プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●心の貧困

2005-08-18 10:51:56 | 日記・エッセイ・コラム
 今の日本人に一番必要なことは、わが身を謙虚に見つめ直す心ではないだろうか。毎日のように殺伐とした事件が起きている。事件とまではいかないまでも、非常識がまかり通っているようである。

 8月16日、宮城県沖地震が発生した時、乗客の反応の違いをテレビでみた。新幹線がストップし、駅員に怒りをぶちまけている光景。「いつ、動くのか!お腹が減っているのに弁当も水も出してくれなかった。今後の対応はどうしてくれるのか?」と。地震という予期せぬ事態が発生し、JRも必死の対応をしている状況下で、自分の空腹を満たしてくれないとは何事かとなじる女性の顔がみにくかった。

 夏休み期間中、海や川での溺死事故が後を絶たない。波が高いので遊泳禁止との制止を振り切って、サーフボードで沖合いへ向かった青年が波にのまれ救出された。曰く、「波が高くないと、サーフィンが面白くないから、、」と。その青年は、レスキューに従事する人達の苦労をどう受け止めていたのだろうか。

 町内の児童公園で、滑り台から落ちて膝をすりむいた子供に、母親が「この滑り台危ないわねえ。落ちないようにヘリを高くしてもらいたいわ」と。設置・管理している自治体の責任と言わんばかりだった。

 こういった事象は、ささいなことかも知れないが、日本人の心の貧しさが浮き彫りになったみたいで寒々しい気持ちになる。最近、日常生活の中に自己責任が欠如した言動が蔓延していると思えてならない。タバコのポイ捨て、車から空き缶を投げ捨てたり、ゴミの収集日以外にゴミを出す等々、いずれもマインドの貧困さが表出したものでしかない。誰かが後始末をすると勝手に思い込んでいるから、自分の欲求を満たせないと不満を口にしてしまう。反面、自分に関係ないことには、やけにおおらかになる。裏返せば、豊かになったために、贅沢になれ、謙虚さを失った傲慢さではないのかと思う。自分の欲求が満たされないと、他人のせいにする。社会が悪い、政治が悪いと批判するが、そういう層に限って、社会ルールに反したり、マナーに欠けている人が多い気がしてならない。

 これからの日本をどう変えて行くのか、自分自身で各政党の公約を斟酌し、9月11日には貴重な一票を投じたいものである。そして、政治家には「何をどうする」だけでなく、「いついつまでに完結させる」と、時期を明確にして欲しい。そうでないと、4年目に入った今頃、「こんな程度の改革(郵政民営化)が出来なくて、大きな構造改革が出来るのか?」と平気で開き直る横暴を許すことになる。「構造改革の後には、痛みだけが残った」ということがないように願っている。