チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

第175話 冬の真夜中

2009年11月30日 | チエちゃん
 寒い冬の真夜中、障子戸に切られた猫窓から、スーッとみぃが入ってきました。
チエちゃんとおばあちゃんが寝室へ向かった時には、まだ、みぃはコタツの中で丸まっていたのです。
それから、一眠りしたみぃは、見回りに出かけ、もしかしたら、縁の下で家ねずみの狩りに成功したのかもしれません。
満足したみぃは、朝までぐっすりと暖かく眠れる場所を求めて、やってきたのでした。

 おばあちゃんとチエちゃんが寝ている布団に近づくと、まず、おばあちゃんの顔に鼻先を近づけ、フンフンとひげでくすぐってみました。
でも、おばあちゃんが気付いて、みぃをお布団の中に入れてくれる気配はありません。
そこで、今度は、チエちゃんの顔に鼻先を近づけ、同じことをしてみました。
すると、チエちゃんはくすぐったい感じがしたのか、寝返りを打ちました。

しめた!

寝返りを打ったおかげで、チエちゃんの身体とお布団に隙間が出来たのです。

そのわずかな隙間から、みぃはするりと布団の中に体を潜り込ませました。

あったか~い!

チエちゃんのそばに体を丸めると、みぃはたちまちのうちに睡魔に襲われ、幸せな眠りへと落ちていったのでした・・・

第174話 えびす講

2009年11月23日 | チエちゃん
 チエちゃんのお母さんは、年中行事の中で、この「えびす講」を一番大切にしていたように思います。
「今日は、えびす講だから・・・」
毎年きまって、そう言うお母さんは、どこかイソイソとした感じがしたものです。

 しかし、えびす講という行事は何の楽しみもなく、ただ、お膳を作り、神棚にお供えするだけなのです。
いつも神棚にお供えするのは、炊き立てのご飯を白木のお皿にほんのちょっとだけ盛ったものでしたが、その日は、2人前のお膳を作るのです。
ご飯と味噌汁、煮物などのおかず、そして、尾頭付き。
本当は、恵比寿さまといえば、鯛なのでしょうけれど、お母さんは、尾頭付きなら何でも良いのだと、チエちゃんの家では、いつも秋刀魚でした。

 チエちゃんが不思議に思っていたことは、いつも神棚にお供えをするのは、おじいちゃんの役目だったのですが、この時ばかりは、お母さんが神棚にお供えをすることでした。

 
 えびす講は、ちょうどこの時期であったような気がして調べてみると、旧暦の10月20日に行う行事のようです。
 神無月に出雲に出かける時期に、留守を預かる留守神として竈神(かまどのかみ)をまつり、一年の無事を感謝し、五穀豊穣や大漁を祈願する民間行事ということです。

 なるほど、台所を預かる主婦としては、一番大切にしたい神様のお祭りだったわけですね。
2009年の旧暦10月20日は、12月6日のようです。

第173話 千歳飴

2009年11月17日 | チエちゃん
 その記憶は、チエちゃん自身の体験を覚えているというよりも、繰り返し説明を聞いた写真の記憶と言ったほうが正しいのでしょう。

 セピアの中のチエちゃんは晴れ着を着て、髪には大きなピンクのリボンを挿しています。(白黒なのに、どうしてピンクって分かるんだろう?)
おばあちゃんによると、
「チエには七五三の祝いをやってあげなかったから、たかひろのお宮参りの時、チエにも着物を着せたのさ。
 最初は、チエにたかひろを抱っこさせて写真を撮ろうってことだったんだけどね、赤ちゃんを落っことしたら大変だろ?」
ああ、それで、チエちゃんの隣で、おじいちゃんが赤ちゃんを抱いているのだと思いました。
 
 そして、もう一枚の写真には、外出着姿のおばあちゃんと、毛糸の帽子をかぶり千歳飴の袋を持った先の写真より成長したチエちゃんがいます。
これは、確か松島へ行ったときのもので、ちょうど11月頃だったのでしょう、
この時もおばあちゃんは、
「チエには七五三の祝いをやってあげなくて、千歳飴を買ってあげなかったからね。食べたことないだろう?」
そう言って、千歳飴を買ってくれたのでした。

 一度も千歳飴を食べたことのなかったチエちゃんは、大きな袋に入ったたいそう難しい名前の付いた飴なのだから、さぞかし美味しい飴なのだろうと思い、開けてみたところ、何のことはない遠藤商店にも売っているぶっかき飴の長~いバージョンだったことに、ひどくがっかりしたのでした。

 それにしても、おばあちゃんはチエちゃんに七五三の祝いをしてあげなかったことが、余程気にかかっていたようですね。

第172話 ブランコ

2009年11月10日 | チエちゃん
 チエちゃんの小学校には、あの頃、どこの小学校にもあったように、たくさんの遊具がありました。

ジャングルジムに、滑り台、シーソー、鉄棒、遊動円木、雲悌、回旋塔、懸垂シーソー、そしてブランコ。

放課後のチエちゃんたちにとって、それらの遊具を使っての遊びは何事にも変えがたい楽しみでした。
先生さようならをした後、競うように外へと飛び出し、お気に入りの遊具を確保したものでした。

中でも、チエちゃんのお気に入りは、校庭ではなく、裏庭にあるブランコでした。
裏庭は、秘密基地の築山と池があった場所で、その近くにブランコも設置されていたのです。

 お友達と遊ぶ時は、二人乗りをしたり、履いている靴を投げてどちらが遠くまで飛ぶか、とばしっこをしたり、或いは、漕いでいるブランコから飛び降りる危険な遊びもやりました。
でも、何といっても1番は、一人きりでブランコに揺られ、ゆったりとした気分に浸ることでしょう。
揺れるブランコは、チエちゃんを夢の世界へと導いてくれました。
まぶたを閉じれば、折りしも西に傾いた陽の光が明るく、暖かく感じられ、それは天国の光のように思えたものでした。


 今では、ブランコに乗ることなど無くなってしまったけれど、あの感触は今でも心地よく、私の中に残っているように思えます。


 ところで、最近では、遊動円木や回旋塔、懸垂シーソーなどは危険な遊具として、すっかり消えてなくなってしまったようです。
危険だからと、取り去ってしまうことは簡単かもしれませんが、身をもって危険を知ることも大切ではないかと思います。
 これらの遊具で、楽しく遊び、どのようなことをすれば危ないかを経験した私にとっては、残念なことです。

たこさん、やすらかに・・・

2009年11月04日 | チエの玉手箱
 私の元へ訃報が届きました。
それをネット上に書くべきかどうか、迷いましたが、私の役目なのではないかと考え、ここにお知らせいたします。

 インターネットを通じて知り合い、私のホームページにリンクさせていただいていた「古代への道」の管理人さんでいらっしゃるたこさんが、10月27日、天国へ召されました。
ご親友の方が、ご丁寧に連絡をくださったのです。
実際にお会いしたとがあるわけではなく、ネット上だけのお付き合いでしたが、やはりその知らせは、私にとって大変ショックでした。
ご家族やご親族、ご親交のあった方々のご心痛は如何ばかりかと推察いたします。

 たこさんは古代史について造詣が深く、古代史に興味のあった私にとって「古代への道」は、バイブルのようなサイトでした。
後半年して退職されたなら、もっともっと、サイトを充実してくださるものと楽しみにしていたのです。
そして、私は、いろいろなことを教えていただこうと思っていたのです。

 残念です。いいえ、私などより、たこさんご自身が何より、残念であったことでしょう。
ご新居へ転居されたばかりで、もっとあちこち遺跡を訪ねてみたかったでしょうし、何よりお孫さんの成長を楽しみにされていたご様子でした。
でも、たこさん、ご愛用のギターを処分されたことから推察すると、もうご覚悟はできていらしたのでしょうね。


私たちはこの世に生まれた限り、いつかは死を迎える運命なのですよね。
訃報に接した時、私はいつも思います。
残された私たちが精一杯生きること、そして、時々、思い出してあげること、それが私たちができる最大の供養であると。

たこさん、今は病気の苦しみや痛みから解放され、やすらかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

そして、願わくは「古代への道」のサイトが今後も存続し、多くの古代史ファンが訪れますように。