師走の風景として数家族が集まって石臼で餅を搗く、という記憶がある。なぜか、餅つきの時は粉雪が舞っていた。朝早くからレンガで組み立てたカマドに大釜を乗せ、薪を燃やして湯を沸かすのが子供の頃の私の仕事だった。そして中学校になるころには私も杵で搗くことが許されたが、微妙なリズムが必要な3人搗きや手取り搗きまで出来るようになったのは高校に入ってからだと思う。それから、娘たちが高校性くらいになるまで、ずっとぺったんぺったん餅つきをしていた。<o:p></o:p>
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餅つきの主役は手取りで、その役はずっと家長である親父がしていたが、私が30代になるころに私が引き継いだ。臼が冷めないように間があるときは湯を浸したり、釜に掛けたせいろの湯気状況を視ていて薪の燃え具合を指示したりと、餅の出来栄えにつながる結構重要な仕事だった。弟たちも私の言うことをよく聞いてくれたので助かった思いがある。最盛期には我が家だけで2斗、弟家族や親せきなどが入って、20臼くらい搗いていたのではないだろうか。朝早くから夕方まで、それはもう大仕事だった。男衆は餅つきの合間には茶碗酒で景気を挙げ、女衆は丸め役とせいろの準備だ。搗きたての酢餅はいつ食べてもおいしかった。<o:p></o:p>
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そんな餅つき風景も、もう10数年前に餅つき機に代わった。隣家ができて、餅つき場所がなくなったのと、我が家の建て替えが始まったからだ。残念だが仕方ない。それに食習慣も変わって、餅も正月のお雑煮くらいしか食べなくなった。<o:p></o:p>
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日曜日、その餅つきだった。娘たち2家族も我が家に集まった。餅つき自体は餅つき機に任せればよいので非常に簡単だ。ただ、その準備は結構手間がかかる。倉庫からもろぶたやザル、ポリバケツ、丸め用のチャブダイを取出して水洗いしておき、前日にはもち米をきちんと測って、1回ずつの分量に区分けして研いでおかなくてはならない。この仕事は妻との共同作業だが、今年は私が引き受けた。餅つきを挟んだ土曜と月曜にゴルフという引け目があったから。とは言っても、そんなに大層な仕事ではない。<o:p></o:p>
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餅つきが始まって、和音君と奏汰君も興味深そうに眺めていた。最近はずいぶん聞き分けというか、大人の言うことが分かるようになり、機嫌がいい時は手がかからないようになった。餅取り粉が服に着くから、レジャーシートの中に入ってはいけません!と注意すれば、きちんと守ってくれた。<o:p></o:p>
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餅は3臼(7.5キロ)しか搗かなかったので、昼前には終わってしまった。今年は餡餅もしなかった。餡餅は固くなると食べる人がいないのだ。後かたずけも早々と終って、孫たちも引き上げた。なんとなく、大行事が済んでしまった感じだ。 残りは大掃除。これは・・・大変だ。 正月前の最後の務めだ。 けれど、妻はおせち料理に追われて私以上に大変だ。
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