チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第44話 あさま山荘事件

2007年02月28日 | チエちゃん
 昭和47年2月28日、昭和史上に残る重大事件の犯人が警察との攻防の末、逮捕されました。

 あさま山荘事件です。
 群馬県山岳地帯に武装潜伏していた連合赤軍は、警察に追われ逃げ込んだ先、軽井沢町の河合楽器保養所「あさま山荘」に人質を取り、10日間も立てこもります。
 その犯人逮捕の一部始終は、テレビで生中継され、銃弾が発砲される音や大きな鉄球が山荘を破壊するシーンを今でも覚えているチエちゃんです。
 記録によれば、その視聴率は民放・NHK合わせて90%弱であったということです。それもそのはず、NHK教育テレビ以外は、一日中「あさま山荘事件」の報道番組を流していたのでした。

 チエちゃんは、おばあちゃんと朝から晩までその放送を見ていた記憶があるのですが、そんなはずはありません。なぜなら、昭和47年2月28日は月曜日、学校のあった日です。おそらく、前日の27日、日曜日にそうしていた事と、その後のニュースで鉄球の破壊シーンや突入シーンを何度も見たせいで、思い込んでいる部分があるのではないかと思われます。

 そして、犯人逮捕後の供述から、更に日本中が驚愕する事件が判明したのでした。
 連合赤軍による集団リンチ殺人事件です。

 あさま山荘事件を起こす以前に、彼らは仲間を集団で暴行、14人もの人を死に至らしめたのです。
その中心となっていた女性が、連合赤軍最高幹部 永田洋子でした。
当時のワイドショーや週刊誌は競って彼女の行状を放送、書き立てたものでした。

 まだ、中学生のチエちゃんには彼らの行動は理解できるはずもありませんでした。

 昭和40年代はとにかく、学生運動が盛んで、東大安田講堂攻防戦や日米安保闘争デモなどが報道されていました。考え方や行動はさておき、日本の将来を真剣に考える若者が多かったような気がします。現在、団塊の世代といわれる方々でしょうか。

 チエちゃんは「あさま山荘事件」を思い出すとき、学生運動の連想と共に妙子ちゃんのことを思い出します。

 妙子ちゃんは物静かで、大人びた少女でした。
そう、「名探偵コナン」に出てくる灰原 哀のような女の子です。
彼女はいつも、詩集や本を読んでいました。吉田拓郎を教えてくれたもの彼女です。彼女は中学生なのにチエちゃんがその存在すら知らなかった深夜放送を聴いていました。音楽を愛し、クラリネットを演奏していました。
 そんな彼女の訃報を聞いたのは、20代も終わろうとする頃の秋のことでした。
自宅アパートの洋服ダンスの中で自殺したということです。
学生運動の果てに、活動家との同棲。そんな彼女に何があったのか。
妙子ちゃんと永田洋子死刑囚がどうにもダブって思い出されるチエちゃんなのでした。

   


第43話 フルーツ牛乳

2007年02月25日 | チエちゃん
 学校の近くには必ず駄菓子屋さんもあったものです。

 チエちゃんの小学校の東側通用門に至る小道の脇には、朝日屋という駄菓子屋さんがありました。駄菓子屋というよりは、本当は牛乳屋さんであったのかもしれません。お店の脇には牛乳ビンを運ぶ木製のケースがたくさん積んであったからです。夏になると、かき氷屋さんにもなりました。

 それでも、5円や10円で買える駄菓子がたくさん置いてありました。
四角い箱に入った丸いガムや変り玉、割り箸の先に付いた練り飴、赤銅鈴の助のいも飴、チューブに入った液状チョコレート、ガラスビンの中の串に刺さった酢いか、口の中でシュワシュワするラムネ菓子・・・・
いろいろなお菓子や風船などのおもちゃが当るくじもありました。歌手のブロマイドも置いてありました。

 そして、パンと牛乳もこの店の商品でした。(こちらが主商品だったのかもしれない)
お母さんが忙しくお弁当ができなかった朝、チエちゃんはお母さんからお金をもらい、登校前に朝日屋に寄りパンを買ったものです。
 このお店はポリ袋に入った菓子パンも売っていましたが、おばさんにお願いすると食パンやコッペパンにジャムやピーナッツバターをたっぷり塗ってくれたのです。食パンは大きくて細長いパンをその場でカットしてくれるのです。これをお昼に食べるのが美味しかった。

 それから、牛乳。というより、乳飲料。
コーヒー牛乳も好きでしたが、何と言ってもお気に入りは、フルーツ牛乳です。
淡いオレンジ色をしており、フルーツと名が付いているものの、その頃チエちゃんが知っているどんなくだものの味とも違っていました。
 あの頃は、牛乳はまだビンに入って売られており、紙製のキャップが付いていました。それをおばさんが専用のふた取り器具で開けてくれ、「はい、どうぞ!」と渡してくれます。
 腰に手を当て、一気にゴクゴクと飲みたい所だけれど、滅多に飲めないフルーツ牛乳は奥のテーブル席に掛け、大事そうにチビチビと飲むチエちゃんでした。

 あのフルーツ牛乳、フルーツオレという商品名で出ているのですが、あの頃の味とはちょっと違っています。何処を探しても売ってないのです。
もう一度、飲んでみたいなあ。
 

第42話 和光堂

2007年02月22日 | チエちゃん
 学校の近くには子ども相手の文房具屋さんや駄菓子屋さんがあったものです。今回は、文房具屋さんのお話です。

 チエちゃんが通う小学校の近くにも文房具屋さんがありました。
屋号を「和光堂(ワコウドウ)」と言いました。
 チエちゃんは、学校で必要な文房具類をほとんどこのお店で購入していました。

 ノート、えんぴつ、消しゴム、三角定規、分度器、コンパス、12色の色えんぴつ、クレパス、絵の具、習字筆、墨汁、習字半紙、工作用紙、竹ひご、木工ボンド、折り紙、・・・・・

 なかでも、消しゴム。チエちゃんは消しゴムを最後まで使ったことがありません。新しい物を買うたび、「よし、今度こそ最後まで使うぞ!」と思うのですが、どの消しゴムも文字通り、いつの間にか消えてなくなるのでした。おそらく、何処かへ置き忘れるか、コロコロ転がって紛失してしまうかのどちらかなのです。
或いは、和光堂に売っているオレンジやピンクでよい香りのする消しゴム欲しさに無駄に使ってみたり、小刀で小さく切って遊びに使ってしまったりするのでした。

 また、絵の具はセット物を売っていたのですが、バラ売りもしてくれました。
特に「白」絵の具。「白」は他の色と混ぜて、赤+白→ピンク、青+白→水色のように使うのですぐに減ってしまいます。大チューブ入りのものをよく買ったものでした。

 そして、そして、チエちゃんは週に1度は必ず、和光堂に寄り道をしました。
それは、和光堂が村でたった1軒の本屋さんでもあったからです。
少女マンガも、少年マンガも、ここで買っていたのです。

 ただ、マンガ本を買うだけではありません。購入できるのは1冊だけですから、あとは立ち読みをすることになります。少女フレンドを買うときはマーガレットを、マーガレットを買うときは少女フレンドをという具合です。

 和光堂のおばさんは美人で、おまけにチエちゃんがずーっと立ち読みをしていても何も言わない良い人でした。
 ところが、おじさんはいけ好かないヤツです。
10分も過ぎると「買うの?買わないの?買わないんなら、立ち読みはお断りだよ」と言って、チエちゃんを睨むのでした。

 でも、ホントはおじさんの言うことが正しいんだと、チエちゃんも分かっているのでした。


 

第41話 火 事

2007年02月19日 | チエちゃん
 カンカンカーン、カンカンカーン、・・・・・
遠くで、鐘が鳴っています。
夢うつつの中でチエちゃんは、早く起きなければと感じています。

急に白熱灯の灯りがつき、チエちゃんは眠い目をこすりました。

 カンカンカーン、カンカンカーン、カンカンカーン、・・・
うつつの世界でも、半鐘が鳴っていました。
何だかきな臭い匂いもしています。

 おじいちゃんが身支度をしながら、

向がいのたげおやんの家が火事だ!様子見でくっから

そう言って玄関に向かいました。

 おばあちゃんとチエちゃんも、寝間着の上に綿入れ半纏を引っかけて、玄関へと急ぎます。きな臭い匂いが強くなってきました。
お母さんも身支度をして二階から降りてきました。

大変なごどになった!かあちゃんも行ってくっから、チエはばあちゃんとこごに居んだぞ

そう言うと、お母さんは向かいのたけおさんの家に出かけていきました。

 玄関のガラスにチラチラと赤い炎が映っています。
残されたチエちゃんとおばあちゃんは庭に出て、お向かいを見ました。

お向かいといっても、間に川と道路、畑を挟んでいるので、100m以上は離れています。チエちゃんの家もお向かいの家も道路から少し昇った山の中腹にあるのです。

 その時、チエちゃんは火事をはじめて見ました。
家が燃えるというのは、もっと轟々と炎をあげて燃えるものだと想像していましたが、こちら側からは、暗い夜空に湧き出すようにもくもくと上がる黒い煙が見えるだけです。
それでも、時折は赤い炎が覗きます。

そのうち、消防車のサイレンが聞こえてきました。
消防団の若い衆が乗っているのです。
一斉に放水が始まりましたが、黒い煙はまだもくもくと上がっています。
そのうち、屋根と軒の間から、竜の舌のような赤い炎が見え始めました。
あぁ、すべてが飲み込まれてしまう!
チエちゃんは、寒さも忘れて呆然とその様子を眺め続けたのでした。

 その後のチエちゃんの記憶はありません。
おそらく疲れて、安全になった頃にまた眠ってしまったのでしょう。

 お向かいの家は母屋が全焼しましたが、幸い家人は怪我もなく無事でした。
風がなかったお陰で類焼もありませんでした。
蔵が焼け残ったので、たけおさん一家はそこでしばらく暮らすことになりました。
 あの時出かけたおじいちゃんとお母さんは、消防車が着くまで、他の人たちと川から水を汲んでバケツリレーをしたのです。

 それにしても、あんなに大きな騒ぎだったのに、弟のたかひろ君は何も知らず眠り続けていたのでした。





第40話 豆炭行火

2007年02月16日 | チエちゃん
 暦の上で春を迎えたとはいえ、東北地方のチエちゃんの村ではまだまだ厳しい寒さが続きます。
 そんな冬の必需品といえば、豆炭行火(まめたんあんか)でした。
ひんやりした夜具に入ると、足が冷たくて、体が温まらず、なかなか寝付けなかった経験はありませんか?
電気毛布が発明される以前、夜具を温め、足を温めてくれたのが行火です。
その燃料として豆炭を使っていたものを豆炭行火と呼びます。

 豆炭は、石炭や木炭の粉を固めた黒い燃料で、直径5cmぐらいの正八面体の角を丸くした形をしています。これを大きくしたものが練炭です。

 チエちゃん家では、家族中でこの豆炭行火を愛用していました。
金属製の四角い箱状の行火は2つに分かれ、ちょう番で繋がっています。
中は石綿が詰め込まれており、豆炭をのせる部分が窪んでいます。
説明より、画像を見たほうが分かり易いです。

 この豆炭行火係はおばあちゃんでした。
コタツの炭火の中に豆炭をくべて、熾します。
その間に、チエちゃんは各部屋から家族中の行火を集め、行火を開けて、昨晩使った豆炭の燃えカスを捨てます。
おばあちゃんは真っ赤に熾った豆炭を火箸に挟んで、一列に並べた行火に入れていきます。
そしてパタンとふたを閉め、金具を止めて、金属が肌に触れないように布に包むか、布製の袋に入れます。

 それから、行火をまたそれぞれの部屋のお布団の中に入れてくるのはチエちゃんの仕事です。
行火はお布団の真中に入れておきます。
そうすると、布団に入った時、ちょうど腰の辺りが温かく、行火を足元へ移動すれば、足も温かく休む事ができるからです。

 ただし、行火はずーっと肌に付けたままにしていると、低温やけどを起こす危険がありました。
チエちゃんも何度か、足が紫色になったことがあります。
でも、ほとんどの場合、朝方にはチエちゃんの行火は足元よりずーっと下の方へ蹴飛ばされているのでした。


第39話 バレンタイン・デー

2007年02月13日 | チエちゃん
 チエちゃんがバレンタイン・デーなるものの存在を知ったのは、中学1年の時でした。
 あの頃のバレンタイン・デーはこんなにメジャーではありませんでした。
デパートやスーパーにバレンタインチョコレートの特設売り場はなかったし、お父さんたちも義理チョコをもらうことなどなかったのです。
ましてや、ホワイト・デーなど論外です。
 やっと、少女雑誌や女性誌がバレンタイン・デーを取り上げ、一部の女の子たちの間で、静かなブームが起ころうとしていた頃です。もちろん、本命チョコだけがやり取りされていたのです。

 そして、チエちゃんも、好きな男の子に女の子から思いを伝えられるバレンタイン・デーに敏感に反応したのでした。

その頃、チエちゃんにはお付き合いをしている男の子がいました。

 てるよし君。

同じ中学の3年生。カッコイイというよりはちょいワル系。
ドラえもんのジャイアンタイプの男の子でした。
お付き合いといっても、田舎のこと、日曜日にデートしたりすることはありません。
学校の休み時間におしゃべりするか、帰り道を途中まで一緒に帰るだけの可愛いお付き合いです。

それでも、恋に恋するお年頃のチエちゃんは大満足だったのです。

 チエちゃんは、2週間前からバレンタイン・デーのプレゼントの準備をしました。
ハンカチにてるよし君のイニシャルを刺繍し、市販の板チョコをそのハンカチでラッピング、可愛いリボンを結んで完成です。

 いよいよ、2月14日がやって来ました。
休み時間に渡そうとしたけれど、てるよし君と連絡がつきません。
チエちゃんはびっくりさせようと思い、前日には会おうと約束をしていなかったのです。
じゃあ、放課後まで待とう!

 ところが、この日は大雪が降ったのです。
学校も、午前中だけで打ち切りとなりました。
昇降口でてるよし君を待ち続けたのですが、とうとう会えずに、チョコレートを渡しそびれてしまいました。
きっと、先に帰ってしまったんですね。
 
 翌日にチョコを渡せばよかったものを、チエちゃんは2月14日の魔力に縛られ、15日にはもう渡すことはできないと純粋に考えたのでした。

そして、渡せずじまいのチョコレートを自分で、食べました。
それは、ビターのちょっとほろ苦い味がしました。

そういえば、あのハンカチはどうしたのかなあ。
ずっと、の2番目の引き出しに入れていたのに・・・。

 
 

第38話 グループ・サウンズ

2007年02月10日 | チエちゃん
 元祖テレビっ子のチエちゃんは、アニメや映画、ドラマだけでなく、歌番組も大好きでした。
チエちゃんが小学校上学年だった昭和42年~44年にかけて、音楽の世界はグループ・サウンズブーム。

 当時、ザ・ビートルズに影響を受けた若者達がボーカルとエレキギター、ドラムで編成したバンドを結成し、人気者となっていったのです。
 人気を二分していたのは『ザ・タイガース』とショーケンがボーカルの『ザ・テンプターズ』です。
「思い出の渚」の『ザ・ワイルドワンズ』や「バラ色の雲」「亜麻色の髪の乙女」の『ヴィレッジ・シンガーズ』、「小さなスナック」の『パープルシャドウズ』、
「好きさ好きさ好きさ」の『ザ・カーナビーツ』、「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」の『ザ・スパーダース』、替え歌でお馴染み「ブルー・シャトー」の『ジャッキー吉川とブルーコメッツ』他にも、たくさんのグループが存在しました。

 彼らは、やはりビートルズの真似だったのでしょう、お揃いのミリタリールック(ナポレオン将軍が着ているような服装)がユニフォームでした。
 そして、これもマネだったのか、グループ名にはほとんど「ザ・○○○○」が付いて、今考えると可笑しいね。

 チエちゃんは、もちろん人気№1の『ザ・タイガース』のファンでした。
タイガースは、ジュリー(沢田研二)ボーカル、トッポ(加橋かつみ)ボーカル&ギター、サリー(現在の岸部一徳)ベース、タロー(森本太郎)ギター、ピー(瞳みのる)ドラムスの5人組です。
ザ・タイガース - goo 音楽
贔屓は、ジュリーと言いたい所ですが、天邪鬼なチエちゃんはトッポでした。
だから、好きな曲は「君だけに愛を」「モナリザの微笑み」じゃなくて、
トッポがボーカルの「花の首飾り」です。

  花咲く 娘たちは
   花咲く 野辺(のべ)で
   ひな菊の 花の首飾り
   やさしく 編んでいた
   おお 愛のしるし 花の首飾り
   私の首に かけておくれよ
   あなたの腕が からみつくように

   花摘む 娘たちは
   日暮れの 森の
   湖に浮かぶ 白鳥(しらとり)に
   姿を 変えていた
   おお 愛のしるし 花の首飾り
   私の首に かけて下さい
   はかない声で 白鳥は言った

   涙の 白鳥に
   花の 首飾り
   かけた時 嘆く白鳥は
   娘に なりました
   おお 愛のしるし 花の首飾り
   おお 愛のしるし 花の首飾り

 学校でのお友達との話題もグループサウンズのことで持ち切りです。
だれだれはジュリーファン、だれだれはショーケンファンときっちり分かれておりました。

 ところが、トッポは途中でザ・タイガースを脱退してしまうのです。
急にザ・タイガースへの興味を失ったチエちゃんは、
『ジ・オックス』の赤松愛ちゃんのファンになりました。(「ザ」じゃなくて、ちゃんと「ジ」になってるんだよ)マッシュルームカットの赤い髪で、女の子のように可愛い子でした。
「ガールフレンド」「スワンの涙」のヒット曲を持つ彼らは、コンサートで野口ヒデト・赤松愛が度々失神し、それを見ていたファンも失神するという事件で、話題に上ったグループです。
 コンサートを見ているだけで、失神するなんて、ちょっと信じられないチエちゃんでした。

 

昭和のアイドルと私 第1回

2007年02月07日 | Bヲタさんの出張投稿
昭和ダイアリー」から出張してまいりましたBヲタです。
よろしくお願いします。
チエちゃんのブログは女性の視点で書かれていますが、私は今回の出張にあたり、「昭和の坊主」という視点で、アイドルについて書きたいと思います。
投稿は全部で4回させてもらいますが、チエちゃんに掲載 してもらえるかは定かではありません(笑)

初めて女性を「可愛い」と思ったのは小学2年生のころです。
正確に言うと、私はマセガキでしたから、幼稚園のころから好きな女の子はいましたが、胸がときめくような思いをしたのはもっと後のことです。

で、誰がときめかせてくれたのか、というと桜田淳子です…。
彼女がデビューした1973年はアイドルの当たり年でした。
そう、「花の中3トリオ」ですね。山口百恵桜田淳子森昌子の3人組。
後にいろんな意味で明暗が分かれちゃいますが、日本中の男性の好みが3分類された、といっていいくらいの人気を誇りました。

ちなみに、この前後男性アイドルも豊作で、「新御三家西城秀樹野口五郎郷ひろみ)」が1971年から72年にかけてデビューしています。
日本 の芸能界でアイドルというものが盛り上がりを見せたのは、70年代と80年代なんじゃないかと思いますが、口火を切ったのは「花の中3トリオ」と「新御三家」と言っていいんじゃないでしょうか?

こう書くと、チエちゃんあたりから「グループサウンズはどうした!」なんてお叱りを受けてしまいそうですが、アイドル+ 歌番組という組み合わせがテレビのゴールデンタイムを支配するようになった、という意味でやはり「花の中3トリオ」と「新御三家」の役割は大きかったと思いますよ!

話を桜田淳子に戻しましょう。
彼女にときめいてしまったのは、1973年の大晦日、「レコード大賞」のときです。
森昌子はデビューが一年早かったのですが、桜田淳子は山口百恵とデッドヒートを演じた末、見事最優秀新人賞を獲得したのです。
このとき、一緒に見ていた両親と兄貴(当時小学6年生)は、「インチキだ!どう考えても山口百恵じゃないか!」などと批判していたのですが、号泣しながら「私の青い鳥」を歌う桜田淳子を見て、不覚にも涙が出てしまったのです。
家族が批判していたのが余計に「火に油を注ぐ」結果となりました。

私はこのとき以来、桜田淳子のファンであることを公言するようになりました。
といってもまだ小学2年生ですから、クラスメイトにそう宣言しても「お前ってスケベだな」なんて冷やかされるのが関の山でしたが。

当時の桜田淳子の映像をyoutubeで探してみたのですが、残念ながら「私の青い鳥」は見つかりませんでした。その代わり、1975年に収録したらしい、「ゆれてる私」がありました。
当時の彼女の可愛らしさをあますことなく伝える名映像だと思います。
リンク:http://www.youtube.com/watch?v=rM60s089EYM

桜田淳子が出ているテレビ番組は可能な限り見ました。
当時はビデオもなく裏番組の録画なんて不可能でしたから、親父の「プロ野球中継」、お袋の「時代劇」と激しくバッティングしながら、ときにはダダをこねながら桜田淳子を見続けました。

ただ、彼女の歌唱力は私から見て年を負うごとに次第に陰りが見えてきました。
なんだか声が震えているんです。また、成人し、大人っぽい雰囲気を漂わせるようになりましたが(当たり前ですね)、それでも私はまだ小学生でしたから、なんとなく桜田淳子への思いが薄れていきました。

その背景には、新たな、そう新世代のアイドルの足音があったのです。
つづく…

お知らせ5

2007年02月07日 | おしらせ
私は、Bヲタさんのブログ「昭和ダイアリー」にゲストライターとして投稿させていただいております。

  いよいよ、本日2月7日(水)

「チエちゃんの昭和めもりーず 番外編 チエちゃんの青春」

最終回がアップされました。

ちょっぴり大人になったチエちゃんをお楽しみください。

     そして、更に  おしらせ 

  Bヲタさんが、この昭和めもりーずに出張してくださいました。

     次の記事をみてね!

  チエ


※ チエちゃんの青春第4回は当ブログ内に再掲されています。       



第37話 恋の季節

2007年02月04日 | チエちゃん
  忘れられないの あの人が好きよ
   青いシャツ着てさ 海を見てたわ
   私ははだしで 小さな貝の舟
   浮かべて泣いたの わけもないのに
   恋は 私の恋は 空を染めて燃えたよ
   死ぬまで私を ひとりにしないと
   あの人が言った 恋の季節よ

     恋は 私の恋は 空を染めて燃えたよ
     夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
     あの人が言った 恋の季節よ

   恋は 私の恋は 空を染めて燃えたよ
   夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
   あの人が言った 恋の季節よ
   恋の季節よ 恋の季節よ 

     (恋の季節:ピンキーとキラーズ - goo 音楽 昭和43年ヒット曲)

 チエちゃんの恋? 残念でした。
この時期は、みぃたちネコの恋の季節。
いつもはコタツの中で眠ったり、チエちゃんの膝の上にいるみぃですが、この季節になるとソワソワし始め、時々ご飯に帰って来るだけで、どこかへ雲隠れしてしまいます。

 夜になると、みぃの元へ何匹かの雄ネコたちが通ってくるようになります。
ギャぉ~ん、ギャぉ~ん、と物凄い声で求愛をしています。
みぃも答えているようですが、どれがどのネコの声やらチエちゃんには聞き分けることができません。
 真夜中には縁の下で、雄同士が激しいケンカをするようになります。
でも、ネコの恋は勝利を収めた雄ネコが成就できるとは限らないそうです。
雌ネコに気に入ってもらえなければ、激しい剣幕で、追い返されることになります。

 みぃの元へ通っていた雄ネコは、
1匹めは、体が大きく、しっぽが短い片目のトラ猫。
2匹めは、白と黒のぶちネコ。まだ若そうです。
3匹めは、みぃと同じくトラに白のぶちネコ、まだ、幼さの残るネコです。

初代みぃのお相手は、チエちゃんには分かりませんでした。

 2代目みぃの恋のお相手は、体が大きく、しっぽが短い片目のトラ猫でした。
彼女は、警戒心の強いネコで、チエちゃんたち家族以外の人には決して近づかなかったのですが、ある時、片目のトラ猫の飼い主さんがチエちゃんの家にやってきたとき、彼女は何と平気で近寄っていったのです。
それで、2代目みぃのお相手が分かったのです。

 「盛りのついたネコ」なんて、あまりよい表現をされませんが、彼らには何の罪もありません。彼らの本能がそうさせているのです。そうしなければ、子孫を残すことができないからです。

 この時期は、隅にまぎれた豆まきの豆を狙って、ネズミたちが暗躍しているのに、みぃはネズミどころではない様子です。