ブログを始めた当初から懇意にさせてもらっているkiriさん(私が勝手にK騎士団のメンバーに入れてます・・・)のブログで、ロールベールが紹介されていた。私にとって北海道は見るもの知るものがすべて珍しく、このロールベールについても、さっそく勉強をさせてもらった。
<o:p></o:p>
牛さんの飼料だということは、もちろん知っていたのだが、その草がイネ科で、しかも料理を作るように醗酵させているのだと始めて知った。無知と云うのは恐ろしい。サイロは干草を単に保存するだけのものと思っていたのだ。このロールベールを密閉状態になるようにビニール帯を巻きつけて、その中で醗酵させるらしい。サイロの代わりなのだ。そして牛さんにおいしい料理になるように、醗酵させた飼料を各種配合しているのだとも知った。
<o:p></o:p>
酪農も進化しており、北見の怪鳥さんもこのような仕事をしているのだなぁと少しばかり視野が広がって(自己)満足したのだが、ふとそのページに根釧台地の巨大防風林という記事が載っていた。
<o:p></o:p>
<o:p>根釧台地の航空写真</o:p>
<o:p></o:p>
このような記事は絶対と云うほど見逃さないケンさんです。早速調べてみた。するとびっくり。グーグルの地図ソフトで道東を見ると、四角の碁盤のような目があって、不思議だな、と思っていたのだが、それが防風林だったのだ。1辺3キロ強に仕切られた升目で、その仕切り線が幅180mの防風林だったのだ。
<o:p></o:p>
北海道開拓の折、道東は気温が低いこともあって、酪農で暮らしを支えることになったらしい。それもアメリカばりの機械化を意図して。グーグルの地形図をみると、やはり縞模様は防風林であることが判る。グーグルの地形ソフトはすごいものだなぁ、とあらためて感心した。そして我が家はどうなっているのだろうか、と住所を打ち込んで検索すると、ちゃんと小さいながらも我が家がはっきりとわかったのでそれにも満足したのでした。
空から自分の家を見た感動は
とても計り知れないものですね。
懐かしい▲年前の映像などなど
貴重なモノクロ映像にも
ただただ感動します。
生のものをロールにしてビニールでくるむタイプのものは発酵させます。
サイロにつめるものも同じ発酵をさせます。
この時の発酵は乳酸菌。
サイロの場合は乳酸菌の種を混ぜたりします。
生ロールはさすがにそれは出来ないので一個一個出来が変わって牛が喜ぶかどうかは一個一個違ったりします。
まぁ、同じ畑で同じくらいに採ったものは同じになりますが。
面白いですね。ああやって、ポコッとでてくるんですね。
北海道だけではなく、こちらにもあるんですよ。
しかもごくご近所に。
20年近くバイパス建築用地として放置してある大きな道の中央の草原。
上り線と下り線の間の「植え込み」なんですが、ちょっとしたボール遊びだってできそうな広さなんです。
そこで、毎年2回位、草が綺麗に刈られて、ロールベールが登場するんです!
いつか作っているところに遭遇しないかなぁ・・・と思っていたので、思いがけなくみる事が出来て嬉しいです
なぜかその時だけ、北海道にいあるような気分にさせてもらってます。
視界を超限定的にする必要がありますが。
それにしても3km毎に区切られた防風林って、ものすごく綺麗ですね!!
不思議な光景です。
懐かしい~~ すっかりサイロ見なくなったなぁ~
ロールになったものが そのまま放置されていて
酪農家の友人に訊ねたら 同じ回答が…
そして、黒いビニールの廃棄が大変って~
当時は、生の牛乳も頂けて 幸せな暮らしでした♪
グーグルで実家の御殿をご覧になった感想ですね。お~!、ちゃんと写ってる!というところでしょうか。今はマンションだから、感慨も少なめ?
でも、家族の安らぎの場ですね。毎日が楽しく、元気に過ごせることをねがっています。毎朝のお弁当づくりは大変でしょうが。
勉強させてもらいましたよ。怪鳥さんの苦労も少しは理解できます。でも、苦労よりもそれ以上に得る楽しみ、というか歓びが多いように感じました。飼料の配合はどうしよう、愛ちゃん(牛さんの名前です!)の乳の出が悪いので、もっと運動させなければ・・・とか。乳搾りは私、得意のはずなんだけどな!
広島にもロールベール、あったのですね。驚きです。北海道や東北だけのものかと思ってました。牧草も雑草じゃなくて、栄養価の高いイネ科だったのですね。知らないものだから、これにもびっくり。実ができない稲なんて!
防風林、原生林なのでしょうが、よくぞ残してくれました。開発指導された役所の人が偉かったです。貴重な財産ですものね。
14年前、というと厚岸にお住まいの頃ですね。生の牛乳を? それで子供さんたち(kyonさんとhalパパさん?)が元気に育ったのですね。牛さんに感謝しなくては。 でも、生乳は飲みにくいとかきいたことがりますけど、子供たちはアレルギーじゃなかったようで、良かった。
当時は幸せだった? 子育てで無我夢中だったのでしょうね。今は余裕があって、幸せの度合いが違うんですよ。でも若いということだけで、幸せだと思うようになりました。
50,60まだつぼみですよ!
wanikoは、中標津町に住んでました~
21歳までは、納沙布岬で有名な市で育ち
釧路市で結婚し約1年、昭和56年4月から330度見渡せる開陽台のあるこの地で子育て(^_^)v
生まれたのは 小樽市です~
海の側で生まれ、育ち なぜか子育ては内陸の地
野性味溢れる 子育てを満喫しました!
ごめんなさい。間違って覚えてました。納沙布と釧路のほぼ中央と思ってたので厚岸だと。
小樽で生まれて、道東で青春を謳歌し、今は札幌(開陽台って札幌でしょう?)で友人たちと若人顔負けの青春を! 北海道の地理には疎いもので、これからも的外れのコメントを書くかもしれません。教えてくださいね。