チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

三ノ倉高原ひまわり畑

2018年08月30日 | チエの玉手箱
この前の入院で迷惑をかけたと思ったのか、ヒロシがひまわり畑を見に行こうと誘ってくれた。
4年前にも訪れた福島県喜多方市にある三ノ倉高原です。

でも、私たちって、学んでないっていうか、懲りないっていうか・・・
ひまわりは、ほとんどこうべを垂れていました。



4年前も8月30日に来ていて、ひまわりはとっくに咲き終わっていたのに、また同じ日に来るなんて・・・




帰りは今年オープンした道の駅米沢で、米沢牛ステーキを食べられたので、ま、いいっかー



forever ちびまる子ちゃん

2018年08月28日 | チエの玉手箱
昨日、ちびまる子ちゃんの作者である さくらももこさんの訃報がネット上を駆け巡った。
本当に残念だ。
「ちびまる子ちゃん」の時代設定は、さくらももこさんが小学3年生時の1970年代。
その時、チエちゃんは高校2年生。8歳の年の差こそあれ、同じ年代を過ごしてきた。
このブログを始める時、まるちゃんのようにチエちゃんを書けたらいいなと思ってた。

まるちゃんは、百恵ちゃんが好きだったよね。
私も好きだったの。山口百恵ちゃん。
まるちゃんの友蔵おじいちゃん、ベルトクイズに出たでしょ?
笑っていいともの前だっけ? 押坂忍さんが司会やってたクイズ番組。私も見てたよ。
おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん、お姉ちゃんとまるちゃん。
ウチは弟だけど同じ6人家族。

すべてのお話しが事実ではないと思うけれど、何かしら基になる出来事はあったと思うのね。
それをあんなに沢山覚えてるって、すごいよ。
私は201話で止まってる。
チエちゃんにとっての「たまちゃん」はナオちゃん
「城ヶ崎さん」はえみ子ちゃん
「大野君」はマサキ君。 みつおくんは「はまじ」かな!?
ほら、きっとこんな風に誰もが似ているクラスメートを連想できるんじゃない?
さじカンさんが描いてくれたチエちゃんのイラストも、どことなくちびまる子ちゃんに似てるでしょ。

なんだかさぁ、また昭和が逝っちゃったみたいで、さびしい。
でも、でも、きっと、きっと、「ちびまる子ちゃん」はみんなの心の中に永遠に生き続けるよ。
ありがとう! さくらももこさん。

さくらももこさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。



チエちゃんのラジオ

2018年08月26日 | チエの玉手箱
二十日盆も過ぎたから、盆提灯を片付けてほしいと母がいうので、父の部屋の押し入れにしまっていると・・・
古いラジオを発見!

お父さん、捨てずに持ってたんだ!

父は基本的にケチなので、なんでも取っておく人だった。
私たちから見たらゴミ同然の物でも、何かの役に立つかもしれないからと捨てないのだ。
これも昭和ヒトケタ生まれの性分だろうと私はあきらめていた。
(と、批判的に書いてるけど、このブログでも紹介しているとおり、私も古いものを大事にとっておいたりするんだよねぇ。これって、父親ゆずりだった!? 
そのお蔭で、なつかしいラジオを見つけることができました。

ムフフ・・・、これはチエちゃんのラジオなのだー!
高校生の時、深夜放送を聞いていたあのラジオです。
かれこれ45年くらい前のもの。
これ、お値段高かったんだよ。
当時1万5千円ぐらいだったと記憶しています。
今だったら、安いパソコンくらいの価値かな?

私が就職して深夜放送を聴く余裕もなくなったので実家に置いたままだったのですが、その後父が競馬中継を聴いていました。
最近は小さいラジオを使っていたので、もう壊れてしまったと思っていました。
アダプターも付いていたのですが、ビニールテープで補修した痕跡があったので今回は電源を入れませんでした。

ひとりで盛り上がってすみません。私のノスタルジアにお付き合いいただき恐縮です。

O.K. googleで!

2018年08月23日 | チエの玉手箱

「今年はあなたの入院騒ぎで、夏らしいこと何にもやらなかったね」

「んッ? そうだな・・・ じゃあ、今日は暑いからかき氷を食いに行かないか?」

それからヒロシはスマホをいじっていたが、「オッケー グーグルってヤツ、どうやって使うんだ?」

「スマホに向かって言えばいいんじゃないの。」

「O.K.google! 近くのかき氷屋。
 おおっ!出た!出た!」

という訳でたどり着いたのが、阿武隈川白鳥飛来地の近くにあるカワベリーカフェ
ヒロシはいちご。私はマンゴーを注文。手作りシロップというので期待して待っていると、出てきたのが写真のかき氷です。



とろっとしたシロップがおいしい!
見てください。かき氷の中にもシロップがかけてあります。

「こういう本格的なかき氷食べたの、何年ぶりだろうねッ」

ふたりして大満足でした。

お腹が空いていたので、紅茶付サンドウィッチも注文。
こちらもおいしかったです。

それにしても、私たち結構使いこなしてるでしょ!?
スマホ





カリフラワーの油炒め

2018年08月20日 | チエの玉手箱
本日のランチメニュー。ヒロシに教えてもらったヒロシ家の超簡単料理 カリフラワーの油炒め。
結婚して、これを作ってくれと言われたものの、カリフラワーは茹でるものと思い込んでいた私にとっては???



フライパンに油を少し多めにひき、5ミリくらいにスライス(ここがポイント1)したカリフラワーを並べて少々の塩を振り、炒めるというより焼く感じです。
柔らかくなるまで、おこげができるくらい焼く。(ポイント2)
カリフラワーが固い場合は、お湯50ccくらいを入れて蒸し焼きにする。
お皿に盛ったら、マヨネーズしょうゆでいただきます。

茹でるよりも、カリフラワーの甘みが出て美味しいです。
無性に食べたくなったら、カリフラワーが少々お高くても買って作ってしまいます。






2018 お盆

2018年08月14日 | チエの玉手箱

「今年も盆棚、飾るよね?」と私。

「いや、(飾らなくても)今年はいいべ。盆棚出すの大変だがら・・・」と母が答える。

せめて今年くらいは飾ってあげたいと思うも、実際のところ難しいと思っていた。
盆棚は重くて、組み立てがややこしいので、どうしても男手が必要なのだ。
しかし、弟は仕事で当てにならず、ヒロシは先月の入院ですっかり体力が落ちてしまっている。
仕方がないか・・・ お父さんには許してもらおう!

それでも、お盆の準備は結構手間がかかる。
1日ではできないと思ったので、8日に仏壇の掃除と盆提灯(それも、祖父、祖母、父の各1個のみ)を押し入れから出しておいた。
10日は弟が時間ができたからと、提灯を出してセットしてくれた。
11日には、再び私が実家を訪れ、縄状の紐にほおずきやヒバの葉を挿して、笹とともに仏壇に括り付けた。
それから、仏花を活けたり、線香立ての灰をふるいにかけたり、細々したことをやる。
7月に一度やっておいた墓掃除にも、もう一度行く。母が盆前にお墓にも花を挿しておくようにとうるさいのだ。
簡単に済ませようと思うも、他家のお墓がきれいになったせいか、囲いの石のみどり藻が気になり、タワシで落としていたら2時間近くもかかってしまった。
弟や私ができなくなったら、誰がこの作業をやるのだろうと思う。
(誰もやらないな・・・ 最近、お墓の管理ができなくなり問題が生じているとTVでやっていたもの)

で、なんとかお盆を迎えることができた。
今日は弟と私、ヒロシ、二男が実家を訪れ、お盆のごちそうを囲んだ。

母は内孫(弟の子共たち)が来ないとボヤいていたが・・・
それも仕方のないことなんだよ。
お盆休みがない企業だってあるし、同居していないのだから情は薄くなるってもんさ。
古き良き昭和は遠くなり、平成だって来年には終わるんだよ。
時代は変わるサ。




サンショウの住人

2018年08月09日 | チエの玉手箱
除染の時に刈り取られてしまったと思っていた山椒の木がなんと残っていたんですよ。
今年は実を採ることもできました。
それで、虫が付かないよう気をつけていたつもりだったのですが・・・
やっぱり、いつの間にか卵を産み付けてる~
こうなったら、蝶になるまで住み続けてね。