福島県福島市在住@チエちゃんです
2011年3月13日(日) 震災3日目
気持ちが高ぶり十分な睡眠がとれない。4時間ほど眠っただろうか。
相変わらず、余震が続く。
4時30分 起き出す。
昨日、大まかな片付けをしたが、家人が起きないうちに掃除機をかけようと思った。
こんな時に、ヒロシと長男はよく眠れるものだと思う。
肝っ玉が据わっているのか? アホなのか?
それから、電気が通ったので、炊飯器でご飯を炊くことにした。
お釜を洗うのを忘れていたが、私はそのままお米を入れた。
ミネラルウォーターを注ぎ、慎重に水加減をする。水は貴重品。一滴も無駄にできない。
お米は研がなかった。
TV「青空レストラン」で、米は研がなくてもOKと言っていたことを思い出していた。
炊き上がったご飯は、おいしかった。
私は、それをおにぎりにした。
朝食を食べていると、断水は18日まで続くらしいとの情報が入る。
たいへんだ!
ミネラルウォーターだけでは、足りない。
トイレ用に、汲み置きしたお風呂の水も半分程になっている。
これからは、小の時は何度かしてから、流そうと話し合う。
そして、私たちは、二手に別れて行動することにした。
ヒロシと長男は、給水所に並ぶ。
私は、食料の買い出しに行く。
8時30分 家を出る。
さて、どこのスーパーが開いているか?
とにかく、いつも買い物をするヨークベニマルへ行ってみることにした。
3~4人が並んでいた。
しかし、入り口の張り紙を見ると、「本日の営業は行いません。○○店で営業します」
ちょっと遠いが行ってみることにする。
運転しながらも、いろいろな考えが浮かぶ。
遠い店舗にガソリンを掛けて行っても、行列ですぐに買い物はできないだろう。
ならば、もっと近くのローカルなスーパーに行った方が良いのではないか?
私は、Uターンした。
勤務先の近くのスーパーが浮かんだからだ。
すでに30m程の行列ができていた。9時30分開店。ここに並ぶことにした。
ところで、私たちが東京電力福島第一原子力発電所の事故を知ったのは、いつだったのだろうか?
並んでいる時に、隣の方と話し合った記憶がある。
12日夜のTV報道か? 13日の朝刊か?
でもまだ、この時は、放射能は飛んでいるのだろうかなどとぼんやりと考えつつも、のんびりしていたように思う。
それよりも今、重要なことは食料だった。
9時30分。
10人ずつ区切って、店内に入ることができた。列が少しずつ進んでいく。
しかし、自由に買い物をすることはできなかった。
限られたスペースにプラスチックケースなどを積み、その上に商品を陳列、1本道を通って買い物ができるようになっていた。
私は、2Lウーロン茶2本、カップめん2個、インスタントラーメン1セット、卵1P、さば缶1個、魚肉ソーセージ1束、のり佃煮1個、さとう1㎏、そして、最後にお米10㎏を買うことができた。
お米の残りは、あとわずかだった。
その15へ つづく