3月3日は桃の節句、ひなまつりですが、
チエちゃん家ではまだ、おひなさまを飾りません。
どうしてなのでしょうか?
それは、新暦の3月3日ではなく、旧暦(太陰暦:正しくは「太陰太陽暦」というらしい)の3月3日にお祝いをしたからなのでした。
あの頃、東北地方のこの地では、3月といっても本格的な春にはまだまだ遠かったのです。梅も、桃もやっと蕾らしきものが見え始める頃なのです。
2007年では、4月19日が旧暦3月3日に当ります。
ですから、おひなさまを出すのはお彼岸過ぎのことになります。
チエちゃん家のおひなさまは古ぼけていましたが、五段飾りの上品なお顔立ちの雛人形でした。西陣織の着物を着ていました。
このおひなさまは、トシ子おばさんが生まれたときに買った物なのだそうです。
おばあちゃんが、雛人形を出す時、チエちゃんもお手伝いをしました。
おひなさまはそれぞれ、桐の箱に入っており、一体一体丁寧に取り出していきます。体と頭が分かれていて、一瞬ドキッとします。お顔に覆われた和紙を取り除き、本体へ首を差し込んでいきます。
おひなさまとお内裏様は間違えようがないのですが、三人官女や五人囃子はどのお顔がどの体に合うのか、毎年、悩んだ末に適当に合わせていたのでした。
なのに、右大臣、左大臣の区別は簡単で「うれしいひな祭り」の歌の通り、右大臣は赤い顔をしていたのです。
それから、おひなさまには乙姫様のような冠をかぶせ、お内裏様には烏帽子をかぶせていきます。それぞれの人形にも付属品をつけて飾った後、最後に小さなお膳を取り出すのがとても楽しみなチエちゃんでした。
このお膳についている御椀や器がおままごとに丁度よく、おひなさまの物に触ってはダメと言われていたのに、大人たちが見ていないところで、チエちゃんはこのお膳セットを失敬してはよく遊んだものでした。
チエちゃん家では、ひなまつりのお祝いには草もちを作りました。
お餅によもぎをを混ぜ込んでついたものです。
この草もちをのして、ひし形に切り、おひなさまにお供えするのです。
また、この草もちは
凍み豆腐と同じように、冬の寒さで凍らせたあと乾燥させ、凍みもちとして保存食にしました。
チエちゃんの家には桃の木がありましたから、お父さんが剪定した枝を花瓶に挿して飾れば、ひな飾りは終了となるのでした。
旧3月3日には取り立ててご馳走を準備するわけではありませんでしたが、春の宵の薄明かりに照らされたおひなさまを飽かずに眺めるチエちゃんなのでした。
そして、もちろん、チエちゃんがお嫁に行き遅れないようにと早々に片付けたのです。