今はどこの家庭にもテレビがあるのはあたり前です。一家に1台どころじゃなく、1人に1台。おまけに、薄型、大画面、画質も性能もすばらしい。
クルマの中でも、ケイタイでも、いつでもどこでも見ることが出来る。
なんてすごい時代なんでしょう。
日本の庶民にテレビが普及したのは、昭和39年(1964)東京オリンピックが開催された年でした。
それまで、高価なテレビは裕福な家庭の持ち物。でも、その頃 高度成長で家計にゆとりが出来た庶民にも、ちょっと無理をすればテレビが買える時代。そして何より、誰もが世紀の祭典「東京オリンピック」を我が家のテレビで見たかったのです。
ご多聞にもれず、チエちゃん家にテレビがやって来たのも、この時でした。
それは、確かに秋のことです。夕陽に照らされたチエちゃんの影が長かったことを覚えているからです。
その日、チエちゃんには学校の時間がひどく長く感じられました。学校が終わると、走って家に帰りました。そう、電気屋さんがテレビを持ってくる日だから。
電気屋さんもあっちこっち、引っ張りだこでかなり忙しかったのでしょう。やっと、来た時にはもう夕方でした。
そのテレビは、外見だけはちょっとした家具のように大きいのですが、画面は たぶん14型か16型の白黒。当時はカラーテレビなんてなかった。スイッチは、ツマミを回して電源を入れる、チャンネルもガチャ、ガチャ、ガチャと回すものでした。チエちゃんにとって、それはとても大きくて、ピカピカに輝く魔法の宝箱のように思えました。
やがて、準備は完了。電気屋さんがスイッチをひねると、画面に映ったものは斜めのシマシマ模様。あれ~!
(このシマシマ、昔はたびたびあった。電波の状態が悪かったのだろうか? 最近は全然見かけない)
でも、何やら電気屋さんがテレビの後ろ側を操作すれば、最初に映った映像は、『エイトマン』のエンディング。
♪光る海、光る大空、光る大地♪
最近 NTTフレッツ光のCMで、SMAPが歌っていた曲の元歌です。
あの時の感激は、今もハッキリと記憶しているチエちゃんなのです。
♪走れ!エイトマン。タマよりも速く♪のところで、昭和39年10月1日に開通したばかりの(おそらく)新幹線ひかり号を追い越して走っていくエイトマンは、すごくカッコよかった。チエちゃんはマンガ(アニメという言葉が使われるのはずーっと後のこと)のトリコになりました。
エイトマン
それ以来、テレビは、チエちゃん家の茶の間の隅っこではあるけれど、確実な存在感を持って鎮座したのでした。
お父さんは 時代劇、西部劇のファン、おじいちゃんとおばあちゃんは 相撲、プロレス、野球(なぜかスポーツばかり)、お母さんは ? これらを大人たちと一緒に見ていたチエちゃんは、正真正銘の元祖テレビっ子です。
そしてもちろん、東京オリンピックのスターたち、体操 ベラ・チャフラフスカ選手、マラソン 裸足のアベベ選手、女子バレーボール 東洋の魔女日本チームをめでたく観戦しました。
チエちゃんのテレビにまつわるお話は、一晩かかっても語りつくせないのだけれど・・・・。
そのお話は、またいつの日か。