定演を控え、合奏の仕上げに余念がありません。まだまだ間があると思っていても、気づけば後数日しかないのです。
午後、正味3時間半くらいは有ったでしょうか。
集中力が持たなくなってるように感じます。終了前あたりは、オタマジャクシが重なったり、勝手に移動したり、点滅したり(老眼、錯視?)、音符を追えないのです。
いつもの講師と違う講師の下、表現力が違ったり、テンポが早かったり。
今どこ?えっ?もう終わったの?また、置いていかれたわ~。
こんなんじゃ間に合うのかしら、なんて不安をもらせば、”大丈夫。講師陣が交じってちゃんと演奏は勤めるから。”
それって有り!?そりゃ素人集団の聞き苦しいアンサンブルより、最後までしっかり聴かせてもらうほうが、お客様にとっては良いことでしょうが、なんか趣旨が違うんですよね。
もちろん努力はしていますよ、できないところは繰り返し繰り返し、おそらく家人はもはや近くの工事現場の騒音並みに、音の存在から逃げられないからと、感性を鈍くして耐え忍ぶしかない、という自己防衛ができていると思います。
こちらも一応、気は使ってるつもりですが。
それでも好きなんですよ、フルートが。中学生の頃、ジャン・ピエール・ランパルを知り、まずは音色に魅了され、次はフルートを構える姿がカッコイイと思ったのです。(自分の姿は想像してもみませんでし、今も自分の姿が映るビデオは目を背けます)
それと自分のアンブシュアがフルートに向いているかもしれない、という勘違い。
何とかの横好きで、かれこれ30余年。ブランクも長いのですが、今は生活の軸になっているかもしれません。それでも、時々、こんな事をしてても良いのかな、と迷いはしょっちゅうです。
それにしても、曲目の一つに綺麗な旋律だけれど、暗い地底に引き込まれていきそうな曲があります。ちらりと聞こえたんですよ、葬送行進曲みたい、って。誰が言ってるの?
講師の1人でした。
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