タケシは魚屋の息子だった。
(「だった」と過去形なのは、働き盛りの父親がくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなると、魚屋は廃業せざるをえなくなったからだ)
チエちゃんたちが小学生の頃はまだ、魚屋は繁盛していた。
仕出しもやっており、奥の座敷では宴会(PTAの宴会や謝恩会などやっていたと思う)ができたし、2階はそろばん塾へ開放していた。
魚屋は小学校の真ん前にあり、その2階からは校庭や校舎がすっかり見渡せた。
それから下宿屋もやっていて、小学校や中学校の先生が下宿していた。
(小木先生の下宿屋は別な所。ここには、チエちゃんが1年生の時の担任佐久間先生が下宿していた)
すごい多角経営だった。
きぬ:ね、ね、ね、タケシさんちの2階のそろばん塾で、待ってる間、みんなで宿題やったよねえ~
タケシ:そうだっけ? 忘れたー
きぬ:忘れちゃった? 結構、みんなそろばん塾行ってたのに・・・
そっか、タケシさん、自分家だから、塾には居なかったかも!?
シンイチ:宿題って言えばさ、みんなで宿題忘れて、小木先生に家に帰って取って来いって言われたことあったじゃん?
そんでさ、家帰るの面倒くさいからノート買って1枚1枚破いて、郵便局あたりでみんなで宿題やってさ。
学校へもどったよな。
きぬ:うんうん。いっしょに帰るとバレルから。
ほら、家までの距離が全然ちがうっしょ。
一人ひとり時間差つけてもどったよね。
タケシさんは、一番先。
(チエ:へえ~、そんなことやってたんだ。私は方向が全然違うから、知らなかった。
それに、宿題忘れて、家に帰ったことなんてあったかしら?
それにしても、子どもながらに悪知恵がはたらくもんだねぇ~)
タケシ:俺、そんなこと、忘れちまったー ぜんぜんっ、覚えてない!
タケシの両親は魚屋らしく太っていて恰幅がよかったが、その息子はひ弱で痩せていて、まったく似ていなかった。
でも、今の彼はサービスエリアのレストランでコック長をやっていると聞く。
やっぱり親のDNAを受け継いでいるんだなと思った。
つづく