昨年の夏に予約した「悲嘆の門」をようやく借りることができました。
やっぱり宮部人気はすごい!
事前に予備知識を入れないまま読み始めたのですが・・・、
リアルサスペンスと思いきや、いい意味で裏切られました!
後半は、ファンタジー・サスペンスとでも表現すればいいのかな?
「英雄の書」に似てました。
それと宮部さんはいつも作品に社会問題をテーマに取り入れているのですが、今回は「ネット」でした。
主人公三島孝太郎は、インターネット監視会社でアルバイトをしているという設定。
現代では、インターネットパトロールなんてことが商売になってるんですね。
この作品でしっくりしたのが「存在はしているが、実在しない」という概念。
たとえば、おばけや妖怪、死後の世界は物語や伝説などの中に存在しているけれど、実在はしない。
宮部氏はこう語る。
たった一度しかない、限られた人生。理不尽だという意味においてのみ、万人に平等に訪れる死。
その恐怖に打ち勝ち、喪失の悲しみを乗り越えて生きてゆくために、人間は物語を生み出した。
語って、語って、世代から世代へと語り継いでいく。その内容は多種多様。
個人的なことでも国の歴史でも、大きな物語でも小さな物語でも、価値は同じ。
人は、死んだら終わりじゃない。次の人生がある。
生まれ変わるかもしれないし、天上に昇るのかもしれない。
とにかく終わりじゃない。我々の愛する者は、消えていなくなったわけじゃない。
そう語る物語。
死は完結した事象。死によってその人の人生は終わる。生ある者は必ず死ぬ。
そして死者はもうどこにも存在しないし、戻ってくることもない。
でも、物語はその事実に抗することを語る。
その事実に逆らって、残された者を慰め、励まし、生き続けていくための光と希望を語る。
それこそが、物語が存在するもっとも大きな、尊ぶべき意義と意味。
人生が一度しかないことに抗う、創造と想像の力だ。
ああ、そのとおりだと私も思う。
それからタイトルの「悲嘆の門」についてですが、これはあちらのリージョンに存在する門の名前なのですが、これを開けた者は願いが叶わず必ず悲嘆にくれることが決まっているからではないかと想像します。
「ガラ」の物語は登場人物や場面設定が変っても、いつも悲嘆にくれることに変りはなく、門を開けようとする者の物語は延々と続く。
という意味で、ネバーエンディング・ストーリーなのだと思います。
この記事を書くに当たり検索した
宮部氏のインタビュー
やっぱり「英雄の書」の対となる作品だったのね~
今回も、
読後感はほっこり。