもお仕置きをくらっているから、ここは何にしても、とりあえず謝っておいた方が得策であると学んでいるのでした。

 

第81話 まめだんご

2007年06月19日 | チエちゃん
 蚕を飼っている期間には、桑の葉を摘む農作業があります。
作業をするお父さんとお母さんについて、チエちゃんも桑畑へと出かけることがありました。

 一応はお手伝いが目的ですが、桑の葉摘みにはすぐに飽きてしまい、黒紫色に熟した桑の実をさがして頬張ることになります。

 しばらくして、チエちゃんはおもしろい物を見つけました。
山を切り崩して開墾した桑畑の山側斜面は、切り立った砂地でした。
そこに、すり鉢状の窪みがいくつも出来ています。

アリジゴクです。

チエちゃんは蟻を捕まえて、砂のすり鉢の中に落としてみます。
必死に這い上がろうとする蟻が、空しくすり鉢の底に転げ落ちたその時、突然ハサミが現れ、一瞬のうちに砂の中へ引きずり込まれてしまいました。
子どもの頃には、残酷とも思わず、こんな遊びをしていたのでした。


 また、この砂地の斜面にはもうひとつのお楽しみがありました。

それは、「まめだんご」です。(注)

 まめだんごは、ちょうど、梅雨のこの時期に採れる不思議なきのこです。
正しくは「ツチグリ」と言うそうですが、10~20cmぐらい土を掘っていくと、中に直径1~3cmのまん丸とした芋状のきのこがたくさん採れたものです。
梅雨の晴れ間の暑い日差しの中、お父さんとお母さんが桑摘みをしている間、このまめだんごを掘る事がチエちゃんの遊び兼仕事でした。
チエちゃんの家では味噌汁の実として食べていましたが、コリコリとした食感が大好きでした。

 この「ツチグリ」は、秋になると、ヘタ付きの黒い柿の実のような姿を地上に現し、人や動物が誤って踏むとブホッと胞子をまき散らすのです。
これが有る所で、まめだんごが採れるというわけです。

注:まめだんごの画像をお気に入り -美味しいプレミアムビール(ベルギービール、ドイツビール、地ビール等)、野生きのこ、山菜 」さんで見つけましたのでリンクさせていただきました。

第80話 かいごさま(その2)

2007年06月16日 | チエちゃん
 孵化したばかりの蚕は黒い毛虫ですが、1週間もすると、1回目の脱皮をします。
この時、蚕は丸1日近く、桑を食べず、微動だにせず、じっとしている状態を保つことから、「眠る」と表現されます。

 脱皮を終え、二令目になると、白い芋虫になります。
蚕は4回脱皮を繰り返して、成長していきます。
最初は1枚のわらだの中で飼い始めますが、成長するにつれ、蚕を分けて、数枚のわらだで飼うことになります。

 蚕に桑を与えることを蚕の上に桑の葉をのせることから、「桑を掛ける」と言います。
1日に4回ほど、桑掛けを行なったと記憶しています。
お母さんとおばあちゃんが桑掛けをする時、チエちゃんもお手伝いをしたものです。
葉っぱを掛けると、蚕はすぐに食べ始めます。
掛け終わった後、何千頭もの蚕が一斉に桑を食む音が、サワサワ、サワサワ、・・・・
と響いていたことが懐かしく思い出されます。

 チエちゃんの村には、養蚕にまつわるこんな伝承が残っています。

 むかし、むかし、都のさる高貴なお姫様がこの地を訪れ、養蚕を伝えたと言うものです。
村には、姫の父親にちなんだ地名が残っており、サラシ川の由来も織り上げた布を晒した事から名付けられたとされています。

 チエちゃんは、この伝承は日本全国にあるヤマトタケル伝説のようなものであると考えていましたが、大人になったある日、紐解いた歴史書の中に彼女の名前を見つけました。

 万葉の昔、姫は天皇の妃でした。
ところが、天皇は、天皇の外戚となり権勢を欲しいままにしていた渡来系豪族と対立し、暗殺されてしまったのです。裏の事情を知る姫にも、生命の危険が迫りました。厩戸皇子の手引きで、都を脱出した姫は父親とともに、都の勢力の及ばない蛮夷のこの地に逃れてきたのでした。何不自由のない貴族の暮らしをしていた彼女が、追手に怯えながら、何百里も離れたこの地をどのような感慨を持って訪れたものか、彼女の伝承は史実だったのです。

チエちゃんは、急に歴史が身近に感じられたのでした。

不定期につづく

第79話 門前の小僧

2007年06月13日 | チエちゃん
 チエちゃん家では、おばあちゃんがチエちゃんの子守り役なら、おじいちゃんは弟たかひろ君の子守り役でした。

 おじいちゃんは、乳母車(この乳母車がまた、時代劇「子連れ狼」の大五郎が乗っている物とそっくりだった)にたかひろ君を乗せ、子守り兼散歩に出かけたものです。

 散歩コースは、公民館や熊ん様、薬師堂など、いろいろあったのですが、毎日欠かさず通っていた所は、不動様です。

 チエちゃん家から村道を50m程上った右手に、サラシ川に架かる橋がありました。
橋を渡って、右に行けば火事にあったお向かいのたげおやんの家に着き、左に折れて更に30m程上って行けば、そのお不動様がありました。
辺りは、どのような僧が修行したものか苔むした磨崖仏と鬱蒼とした杉木立に囲まれ、夏でもひんやりとした精霊の宿る場所でありました。

 おじいちゃんは不動様に着くと、お賽銭をあげ、合掌して唱えます。

 のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そはたや うんたらた かんまん

 ある時、お母さんがたかひろ君を連れて外出した時のこと、道端の道祖神に向かい、おもむろにしゃがみこんだたかひろ君が手を合わせて唱え始めたのです。

 のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そはたや うんたらた かんまん

 お母さんはびっくりしました。
これが本当の「門前の小僧習わぬ経を読む」であると、帰宅してから家族中に報告したのでした。

 このあと、たかひろ君はしばらくの間、道祖神やお地蔵様らしきものを見かける度、しゃがみこんでは唱えたということです。



第78話 チエちゃん、入院す!

2007年06月10日 | チエちゃん
 その日、チエちゃんは朝から、少しお腹が痛かったのです。
いつもならお便所に行けば、すぐによくなるのに、その日はいつもと違っていました。
 お昼近くなっても痛みが続くので、チエちゃんはおばあちゃんに訴えました。
そこで、正露丸を1粒飲んで様子を見ることになりました。

 けれども、午後になってもお腹の痛みはますます強くなるばかりです。
うずくまって痛みに耐えるチエちゃんを見たおばあちゃんは、心配そうに

 そんなに痛゛いんなら、お医者さんに診でもらわねっかなんねなあ

と言います。
 でも、それだけは絶対に嫌です。チエちゃんは首を横に振り、イヤイヤをしました。
注射器を持った怖いお医者さんの顔が頭を過ぎります。
こうして問答を幾度か繰り返し、とうとう1晩を過ごしたのです。

 翌朝になっても、一向に引く気配を見せないお腹の痛みに、チエちゃんは幼いながらも、ただ事ではないと感じ、しぶしぶお医者さんに行くことを承知したのでした。

 石崎医院は、チエちゃん家の掛かりつけのお医者さんで、絵のぼりの家のわき道を少し入った所にありました。おじいちゃん先生でしたが、腕は確かだと評判の医師でした。

 お医者さんは診察台のチエちゃんのお腹をあちこち押した後、

 フム、・・・・・・・・

看護婦さんに指示を出しました。チエちゃんは何をされるのか不安でたまりませんでしたが、看護婦さんはチエちゃんの耳たぶに傷をつけて血液を採取しました。

 検査の結果を見たお医者さんは、付き添っていたおばあちゃんにこう言ったのです。

 急性の盲腸だな、これからすぐ手術すっから、大丈夫だがら

 それから先は何がどうなったのやら、チエちゃんが気がついた時には、見知らぬ部屋のお布団の上に寝ていたのでした。

 一昼夜お腹の痛みを我慢していたせいで、チエちゃんの化膿した盲腸は破裂寸前であったことを、術後、家族は知らされたのでした。我慢するのも善し悪しですね。

 この入院中に、おばあちゃんは付きっきりで看病してくれたのですが、お医者さんから大目玉を食らった事件がありました。
それは、おならが出るまでは何も口にしてはいけなかったのに、お腹がすいたチエちゃんがあんまりせがむものだから、おばあちゃんは孫可愛さにペコちゃんのミルキーを1つ与えてしまったのでした。
まあ、何事もなかったので、笑い話で済んだのですけれどね。

 追伸
 チエちゃんが緊急手術をした3~4日後に、遠藤商店の息子たかお君も盲腸になったのです。盲腸は伝染病ではありませんが、どうやら流行るらしいのです。

第77話 やったあ!給食だ!

2007年06月07日 | チエちゃん
 前回「お母さんのサンドイッチ」で、チエちゃんは学校へ"お弁当"を持っていったお話をしました。給食はなかったのでしょうか?

 チエちゃんの通う小学校では、チエちゃんが入学した時には給食がありませんでした。

 2年生になった時に、ミルク給食が始まりました。
50代の方ならお分かりでしょう。脱脂粉乳(断じてスキムミルクなんてしゃれたものじゃない)を使ったミルクです。
 クラスの人数分が入った大きなアルマイトのミルクポットから、これまたアルマイトの食器にミルクを注いでいただくのですが、子ども達の口に入る頃には生ぬるくなっており、不味いことが多く、苦手とする子が大勢いました。
せめて、アツアツなら、もうちょっと美味しくいただけるのですが、これはこれでアルマイトの食器のフチが熱くて、冷めるまで飲めなかったのです。

 そして、3年生の途中からビン牛乳へと変わりました。
やっと脱脂粉乳から逃れられたと、みんな喜んだものでした。
時折、付いてくるココア味の粉末ミルメークに人気がありました。

 それから、4年生の4月、ようやく待ちに待った完全給食が始まったのです。
チエちゃんは、給食にどんなものが出てくるのか、それはそれは楽しみでした。

コッペパンにマーガリンまたはジャムとビン牛乳、アルマイトのお皿のおかずが一品、ミルク給食の時に使っていたおわん型の食器に汁物のおかずが一品。
そして、時々バナナなどのくだもの。
これらが金属製のトレーに載った物が、定番の給食でした。

 チエちゃんの期待通り、給食のメニューにはこれまでチエちゃんが食べたことのないおかずがありました。
カレーシューやクリームシチュー、スパゲッティナポリタン、ポークビーンズ、ハムカツ、・・・・・・・
 それまでは和風の献立しか知らなかったチエちゃんですが、給食を通して洋風の献立を知ったのです。
あの頃は食文化も、欧米に追付け追い越せの時代だったのでしょう。

 チエちゃんは好き嫌いはあまりありませんでしたが、チーズとトマトが苦手でした。チーズは以前食べてまずかったからであり、トマトはチエちゃんの家では栽培しておらず、給食には酸っぱいトマトが丸ごと出ていたからです。
残してはいけない給食のお陰で、今ではこの2つは大好きになりました。




第76話 お母さんのサンドイッチ

2007年06月04日 | チエちゃん
 その日、お母さんがどうして急にお弁当にサンドイッチを作ってくれたのか、未だに分かりません。いつもはごはんのお弁当だったのに。
 遠足でもなければ、学芸会でもなく、特別な意味のある日でも何でもない、全く普通の日だったのです。

 おそらくは、婦人会か若妻会のお料理講習会でサンドイッチの作り方を教わったお母さんは、これを娘のお弁当に持たせてあげたなら、きっと喜ぶに違いないと思ったのです。

 お母さんの予想通り、チエちゃんはその日、うれしくて、うれしくて、朝からお昼の時間が待ち遠しくてしかたありませんでした。
だって、サンドイッチなんて滅多に食べられるものじゃなかったんです。

誰彼と捕まえて、

 ねえ、きょうのあたしのお弁当、なんだか分かる?
 サンドイッチだよ!

と、言いたい気分でしたが、
実際には、密かにウキウキ気分を味わっていたのです。
 そして、ようやくお弁当の時間になりました。
早速包みを開けたチエちゃんは、食べようとしたその時、発見したのです。
パンの上の黒いポチッとしたものを。

 それは、青カビでした。
 どうしよう! 
 でも、せっかくお母さんが作ってくれたサンドイッチです。

 チエちゃんは、カビの部分をちぎって取り、サンドイッチを食べました。
カビが生えるくらいですから、食パンはパサパサし、中身もハムだけのサンドイッチでした。そのハムも、現在のようなロースハムではなく、馬肉やマトンが多くて周りがオレンジ色の薄っぺらいハムでした。
なにせ、田舎のことですから、あの頃は高級な食材など手に入らなかったのです。

それでも、チエちゃんは大満足でした。
お母さんが作ってくれた最初で、おそらくは最後のサンドイッチ。
学校から帰ったチエちゃんは、お母さんに言いました。

 すっごく、うまがった!

幸いお腹をこわすこともありませんでしたから、カビのことは今でも内緒です。

 


 

第75話 おひるね

2007年06月01日 | チエちゃん
 チエちゃんは幼稚園に通ったことがありません。なぜなら村には幼稚園がなかった(常設保育所もなかった)からです。
チエちゃんの弟、たかひろ君が村立幼稚園の第一期生です。

 しかし、チエちゃんのには季節保育所がありました。
農繁期になると、公民館を利用して臨時の保育所、季節保育所が設けられたのです。村が補助金を出し、設置していたのかもしれません。
 お父さんやお母さんが農作業で忙しい時期に中の幼児たちは、この季節保育所で過ごしたのです。
保母さんは資格を持った人というわけではなく、近所のおばさんでした。
チエちゃんのおばあちゃんもお手伝いをしていたのか、暇つぶしなのか、時々チエちゃんと一緒に1日を公民館で過ごしたものです。

 紙芝居を読んでもらったり、「むすんでひらいて」などの手遊び歌を教わったりしましたが、それ以外は自由遊びです。
 砂場で泥団子を作っておままごとをしたり、用水路で水遊びをしたり、お友達と楽しい時間を過ごした後、お昼ご飯が済むと、チエちゃんの苦手な時間がやってきます。

 それは、お昼寝の時間です。

 子供用の小さい布団を並べて、一斉にお昼寝をするのです。
布団に横になり、目をつぶっても、なかなか眠くはなりません。
眠れないので、隣同士ヒソヒソおしゃべりをしていると、おばさんに叱られてしまいます。
それで、眠ったふりをして、じっと息を殺しているのですが、これがつらいのなんの。

 おうちで、昼寝をする時にはこんなにつらくないのに、眠らなければと思うほどに目が冴えて、隣から寝息が聞こえてくると、「○○ちゃんは、寝ちゃった、いいなあ」と思うチエちゃんなのでした。

 それでも、いつの間にか眠ってしまい、気が付くと、一番最後まで寝ているチエちゃんでした。