チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ようこそ! チエちゃんの昭和めもりーずへ

はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

第135話 お父さん(その1)

2008年01月28日 | チエちゃん
 お父さんは浅草生まれの浅草育ちでしたが、小学5年の時におじいちゃんおばあちゃんの故郷に一家揃って疎開してきたのでした。
東京下町の食堂屋の生活から、急に東北の片田舎にやって来たのです。
どんな気持ちだったのでしょう?
生活は180度変わってしまったけれど、空襲に怯えずに済む暮らしに安堵していたのかもしれません。
とはいうものの、田舎へ越してからは、朝暗いうちに起きて、おじいちゃんと一緒に草刈の朝仕事の後、学校へ行く日々でした。当時の子供たちは家業の手伝いをすることは当たり前でしたが、この話をよく語って聞かせてくれたことからして、やはり辛かったのでしょう。

 はっきりした性格のヨシヒサ伯父さんが、おばあちゃんとの折り合いが悪く、東京へ戻ってしまったため、後を継ぎ、親の面倒を看ることになったのも、仕方のないことと受け止めていたようです。

 小さな田畑を耕す農業だけでは、食べて行くのがやっとで、現金収入がなかったため、お父さんは若いうちから、出稼ぎに出ていたのでした。
秋の稲刈りが終わると、関東や東海地方の工事現場へと出かけ、春の田起しの前に帰ってきたようです。お父さんは発破の資格を持っていたので、トンネル工事に従事することが多く、昭和30年代後半に東海道新幹線工事に携わっていたことをつい数年前に知りました。
 ところが、チエちゃんはお父さんがいつ出稼ぎに出かけ、いつ帰ってきたのかその記憶がありません。
たかひろ君に至っては、春先に帰ってきたお父さんを見て、「どっかのおんつぁん(おじさん)が来た!」と怯えたという話が残っています。
それだけ、父親というのは、影の薄い存在なのでしょうか。

 ただ、お正月休みに一時帰省した時には、必ず、トランプゲームやかるたとり、双六を一緒に遊んでくれたことを覚えているチエちゃんです。

 チエちゃんとたかひろ君の誕生日は松の内の同じ日です。
珍しい偶然ですが、これはある意味必然とも言えるのかもしれません。
チエちゃんの誕生日の十月十日を遡れば、それは、お父さんが帰ってくる春。
その春を一番心待ちにしていたのはお母さんであったことでしょう。

VOCALIST

2008年01月24日 | チエの玉手箱
私は、泣きたいらしい。
徳永英明「VOCALIST2」「VOCALIST3」を聞きながら、毎日涙している。
ぼーっとしていることも多い。気がつくと、1~2時間が過ぎている。
ヤル気が起こらない・・・
ココロが不調を訴えている。
どうやら、三月に一度の割で訪れる発作らしい。


特に徳永英明のファンというわけではなかったけれど、一昨年の秋、女性シンガーバラード曲のカバーアルバム2枚目が出ると話題になっていたので、「VOCALIST2」を購入してみた。
私の好きなユーミン、竹内まりや、高橋真梨子、山口百恵の曲が入っていたから・・・
私は、しっとり歌い上げるバラード曲が一番好き。
涙するには、最高のアルバムかもしれません。




第134話 てんばたと紙ふうせん

2008年01月20日 | チエちゃん
 昭和40年代のあの頃、毎年小正月の頃に、の何処かのお宅から、
今年はうぢの○○の年直しだがら、飛ばしてくなんしょ
と言って、てんばたと紙ふうせんが届いたものでした。

「年直し」というのは、厄年払いのことで、「厄を飛ばす」という意味で、子供のいる親戚や近隣の家にてんばたと紙ふうせんを配るのが慣わしでした。
「てんばた」というのは、凧のことです。

 昭和30年代には、小正月の夜に子供達が「だんご食いで、こっこ」と言いながら、各家庭を回り、お菓子をもらって歩く、「こっこどり」の風習がありました。その時、厄年の人のいる家庭では、てんばたと紙ふうせんをあげたのです。
チエちゃんが小学生の頃には、この行事は廃れてしまい、てんばたと紙ふうせんを配る習慣だけが残ったのでしょう。

 てんばたが届くと、早速、おじいちゃんが新聞紙を細長く切って、凧にしっぽをつけ、タコ糸も結んでくれます。
それを持ったチエちゃんとたかひろ君は、裏山の畑へ凧揚げに向かうのでした。
たかひろ君に凧を持たせ、糸を5~6m程のばし、準備ができたところで、凧を高く上げて、手を離せと命令します。
一旦は上手く風に乗ったかのように見える凧は、すぐに勢いを失って地上に落下してしまいます。何度やっても、おじいちゃんやお父さんがやって見せてくれるように、うまく凧揚げが出来た例はありませんでした。
それでも、懲りずによくも毎年、裏山へと行ったものだと思い出だします。

 一方、紙ふうせんは、家の中で遊びます。
息を吹き入れて膨らまし、手で叩いて飛ばしっこをするのです。
バレーボールのように、紙ふうせんが床に落ちないように、拾っては相手に飛ばすのです。相手が拾えないように、アタックよろしく力いっぱい叩いてしまうと、パンッと音がして、紙ふうせんは簡単に破れてしまいます。
もう少し、丁寧に扱うのだったと後悔しても、後の祭り、ふうせん遊びは終了となるのでした。

 最近では、和凧も紙風船も見かけなくなり、凧を揚げる子供たちの姿も、全く見かけません。
「年直し」の風習は続いていますが、凧と紙風船の代わりに、厄を落とすということで、食器用洗剤が使われているようです。

お知らせ

2008年01月19日 | おしらせ

いつも「チエちゃんの昭和めもりーず」をご覧いただきありがとうございます。

お知らせするほどの事ではないのですが、もし、「あれっ!チエちゃん、更新どうしちゃったのかなあ?」とご心配くださる方がいらっしゃると、申し訳ないと思いまして、お知らせいたします。

私、思うところがありまして、更新のサイクルを2日おきから、3日おきに変更することにしました。

正直な所、ちょっと疲れました。

コメントをくださる皆さまの所へも、ご無沙汰していますし、ネット散歩もできない状態です。

ミステリーや、好きな歴史関係の本も読みたいので、

すこし、ゆとりを持って、ブログを続けていけたらいいと考えています。


追記(2008/1/20)

今回も、たくさんのコメントをいただき、感謝の気持ちでいっぱいですが、

少しの間、チエをそっとしておいていただけないでしょうか?

勝手なことを言って申し訳ありません。

ブロガーとして、あるまじき行為ですが、

私のわがままを許してください。

しばらくの間、コメント・トラックバックの受付をしない設定とさせていただきます。

第133話 だんごさし

2008年01月16日 | チエちゃん
 チエちゃんがタミ子ちゃん家に遊びに行った時のことです。
タミ子ちゃん家は、チエちゃん家よりも、ずっと古い百姓家屋で、太い柱や梁は煤けて黒光りしています。神棚のそばの一角に、きれいなお飾りがあったのです。

 木の枝に、最中の皮の様なものでできた鯛や俵、打出の小づち、大判小判がぶら下げてあります。枝の先には、丸いおだんごが刺してあります。
これは、チエちゃんちでは見かけないものです。

 家に帰ったチエちゃんは、早速おばあちゃんに尋ねました。

 あれは、だんごさしって言うんだ!おらいでは、やんねげんちょもない

 ふ~ん・・・

 だんごさしは、小正月の行事で、だんごの木(みず木)にだんごやふなせんべいを飾って、五穀豊穣、一家繁栄、無病息災を祈願する行事です。

 今頃になって、あの時「よそではやっているのに、どうしてうちでは、やらないのか?」と聞いておくのだったと後悔しています。
チエちゃん家では、お月見もやらなかったし、だんごさしもやりませんでした。
だんごに関する行事はやってはいけないという家訓でもあったのでしょうか?

 現在では、写真のように神社やスーパーで売っているお飾りを買い求める家庭が多いようです。

 

第132話 成人式

2008年01月12日 | チエちゃん
 その時チエちゃんは、まだ傷心を引きずったままで、成人式だからといって、浮かれた気分にはなれませんでした。
でも、お母さんがせっかく用意してくれた晴れ着を無駄にはできないと思い、鬱々とした想いを心の奥に閉じ込め、成人式へ出席したのでした。

 晴れ着を選ぶときにも、幾種類もの着物を取り出して勧めてくれる店員さんの愛想笑いが鬱陶しくて、投げやりな態度で、「もう、これでいいよ、これでいいから・・・  」と選んでしまったのでした。
「本当に、振袖じゃなくていいのかい?」
「これでいいよ、どうせ着物なんて着ないんだから、もったいないし・・・」

 お母さん、ごめんなさい。
 お母さん自身はできなかったから、せめて娘には精一杯のことをしてあげたい、 振袖を着せてあげたいと思っていたのよね。
 それなのに、適当に訪問着を選んでしまって・・・
 あの時は、私には晴れ着を着る資格はないと思っていたのよ・・・


 会場には、振袖姿の女の子達やスーツ姿の男の子達が集まっていました。
高校を卒業してから、まだ2年しかたっていないのに、チエちゃんはもうみんな全てが遠い世界のように感じていました。

 よう、チエ! 馬子にも衣装だな?

 なによ、失礼ね! そっちこそ、馬子にも衣装でしょ!

一段と背が伸びたみつお君が笑って立っていました。思わずつられて笑ったチエちゃんは、久しぶりに心から笑えた気がしました。

 チエちゃん、久しぶり!

 ああ、みっちゃん、久美ちゃん、のりちゃん、元気だった?

 その時チエちゃんは、クラスメートとは本当によいものだと思いました。どんなに時が過ぎようと同じ時間を過ごした仲間は、あの頃に戻れるんだと・・・

成人式を終えたからといって、急に大人になれる訳じゃないけれど、とにかくやっと、19歳という中途半端な年齢が終わったんだとチエちゃんは思ったのでした。

家計簿

2008年01月09日 | チエの玉手箱
 結婚以来、私はずっと家計簿をつけています。
婦人雑誌の付録であったその家計簿は、雑誌が廃刊になった後も、家計簿だけ毎年発行されており、同じものを使い続けてきました。

 パソコンを購入した時、一時期パソコンでやってみようと挑戦したのですが、不慣れなためにえらく時間がかかってしまい、諦めて、また従来の家計簿に戻り、今もそのまま続けています。

 家計簿をつけたからといって、支出を見直し、節約しようなどという考えは全くなく、ただ、記入するだけで満足してしまっているのですから、あまり意味はないのですが、こんなところにもA型・山羊座の性格が出てしまっているようです。

 それから、この家計簿にはちょっとした日記欄がついていて、その日の出来事なども記入してあるのです。

 なつかしくなって、新婚の頃の家計簿を取り出してみました。

一日、1,000円~2,000円ぐらいの食費。毎日、スーパーに通って、がんばっていたんだなあ、チエちゃん。
あれ、今年は灯油が高いけど、この時も18L 1,500円だ。
高かったね。

あ、ガソリン代の支払い、95,000円なんて書いてある。
そうだった!
結婚する時、実はガソリン代の借金が20万円ぐらいあるって、打ち明けられてビックリした。
二人の給料を合わせても、一月24万円ぐらいの時の20万円ですよ。
それから、毎月少しずつ返して、最後に残りの全額を私の貯金を下ろして、支払ったのでした。
んも~~って、思ったけど、あっちこっち連れてってもらいましたからね。
責任の半分は私にもあるから、しょうがないか~。
なにしろ、リッター3~4のクルマでしたから・・・

 そういうわけで、家計簿には我が家の歴史が刻まれています。
29冊目の家計簿さん、今年もよろしくお願いいたしまする。



掛け軸

2008年01月06日 | チエの玉手箱
 毎年お正月になると、祖父は決まって掛け軸を取り出して、飾りました。
そこには、日輪を背に雲上で微笑む女性が描かれていました。「天照皇大神」の文字もありました。祖父は「テンショウコウダイジン」と読んでいたと思います。
掛け軸はもう一幅あり、そこには一万円札の聖徳太子に似た男性3人がやはり雲に乗っている絵が描かれておりました。
神も仏も区別がつかなかったものの、私はとにかくそういうものを描いた絵に違いないと思ったものです。
それは、祖父が神棚を拝んだ後、この掛け軸に向かっても手を合わせていたからです。

 また、神棚には、年末に熊野神社からもらってきた真新しい御札(半紙)が貼り付けてありました。
「大歳神」「大國主神」「言代主神」と書いてあります。
「大」「神」「言」「代」など子供の私にも読める漢字が含まれてはいたのですが、一体何と読むのか、どんな意味なのか、疑問に思いながらも拝んでいたのでした。

 それがいつの頃からでしょうか。私は歴史に興味を持ち始め、日本神話の世界へも足を踏み入れました。
そこは、八百万の神々の世界。そこに、子供の頃の疑問に対する答えがあったのです。

「天照皇大神」は「あまてらすおおみかみ」、イザナギの子で、太陽を司る高天原を治める女神。「天の岩戸神話」で有名。

「大歳神」は「おおとしのかみ」、須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売命(かむおおいちひめ)の子で穀物神、五穀豊穣を願い毎年正月に各家にやってくる神。

「大國主神」は「おおくにぬしのみこと」、須佐之男命の6世の孫で、国津神(くにつかみ:地上の神のこと)。出雲の神。
「因幡の白兎神話」が有名。大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、大黒様などたくさんの異名を持ち、逸話も多い。

「言代主神」は「ことしろぬしのかみ」、大国主神と神屋楯比売命(かみやたてひめ)の子で、神の言葉を伝える神。国譲りの際、天津神(あまつかみ:天の神のこと)へ服従した。


 私は、宗教に対し深い信仰心を持ち合わせている方ではありませんが、日本人として、日本に伝わる神話を知りたいと思います。
そこには、私たち人と同じように、喜び、怒り、嫉妬し、悲しむ神々の姿が描かれています。

 あの祖父の掛け軸は、私が神話や歴史に興味を抱くことになった要因の一つとなっているような気がします。

第131話 幽体離脱

2008年01月03日 | チエちゃん
 今、思い返しても、一体あれは何だったのだろうかと不思議な思いにとらわれるチエちゃんなのです。

 その年、いつものように年が改まるのを待ち、家族揃って氏神である熊ん様へと初詣に出かけました。
熊ん様の境内は、篝火や焚き火で、明るくなっていました。
氏子の人たちも大勢お参りに来ています。従姉妹の由美ちゃん、洋子ちゃんにも会いました。
今年もよい年でありますようにと、おばあちゃんに倣って拍手を打った後、引いたおみくじは「大吉」と出ました。
世話人の人たちが振る舞ってくれる甘酒をいただいて、今年はよいことがありそうだと考えながら家路につきました。

 一旦家に戻ったものの、チエちゃんはウキウキした気分が抜けきらず、なぜか急に走り出したい衝動に駆られてしまったのです。
そこで、こっそりと家を抜け出し、もう一度熊ん様の方へと走り出したのです。
もう、元朝参りの人たちも引けてしまったのか、ひっそりとしています。
星明りの暗さのはずなのに、ゆく道は白く光って、はっきりと見えています。
チエちゃんには、身体がとても軽く感じられました。息が切れることもなく、スイスイと走ってゆけるのです。
もう、熊野神社の前を通り越し、お寺の方へと向かっています。
途中で、一組の初詣帰りの家族を追い越しました。こんな夜中になぜ走っているのだろうと不審な顔で見送られました。
 
小学校へと続く道の両脇に家並みが見える頃になって、ようやく、こんな夜道を女の子一人で走っているのは危険だと思い始め、Uターンをして、飛ぶように家へと帰ったのでした。

 それから、どうやって布団に入ったのか、翌朝目覚めた時には全く覚えていなかったのです。
単に、初夢を見ただけなのかもしれませんが、それにしては、走った感触や、出会った人たちの顔がリアルに思い出せるのです。
 後に、ああ、あれはもしかしたら、幽体離脱というものではないだろうかとひとり得心したのでした。