今から30年前の今日にあたる1994年4月22日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
2団体ヘビー級戦:
挑戦者マイケル モーラー(米)判定2対0(116-112、115-113、114-114)IBF/WBA王者イベンダー ホリフィールド(米)
*この試合が行われる前年1993年11月、宿敵リディック ボウ(米)に僅差の判定勝利を収め世界ヘビー級王者に返り咲いたホリフィールド。当時、世界ヘビー級王座から転落し、再び世界のベルトを腰に巻くことは非常に稀な事でした。ホリフィールドはフロイド パターソン(米)、モハメド アリ(米)、そしてティム ウィザスプーン(米)に続く僅か4人目という偉業を達成したことになっています。
王座に返り咲いたホリフィールドが迎えたモーラーは、これまでにマイナー団体WBOのライトヘビー級とヘビー級を獲得してきた選手。ライトヘビー級時代には、9度の防衛戦をすべて規定ラウンド内で終わらせてきた(KO/TKO)強打者でした。ヘビー級に転向後は、対格差のアドバンテージが無くなったため、強打に加え技術力もアップ。最重量級に転向後も、積極的に強豪選手たちと拳を交え、全勝記録を35(30KO)に伸ばしていました。
(世界ヘビー級王座に返り咲いたホリフィールド(右)が、サウスポーのモーラーを迎えた一戦)/ Photo: KO Fight Posters
現在はオレクサンデル ウシク(ウクライナ)をはじめ、優秀なサウスポー(左構え)の選手が存在する最重量級。しかし30年前までは、長いヘビー級史上サウスポーの世界王者は存在しませんでした。ジョー フレージャー(米)は左利きでしたが、リング上ではオーソドックス(右構え)で戦っていました。ロッキー バルボア(米)は、アポロ クリード(米)を破り世界のベルトを腰に巻くことに成功しましたが、それは映画の話。そしてサウスポーの世界王者が存在しないに加え、左構えの選手自体希少価値のある存在でした。
(世界ヘビー級史上初(!)のサウスポーチャンピオン ロッキー バルボア)/ Photo: Wikipedia
2階級下のライトヘビー級から乗り込んできたモーラーは、そのサウスポーの選手。ホリフィールドにはプロ、アマを通じて長いキャリアがありましたが、サウスポー選手との対戦となると実に8年ぶりの事。苦手云々以前に、サウスポーとの対戦経験が乏しいというのがどうしてもディスアドバンテージとなってしまいます。
案の定、右構えの選手との対戦時と比べ、どことなくやりづらそうなこの日のホリフィールド。それでも2回、右ショートからの左フックで先制のダウンを奪っています。
(あっさりとダウンを奪ったホリフィールドでしたが...。)/ Photo: BoxRec
序盤戦でホリフィールドがダウンを奪い、モーラーは打たれ脆さで知られた選手。このまま王者がペースを握り、あるいは「早い段階でのKO/TKO勝利もあるのでは?」とさえ思わせるような試合展開になる予感がしました。しかしその予感は大きく外れる事となります。
(攻勢を取るも、中々波に乗れないホリフィールド)/ Photo: the Fight City
中々波に乗れないホリフィールド。体は引き締まっており、普段通りの筋肉で覆われた上体もいつも以上に逞しく見えました。しかしコンディション調整に失敗したのか(オーバーワーク?)、足に全くと言っていいほど力が入っていません。得意のコンビネーションも続かず、バランスの良い選手として知られるホリフィールドが何度もバランスを崩す場面がありました。
この日のホリフィールドは、コンディション云々以前に、元気がありませんでした。ボウとの2連戦を境に、髪の毛の薄さも目立つようになります。また、この試合後に心臓に問題があることが発覚し、「健康状態が悪いのでは?」と危惧されるニュースが飛び交うのもこの時期からです。
不調のホリフィールドを尻目に、モーラーはシャープな右ジャブを丁寧に突き続け、マイペースながらも試合の流れを完全に把握。最後まで安定したボクシングを披露し、僅差の判定ながらも明白な勝利を収め王座奪取に成功。同時に、ヘビー級史上初のサウスポーの世界王者としてそんなを歴史に刻むことになりました。
(丁寧な右ジャブで、ホリフィールドを破ったモーラー)/ Photo: Facebook