昭和40年代のあの頃、新聞配達をするのは少年と決まっていました。
毎日、早朝の配達を続けることは、その子の精神面でもよいことだし、お小遣い稼ぎにもなるので、世の中には推奨するような雰囲気がありました。
ちょうど、歌手
山田太郎の「新聞少年」がヒットしたこともあるでしょう。
チエちゃんは、我が家に新聞を配達してくれるその子の顔を見たことはありませんでした。
チエちゃんがまだお布団の中でぐっすり眠っている5時台に届くからです。
ある年の大晦日、お母さんがお年玉の準備をしているのを見かけました。
「それ、誰にあげるの?」
「これかい?新聞配達のお兄さんに。少しだけどね。
毎日、配達してくれるから、お年玉をあげようと思ってね。」
ああ、そういうことか。
新聞配達のお兄さんに会いたいと思ったチエちゃんは、元日の朝、暗いうちに起き出しました。
パジャマにはんてんを羽織ったチエちゃんがこたつで待っていると、
玄関で「おはようございます」とあいさつが聞こえました。
急いで出てみると、お母さんがお年玉をあげている所でした。
ジャンパーに毛糸の帽子、マフラー姿のお兄さんは一度辞退したものの、お母さんが「これはお礼の気持ちだから」というと、うれしそうに受け取りペコッと頭を下げ、次の配達先へと去って行ったのでした。
なんだか清々しい気持ちになり、私も大人になったら、新聞少年にお年玉をあげよう。
そう思ったものでした。
でも、現在では我が家も実家も新聞を配達してくれるのは、少年ではなくおばさんです。
少子化なのか、過保護なのか、時代の流れなのか・・・
実家では、現在の配達の方が辞めてしまったら、新聞はどうなるのかと心配さえしています。