海から東京

2011年05月21日 | 風の旅人日乗
朝から南風が吹き上がってきた相模湾で、
ヨット専門誌KAZIで
ワタクシが担当させていただいている連載の、
セーリング試乗取材。

ヴィッテ14号艇の、葉山マリーナのプルメリア。
オーナーの皆さんの絶大なご協力を得て、
ハワイ、ホノルル沖の海面を、
4分の3ほどに縮小したような波の中、
最高に楽しいセーリング。

午前中の気持ちのいいセーリングで、
海のしぶきをたっぷり浴びたけど、
シャワーを浴びる時間のないまま、
慣れないスーツとネクタイに着替えて、
東京へ。

今年度から日本セーリング連盟名誉会長に退かれた
山崎達光氏の、
これまでの日本セーリング界へのご貢献に感謝する、
有志たちによるパーティー、というか、飲み会。

道が空いていて、予想よりも早く東京に着いたため、
浅草に。
菊正宗の燗をもらって、一息入れて
軽くざるをいただいて、
なんてことを計画していた並木の藪蕎麦が、
なんと、あの由緒正しい建物を壊して新築工事中。
あーあ、またひとつ東京の大切な建物がなくなった。
池波正太郎が座った席が消失してしまった。

ずいぶん思い切ったことをしたものだけど、
どうしてなの?
先の地震で、
建物を壊さざるを得ないくらいの被害でもあったのだろうか。

仕方ないので、蕎麦をスキップして、
田原町の東本願寺まで歩き、
そこにある、ハワイの友人、まこっちゃんの
お墓参り。

本来は、まこっちゃん安らかに、
とお参りしなければならないのに、
ここに来ると、いつもまこっちゃんを安らかにさせずに、
こちらの世界にいる側からの願いごとを強要する。

これからもできるだけ長い間、
オイラがセーリングの仕事を続けられるように、
オイラを守ってね、という、とても自分勝手な願いごと。
悪いね、まこっちゃん。

そのあと銀座に出て、
交詢社クラブで行なわれた山崎さんのパーティー。
とても盛会で、いろんな人たちと話すことができて、
とても幸せな時間だった。

交詢社ビルは新しく立て直されたけど、
ワタクシのヨット界人生のスタートになった記念すべき会社は、
この場所にあった、重厚な旧・交詢社ビル7階に入っていた。

あのころ、仕事の後は、
ビルの一階にあったビアホール、ピルゼンで、
先輩たちに、毎日山のようにビールを飲ませてもらったなあ、
なんて思い出に浸りながら、葉山に帰る。