チエちゃんは俗に言う、三文安のおばあちゃん子です。
チエちゃんの名まえもおばあちゃんが付けてくれました。幾千もの幸せに恵まれますようにという願いが込められています。
弟の世話や農作業で忙しいお母さんに代わって、チエちゃんを可愛がってくれたおばあちゃんです。
おばあちゃんは大正生まれで、明治生まれのおじいちゃんと21歳も年の差がありました。
というのも、おばあちゃんはお父さんの本当のお母さんではありませんでした。おじいちゃんが、お父さんの本当のお母さんと離婚した後、後妻さんになったのです。あの頃、チエちゃんはすでにこのことを知っていましたが、これがどういうことなのかを本当の意味で理解するのは大人になってからのことでした。
おばあちゃんは子宮筋腫という病気で手術をし、実子を産むことはありませんでした。
おばあちゃんは小学校を卒業すると、温泉旅館に女中奉公に出ました。貧しい家計を助けるためです。そのために婚期が遅れ、21歳も年の離れたおじいちゃんと結婚する事になったのです。
おじいちゃんにしてみれば、50歳近い、幼い子を抱えたやもめ男に来てくれるだけでも有難かったというのが本音ではないでしょうか。
一家は浅草で食堂を営んでいましたが、大東亜戦争が始まり、空襲がひどくならないうちに親戚を頼り、おじいちゃんとおばあちゃんの故郷の村に疎開してきたのでした。
ヨシヒサ伯父さんは長男でしたが、おばあちゃんと折り合いが悪く、ひとり東京に戻って行きました。残った次男のチエちゃんのお父さんが、家を継ぐことになりました。
おばあちゃんはチエちゃん家で唯一の煙草飲みです。これは、若い頃に覚えたことでしょう。おばあちゃんはどこか粋なところがある人でした。
チエちゃんは、おばあちゃんからいろいろなことを教わりました。
ひもの結び方、マッチの擦り方、りんごの皮の剥き方、野菜の切り方、お米の研ぎ方、お茶の入れ方、お風呂の焚き方、掃除のやり方、洗濯のやり方、お裁縫のこと、お正月・節分・節句・七夕・お月見・冬至などの年中行事、禁忌とされること、他にもたくさん、たくさん、・・・・・
チエちゃんが
盲腸になったとき、付きっ切りで看病してくれたのはおばあちゃん。
小学校に入学するとき、ランドセルを買ってくれたのもおばあちゃん。
お母さんに代わって授業参観に来てくれたおばあちゃん。
運動会で1等賞を取ったチエちゃんを誉めてくれたおばあちゃん。
昔話をしてくれたおばあちゃん。
風邪をひいたとき、桃の缶詰を開けてくれたおばあちゃん。
一緒に
山菜を取りに行ったおばあちゃん。
チエちゃんは、おばあちゃんの自慢の孫でした。
おばあちゃんは、チエちゃんにとって日本一、いいえ、世界一のおばあちゃんでした。