(月日の経つのは)早いなあ。もう彼岸かぁ。
今日は雨だがら行がんにげんちょも、体調が良くて、天気がいい時に、生ぎでいるうぢにもう一度だけ
墓参りに行ぎだいど思ってなぁ。
わだしのお母っかさまは、わだしが小学校の5年生になった春に亡ったんだよ。
ほれがらは、キクばあちゃんが一生懸命育でてくっちゃんだ。
キクばあちゃんっていうのは、ホラ、豆腐屋の
にしゃばあちゃんの連れ合いの姉さまだ。
うぢにはお金なんて無がったがら、ばあちゃんが藁で草履編んでな、それを一足十銭くらいで売ってだのがな?
十銭だよ!(いくらの儲けにもならない)
ほんじも、おらいが困ってんのみんな知ってっから、買ってくっちな。
あのお金が結構、生活の足しになったんだよ。
お米が無え時は、ばあちゃんがうどん打ってくっちさ。
おらいでは米は作ってながったげんちょも、麦は作ってだがら、よ~ぐうどんは食ったな。
モチモチして、うまがったよ。
新しい着物なんて買わんにがら、ばあちゃんが母ちゃんの古い着物を直してくっち、それを着て学校に通ったのさ。
その頃でも、ほんな格好してるのは組で2・3人くらいだったな。
セーラー服なんて、着らんにがった。
この辺りの村の学校合同で弁論大会があって、わだしが代表に選ばっち、発表するごどになってさ。
代表に選ばれるのなんて、ほんとに嫌だった。着ていぐ服がねえんだもの。
ほしたら、サワちゃんが「わだしの貸してあげっから着ていげば」ってゆってくっちなあ。
サワちゃんからセーラー服借りて、それを着て弁論大会に行ったのよ。
まったぐ、代表に選ばれるのはほんとに嫌だったなあ。
ほれがら、父ちゃんもガンになっちまったべ。
わだしもこの年齢になって、何んにもでぎなぐなっちまったがら、分がるげんちょも、キクばあちゃんも腰が曲がって(家事をするには)たいへんだったべなぁって思うよ。
もう一度、母をお墓参りに連れて行ってあげたいと思うけれど・・・
母の生家の墓地って、細い坂を登って、登って、登った先にあるんだよね。
私一人では車いすを押せない。
こりゃ、息子たちを頼るしかないか!