チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第171話 おじいちゃんの形見

2009年09月27日 | チエちゃん
 それが、四十九日であったのか、一周忌であったのか、チエちゃんの記憶は定かではありません。

 おじいちゃんの身の回りの品物や衣類を整理・処分することになり、親戚が集まった機会に、ごく近しい人にだけ、形見分けが行われたのでした。
形見分けといっても、おじいちゃんには値打ちのある持ち物などありませんでしたから、それぞれ思い出となるような品物を選んで持ち帰ったようでした。

 お客さんが帰ってから、チエちゃんも思い切って、形見分けを申し出てみたのでした。
ヨシヒサ伯父さんや、トシ子叔母さんがいる前では言い出し難かったからです。
それに、お父さんはダメと言う可能性の方が高いと思っていたからです。

「私も、じいちゃんの形見に、あの大入りの額、もらえないかな・・・・」
「ああ、あれか? いいよ。 あれをチエにやるよ。
 一枚板だからな、良い物なんだ。」
「ほんとに、いいの? ありがと。」

 それは、おじいちゃんが昔、浅草で食堂を経営していた時、お店に飾っていた大入りの祝額でした。疎開する時に捨てられず、持ってきたものなのでしょう。
そんな思い出の詰まった祝額を、お父さんがあっさりと嫁いでしまったチエちゃんに渡してくれたことは、意外でした。

 それからついでに、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみました。
「『富山』って、店の名前だよね? どうして、富山なの?」
「ああ、それはな、じいちゃんが店を譲ってもらった前の経営者が、富山県出身の人だったんだよ。店の名前を変えずに、そのまま使っていたのさ。」
「なあんだ、そいうことだったのか!」

 浅草「福芳」さんから「富山」さん江

疑問は、簡単に解けたのでした。

 チエちゃんは、今でも考えるのです。
これは、私が持っていて本当にいいのだろうか、と。
実家に置いておくべきものなのではないだろうかと。

 今日、9月27日は、おじいちゃんの三十回忌です。

ソーセージ

2009年09月23日 | 昭和なもの
 チエちゃんたちの年代で、ソーセージといえば、この魚肉ソーセージを思い浮かべる人も多いだろう。
本物のソーセージなど食べたことがなかったから、ソーセージとはこういうものだと思っていた。


 あの頃、冷蔵庫のなかったチエちゃん家では、保存のきく便利な食物であっただろうと思う。
 おじいちゃんが作るカレーには、絞めた鶏のお肉といっしょに銀杏切りにしたこの魚肉ソーセージが入っていたし、オムライスの中のチキンライスもどきにも鶏肉代わりとして入っていた。チャーハンの焼き豚代わりにも、みじん切りにしたそれが入っていた。
もちろん、お弁当のおかずにも、フライパンで両面を焼いた魚肉ソーセージが入っていた。
 おやつに丸ごと1本もらえた時には、それはもう、うれしくて、弟とゆっくりゆっくり味わって食べたものだ。



 ヒロシは買い物についてくると、この魚肉ソーセージをカゴに入れる。
そして「これさぁ、塩コショウして焼いて食うと、うまいんだよなあ」と、必ず言うのだ。

 かくして、休日の中年夫婦の昼餉は、焼き魚肉ソーセージと相成った。

裏磐梯

2009年09月19日 | チエの玉手箱
 シルバーウィーク初日ということで、裏磐梯へドライブに行きました。
目的地は、五色沼入り口にある諸橋近代美術館
平成13年福島県建築文化賞優秀賞を受賞したステキな建物です。

 サルバドール・ダリの作品を主に展示しています。今回は、新たな収蔵作品ピカソ3点を公開してます。
作品は撮影禁止なので、せめて入場券だけでも・・・
ダリって、変なおじさん。作品もヘンだけど、不思議に惹きつけられます。

  

 このあと、桧原湖近くのBandia(バンディア)ハーブガーデンで昼食。
パン、ハーブ入りソーセージ、ハーブティーは、すべてここの手作りです。
ガーデンテラスで、いただきました。シーザーソースがおいしかった。

  

ハーブガーデンです。左側にチラッとテラスが見えています。
「バンディア」って名前ですけど、「ばんだい」が訛った「ばんでぇ」からつけたと思うんですよねえ。
  





母の電話

2009年09月15日 | チエの玉手箱
 少し耳の遠くなった母からの電話は、彼女の身の回りの出来事を一方的に話す。
私がうんうんと相槌を打つのも、聞こえているのかどうか疑問だ。
 それでも、娘にだけ話せる愚痴もあるのだろうと、聞き役に回る。
大概は、金曜日か土曜日の夜の早い時間に掛けてくるので、私もなるべく付き合ってあげることにしている。
もう、父は寝てしまったのだという。へんな所で、親子って似るものだなあと思う。(祖父も早寝をする人だった。)

 前回の電話は、不動さまのヨッちゃんが亡くなり、東京で暮らす息子と娘たちが帰ってきて、大層立派な葬儀を出したのだと言う。

 「不動さまのヨッちゃん」というのは、同じの不動様の近くに住居を構えるおばあちゃんで、ご主人を亡くされてからずっと一人暮らしをしている人でした。私の祖母と同じ年齢ですから、もう90歳を過ぎていたでしょう。
このおばあちゃんはお料理が得意で、若い頃から、で祝儀や不祝儀があると、まかないのお手伝いを取り仕切る役目の人でした。

「じゃあ、これから何かあったら、困るね」と、大きな声の私。
「いや、それどころじゃないよ。もうここは、年寄りばかりで、お手伝いもままならない。
私たちに何かあったら、ヨッちゃんみたいに立派な葬式じゃなくていいから、ご近所の人に教えてもらって人並みにやっておくれ。葬式代くらいは貯めておいたから。」
「はい、はい、分かりましたよ。」

 それから、通院している病院のことやら、トシ子叔母さんは足腰が痛いと言いながら今年は茄子を作ったこと、弟が昇任試験の勉強で忙しく、この夏には墓参りに来なかったこと、そんなことを30分以上も話し、満足したのか、ようやく電話は切れた。

喜多方ラーメン

2009年09月07日 | チエの玉手箱
 息子たちが小学生の頃には、当時のラーメンブームに乗せられ、年に一度は喜多方ラーメンを食べに行ったように記憶しています。
どの人気店が美味しいのか、毎回違うお店を選んでは、食通でもないのに、ここのラーメンは麺がどうの、スープがどうのと批評しあったものでした。

 昨年夏、二男が喜多方市に転勤し、美味しいラーメンが食べられると楽しみにしていたのに、外食というと息子はご飯ものが食べたいらしく、なかなかチャンスがありませんでした。
今回は絶対ラーメンを食べようと決めての訪問です。

 それで、やっとありついたのが、写真のラーメン。
喜多方ラーメンは『老麺会』というラーメン屋さんの組織があり、ここの加盟店なら、ハズレることはありません。今回も、もちろん老麺会加盟店です。

 でも、あれ~、喜多方ラーメンって、普通のラーメンでもチャーシューがたくさん乗ってるんじゃなかったっけ?
ラーメンブームはとうに過ぎ去り、ここにも不況の波は押し寄せているのかと思いつつ、箸を取りました。
喜多方ラーメンは鶏がらスープのこってり系ですが、このラーメンはあっさりスープで、ハズレてしまいました。

 う~ん、敗因はつい好みの塩ラーメンを注文してしまったせいかな?
喜多方ラーメンの王道は、しょうゆ味ということを忘れてたぁ

トムとジェリー

2009年09月03日 | 昭和なもの
書店の店頭ワゴンに並んでいた写真のDVDを衝動買いしてしまいました。
2枚組980円という安さもうれしい。

子供の頃、「トムとジェリー」が大好きでした。
私だけでなく、家族そろって大ファンだったと思います。

無声映画のように映像だけで見せる面白さ。
豪華な応接セットやベッド、システムキッチン。プール付の家。
そんなアメリカの家庭へのあこがれもいっぱい詰まっていました。
中でも、ジェリーの好物、あの穴の開いた四角いチーズというものを一度で良いから食べてみたいと思ったものでした。

この作品は、日本での著作権保護期間が終了したアニメだそうで、それでこんな値段で提供されるのだと納得しました。
昔の作品が見られるなんて、こんな時代が来るとは考えてもいなかったなあ。

しばらくは、これで楽しめそうです。

トムとジェリー 「夜中のつまみ食い」