チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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神 道

2008年09月27日 | チエの玉手箱
 日本人なら、慶事は神社で、弔事はお寺で行なうのが一般的でしょう。
チエちゃんの家もそうでしたから、私は何の疑いも持たず、そういうものだと思っていました。

 ところが、私の嫁ぎ先の宗教は「神道」でした。
といっても、大きく違っているのは弔事の時だけです。
お坊さんの代わりに、神主さんが祝詞をあげ、御焼香の代わりに玉串奉奠、礼拝は「二礼二拍手一礼」で、柏手は音を立てない「しのび手」をします。
仏教が初七日・四十九日・一周忌・三年忌・七年忌・・・に対し、神道では十日祭・五十日祭・一年祭・五年祭・十年祭・・・となります。

 そして、このことが私の古代史への興味を更に深くしたのでした。
昭和天皇崩御の時の様々な儀式、今上天皇の即位の礼の儀式をテレビで食い入るように見ました。この儀式が1300年以上前から、ずっと続いてきたのかと思うと感激しました。
それから、こうしてテレビで見ることができる今の時代へ感謝しました。
昭和天皇即位までは、決して一般人が見ることはなかったのですから。
残念なことに、私も含めて日本人は「神道」のことを知らなさすぎると思いました。

 私は、声を大にして言いたい「日本人なら、神道でしょ!」と。

 こんな事を書くと、どっぷりと神道にはまっているように思われそうですが、私は無宗教といってもいいでしょう。
ある意味、宗教は、諸刃の剣、一種の麻薬のようなものだと考えるからです。
でも、お盆やお彼岸には墓参りに行くし、お正月には初詣にも行きますよ。

 ただ、神話の中に隠された歴史の真実を紐解くカギとしての「神道」にたいへん興味を持っています。


こんなんじゃ、答えになりませんか?

母子手帳

2008年09月23日 | チエの玉手箱
 チエちゃんの「しょうもないもの保管してるな~」シリーズとでも申しましょうか・・・

 画像は、51年前のチエちゃんの母子手帳です。へその緒もあったはずですが、それは実家にあるはずです。

 母は、時折、私を産んだ時のことを話してくれました。
出産の前日まで普通に働いていたこと。
昔は、病院で産む人は少なく、ほとんどが自宅出産だったこと。
陣痛が起こって、障子戸の桟が霞むくらいにならないと産まれないと聴いていたけれど、そんなことはなく、案外楽に産まれたこと。
その時、父は出稼ぎに出ていて、春先まで帰ってこなかったこと。
出産後、お便所に行きたかったけれど、姑に遠慮して言い出せず、産婆さんが来てくれることを心待ちにしていたこと。祖母は、自分で出産の経験がなかったので、こういうことが分からなかったらしい。


今回は、なずなすさんのひとことがヒントになりました。ありがとう。

遠藤賢司-カレーライス

2008年09月19日 | チエの玉手箱
遠藤賢司-カレーライス


   君も猫もみんな
    
     みんな好きだよ カレーライスが・・・


なんだか訳の分からない遠藤賢司のこの曲が好きだった。
たぶん、猫が出てくるからだろうとは思うのだが・・・

2番の歌詞に、こんな部分がある。

  僕は寝転んで、テレビを見てる
  誰かがお腹を切っちゃったって
  う~ん、とっても痛いだろうにね
  ははあ~ん・・・・・カレーライス

このお腹を切っちゃった人というのは、三島由紀夫のことだろうと思う。
私も、軍服姿の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで演説するテレビニュースを見ていたからだ。このあと、彼は割腹自殺をした。

でも、多くの国民は、三島由紀夫の訴えより、今晩のカレーライスのことの方が気になっていたのだ。

昭和45年、この年、大阪万博が開催され、よど号ハイジャック事件が発生した。

中学1年の私には、やはり、明日の宿題のこととか、友達のこととか、今日のお弁当の中味のことの方が、重要だったに違いない。


ところで、遠藤賢司さん、かなり適当に、その場の雰囲気で歌ってますね。

猪苗代ハーブ園

2008年09月15日 | チエの玉手箱
 今シーズン最後ということで、この連休に猪苗代湖に行きました。
いつもジェットスキーだけで、立ち寄ったことがなかった猪苗代ハーブ園に行ってみました。コスモス祭り実施中で、75万本のコスモスが咲いていました。
ハーブはシーズンを過ぎていて、残念でした。

   

   
   一面に広がる蕎麦畑 後ろに見える山は磐梯山

   
   蕎麦の花

   
   今回は、前回と違う浜に行きました

 私たち夫婦の良い所は、お互いの趣味に干渉しないと言いますか、とやかく言わないことだと思っています。そして、スケジュールや気分が合えば、こうして一緒に出かけます。

 今回、私たちの隣で、ご家族と思しき方々がキャンプをしながら、ジェットスキーを楽しんでいました。おじいちゃんとおばあちゃん、その息子夫婦か、或いは娘夫婦と孫達のようでした。皆さん、ウェットスーツを着ています。もちろん、おじいちゃんとおばあちゃんもです。とっても、カッコイイと思いました。



里 芋

2008年09月11日 | チエの玉手箱
 今年は、例年より少し早めの9月14日が十五夜のようです。
中秋の名月は、別名芋名月とも呼ばれ、この芋というのは、里芋のことだそうです。ちょうどこの頃に里芋が採れて、お月様にお供えし、自然の恵みに感謝したのでしょう。
ちなみに、お団子をお供えするのは、里芋の代わりということです。(というのは、ネットの受け売り~)

 「芋の煮っころがし」と言ったら、皆さんはどの芋を想像しますか?
私は断然、里芋。イモ類の中では、この里芋が一番好きなのです。

これからの季節、里芋と大根とイカの煮物、味噌汁の具、河原で大鍋に作る芋煮など、楽しみですね。

 子どもの頃、母親について、きゅうりや茄子の収穫に行くと、その隣の畝には里芋が育っていました。
里芋の葉っぱには、水をはじく性質があるのです。
たまたま葉っぱに残っていた朝露や雨水が、玉になって転がる様子が面白く、葉っぱから落ちないように前後左右に、或いはぐるぐると回して遊んだものでした。
ですから、畑に着くと真っ先に、里芋の葉っぱに水玉が残っていないかをチェックするのです。

 こんな他愛もない遊びに興じていたチエちゃんでした。


画像は、お盆に実家を訪れた際、里芋を見つけて思い出し、用水路から水を汲んで落としたところ。期待どおり、コロンと丸い水の玉ができました。

「昭和」とは何ですか?

2008年09月07日 | チエの玉手箱
 私が、週刊「昭和タイムズ」を定期購読していることは、以前このブログに書いたとおりです。先週末のこと、№48”昭和21年”を配達してくれた本屋の店員さんが、突然私に話しかけてきました。

 チエさん(実際は、私の苗字を呼んだ) 突然ですが、チエさんにとって「昭和」とは、何ですか?

 えっ!?

それまで、ほとんど会話したことがなかった人から、いきなりの哲学的質問にタジタジとしてしまったものの、こういう場合はインスピレーションと思い、

 昭和天皇!? かな・・・

と、答えてしまいました。

 僕は、生まれていたら、大阪万博に行きたかったです。チエさんは、行かれましたか? 太陽の塔、見たかったです。

どうやら、彼はこれが言いたいらしかった。

 彼が去ってから、私は改めて、考えてしまいました。
さっきは、咄嗟に答えてしまったけれど、私にとって「昭和」とは一体何だろう?

私にとっての「昭和」とは、耀き。このブログに書いてあることの全て。
人生の下り坂に来て、振り返る時、なつかしくも、眩しい耀き・・・


 あの本屋さんの外商さんは、なぜか夢見がちの方が多い。
私が、つい定期購読してしまう理由の一つかもしれない。

くじら缶

2008年09月03日 | 昭和なもの
最近では、滅多に見かけないものになってしまった缶詰がある。

鯨の大和煮”だ。

鯨の保護のために、捕鯨禁止になってから、超高級品になってしまった。
あの頃、”さばの水煮缶”より、お値段が高かったものの、”鮭缶”よりはずっと安かったのだ。
そういえば、今では、年中売っている鮭も、冬の食べ物だった。
そして、おばあちゃんは、新巻きサケが食卓に上るたび、必ずこう言っていた。
「昔は、お正月にしか食べられなかった。有難い時代になったもんだ。」

 それに、牛肉なんて見たこともなかったし、豚肉だって野菜炒めに入っている脂身だらけの小間切れ肉ぐらいだった。だから、時折、おじいちゃんが飼っていたニワトリやうさぎを潰して作ってくれるカレーはご馳走だったのだ。

 話が逸れてしまったけれど、あの頃の日本人にとって鯨肉は、牛肉や豚肉の代用となるタンパク源だったわけだ。

 チエちゃんは”鯨の大和煮”缶が好物だった。
給食に出てくるバカ固い竜田揚げなんかより、ずっとずっと、好きだった。
やわらかくて、甘辛い煮汁もおいしかった。寒いときは、煮凝りになってたりして。

え~と、たったこれだけの話なんですけど・・・・

いつも食べ物の話は、チエの想像の中で、完璧においしいものになってしまっていますね。
(ネットで検索すると、結構ネットショッピングで売ってるんですね。偽装じゃないだろうなあ・・・)