チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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こたつ出したよ

2013年09月29日 | チエの玉手箱
朝夕はすっかり涼しくなりましたね。
こたつを出そうとヒロシが言うので、まだ少し早いかなという感じですが、どっちにしろあと1~2週間で必要になるのだからと出すことにしました。
病人には寒さが大敵だし、猫たちも喜ぶと思ったからです。

「ふうーっ!できた、できた。こたつ完成!
 今日は、ヒロシに手伝ってもらったから、ちゃっちゃっとできたよ。ありがとね。」

「そうかぁ・・・」

「そうだよ。以前はぜ~んぶ、私ひとりでやってたんだから。
 最近、掃除でも、洗濯干すのでも、何でも時間かかっちゃって。
 年を取ったってことだね。」

「ああ、前は分からなかったよ。家の中のことなんかさ。
 全然やろうとも思わなかったし・・・」

「洗濯物干したり、取りこんだり、助かるよ。ほんと。」

「そう言ってもらえると、うれしいよ。
 なんかさ。俺、家に居て、ウザいなって思われてたら、ヤダなって・・・」

「うんうん。実は私も、ヒロシが仕事辞めることになった時、そうなるんじゃないかって思ってた。
 けど、違ったよ。
 いっしょに台所に立ったりするの、すごく楽しい!」

「何もしないで、家の中でゴロゴロしてたら、たぶんそう思われてただろうな。
 だから、俺、けっこうがんばってるんだぜ。」

「うんうん。ありがとう。
 最近、お料理も上手になったよね。
 てんぷらも出来るようになったし、この前、インスタントだけど、グラタンも作ったものね。
 炒め物なんか私のより美味しいもん。」

「へへへっ!俺は、なんだって上手いんだよ。」

(だからサ、私が退職して二人でのんびり暮らせるまで、生きててよ。)


さっそく、キャシーとドロシーはこたつの中でまったり、ボブはご覧のとおりです。

 
 
 

秋のグルメ ドライブ

2013年09月21日 | チエの玉手箱
21日は最高気温30℃と暑さが残っているもののすっかり秋の気配が漂う中、お天気がよいので、食べる目的のドライブに出かけました。
目的地は、知る人ぞ知る猪苗代町大字若宮の国道115号沿いにある「まんさく農園食堂」です。





お店は食堂だけでなく、春は山菜、秋はきのこや野菜、その他お土産物も取り扱っています。



いわなも焼いている。もちろん、売り物。

ここのおススメは、まいたけごはんとけんちん汁です。ボリュームがあって、お値段はリーズナブル。



今日、私が食べたのは「ぶっかけそば」700円なり。(最初の写真)
レタス、わかめ、山菜、きのこ、とうふ、温泉卵などがのっていました。
おみやげに天ぷらを買うことにしていたので、あっさり系を選びました。
ヒロシは、みそ焼きおにぎり200円を食べました。これも、ここの名物です。

場所は、こちら


帰り路は、無料になったというので、観光道路磐梯吾妻スカイラインを通って帰ってきました。
大勢の人が、火口に登っていましたよ。




第194話 おばあちゃんの内職

2013年09月14日 | チエちゃん
昭和40年代のあの頃、高度経済成長の真っ只中。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は手にしたものの、まだまだ貧しく、生活は苦しかった。
少しでも現金収入が欲しかった主婦たちは、せっせと内職に励んだものでした。

チエちゃんの村で、人気の内職はリンキングでした。
リンキングというのは、ニット製品の身頃、袖、襟などの編み目を一つ一つすくってつなぎ合わせることです。
この地方は養蚕業、機織工業が中心産業で、織物つながりということなのかニット産業も盛んでした。
農閑期には、多くの主婦がこの内職をしていました。

チエちゃんのおばあちゃんはというと、リンキングは若い人の仕事と考えていたようです。
老眼のおばあちゃんには、細かな編み目をすくうことが難しかったからでしょう。
それで、お友達から誘われたこともあって、おばあちゃんが選んだ内職は、真綿を引き伸ばし糸状にし、機械を使って撚りをかけ紬糸を作る仕事でした。
真綿というのは、親繭(2匹の蚕が1つの繭をつくっしまったもの)など1本の糸を取ることができないくず繭を綿状に加工したものです。
おばあちゃんが老眼鏡を掛けながら、朝から晩までがんばっても、細く細く伸びる真綿を紬糸に変える仕事は、1日に真綿1~2枚を加工するのがやっとでした。
それでも、おばあちゃんはその内職を10年以上続けていました。
自分で稼いだお金というのは、いいものだものね。
自分のたばこ代にしたり、チエちゃんたち孫におこづかいをあげたり、誰にも気兼ねなしに使うことができたからでしょう。

おばあちゃんが紡いだ紬糸は、どんな布になったのかな?
どんな着物に仕立てられたのかな?
おばあちゃんが紡ぐ糸は、細く均一できれいだねって誉められるよと自慢げに話してくれたものでした。


ネットで偶然に、おばあちゃんが使っていた糸撚り機を見つけたので、なつかしくなりました。
そのサイトはこちらです→tool-私の仕事場の道具たち-
上から7番目の写真紡毛機がそれです。


2020年東京オリンピック決定に思う

2013年09月08日 | 大地震
東京五輪決定 イスタンブールと決選制す(日刊スポーツ) - goo ニュース

福島県福島市在住@チエちゃんです

日曜日の朝、ドキドキしながらネットを開いた。
"東京五輪決定!"の文字が飛び込んできた。
やった!心の中で、ガッツポーズ!

1年前の私は、2020年東京オリンピックはあり得ない そう思っていた。
大震災の復興も進んでいないのに、都知事は何を世迷言をいっているのだろうと軽蔑さえしていた。
けれども、招致委員会はあきらめなかった。
ロンドンオリンピックを機に、国民の支持率を上げることにも成功した。
今回は、運も味方したと言えるだろう。
世界情勢やIOCの事情など様々な要素が、東京に有利に働いた。

東京オリンピック開催の決定は、不景気や震災で塞いでいた気持ちを久々に明るくしてくれた。
そうだ!あきらめたら、そこで終わりなんだ。
2020年を目標に、復興も原発事故問題も解決に向けて進むことを願う。

もう一度、日本で開催されるオリンピックが見られることを素直に喜びたい。
ワクワク感を味わいたいと思う。
おめでとう!


追記:俺も、2020年まで生きて、東京オリンピックを見たいな
ヒロシがこう思ってくれたことが、何よりうれしいかな

県民健康管理ファイル

2013年09月01日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

福島県健康管理調査室から家族4人分の分厚い封書が届いた。
県民健康管理調査の第2弾かな?と思いながら開けてみると、写真の「県民健康管理ファイル」が出てきた。

ファイルの中身は、放射線量の測定結果や本人の健康診断(放射線以外)の結果などが書き込めるページと放射線に関する情報ページに、調査や検診結果を保存できるクリアポケットが付いているものだった。

中でも、興味深いのは情報ページの放射能測定値だ。





3月12日1号機の水素爆発後も、低レベルであった福島市の放射能測定値が、3月15日の午後になり一気に上昇している。
これは、海側に吹いていた風向きが運悪く西北西に変わったせいだと言われている。
では、どの爆発のものなのか?
3月14日11:01 3号機水素爆発、3月15日6:10 2号機で何らかの爆発。
否。
ウィキペディアによると、2号機の「SR弁(主蒸気逃がし弁)」が3月14日から15日未明にかけて3回以上開けられ、そのたびに格納容器内から放射性物質が大気中に漏洩した結果らしいのだ。
当時は、爆発をいかに回避するかという緊急事態で、究極の選択の結果であるという。
起きてしまったことは、どうしようもないけれど・・・
やっぱり複雑な思い。

こんなことを考えながら、前回の県民健康管理調査結果通知書をクリアポケットに入れた。
(今回の資料で、3月13日にヒロシと長男が給水所に並んだことはあまり関係なかったことが分かった)