ホクレアの不思議

2007年09月11日 | 風の旅人日乗


ハワイ人たちの宝物=ホクレアとそのクルーたち=を、
日本の海のプロとして絶対に守る、
無事な姿でハワイに帰ってもらう。

そう決心して、ホクレアの日本航海の、
海上運航の部分だけに関わり、
クールに航海の補佐を完璧にすることだけに徹するよう、
自分を厳しく律してきたつもりだったのに、ホクレアは、
秘かに恐れていた通り、
ぼくの内部に強烈な何かを残したまま
ハワイに帰っていった。

その何かに向き合って、
とりあえずそれを文字にしてみることを、
出版関係の友人に勧められた。
メモの段階でいいから
ウエブ雑誌にも書いてみないか、
と誘ってくれる人も現れた。

なのに。

今年の夏の暑いさなか、
ぼくは本来のセーリングの仕事をほとんどすべて断って、
その作業に没頭した。

したつもりだった。

なのに、
キーボードの前に座ると、
頭に浮かんでくるのは、
どうあがいても言葉の断片だけだった。

失語症と言う病名をこういう場所に使うことは、
この病に苦しんでいる人に対して失礼で、
しかも適切ではないのだろうけど、
思考が言葉に繋がらない、

言葉の断片が言葉の断片と繋がらず
文章になっていかない、
その、もどかしさ。
その、不思議。

俺なんかが、
自分のためにという名目はあるにせよ、
ホクレアについて書いていいのか?、
その資格はあるのか? 
という不安もフツフツとわいてくる。

キーボードを前にして呆然としているうちに、
暑くて、汗が気持ちがいいほど吹き出てくる最高の夏が
一瞬のうちに去って行った。

大好きなブログ『ホクレア号、西へ向かう』
を覗いてみると、
westさんが、再び
シャープな分析力で、
ホクレアについて語り始めていた。

相変わらず、的確な視点を保持して、
ホクレアとそれを取り巻く諸々を、
広い視野で観察している。

そうだったよな。
westさんが決心しなければ、
日本側の最初のひと転がりは、
始まらなかった。

westさんのスタンスは、
熱くなるべきときには熱く、
冷静になるべきときには冷静に。
変幻自在に主観と客観を入れ替える。

優れた編集者ならではの資質なのだろう。

創刊されたばかりのウエブマガジンに
いきなり穴を開けてしまった。

このことに関して
周囲と関わりを持ってしまった以上、
社会的な迷惑をかけないためにも、
これ以上書き始めることを遅らせるわけにはいかないし、
このプレッシャーに後押しされるのを、
甘えた気持ちで待ってたような気も、
しないではない。

そう、
経験した者が書くことでしか
伝えられないこともある。
そのことを拠りどころにして
書く勇気をふりしぼってみようか。

優秀な競技セーラーでありながら
多くのファンを持つ時代小説作家でもあった、
尊敬していたセーリングの先輩が
この日曜日、
突然死んだ。

セーリングのことも執筆のことも、
後ろ髪を引かれる思いで、
この世を後にしたことだろう。
辛かったことだろう。

ぼくだって、
この先に有り余る時間が約束されているわけではない。