土曜日、天気は雨の予報だったが晴れ間が覗いていた。 「これならば、行ける!」と即座にJRウオークに参加することに決めた。その日は折尾。瀬板の森公園を抜けて堀川新道を巡る12キロのコースだ。山道ではないので楽だろうと気分も上々、リュックを背負って意気込んだ。
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小倉駅で電車に乗り込み折尾で降りる。ところが折尾でスタート受付をする頃に空を見上げると西の方から黒雲が湧いてきていた。やはり天気は悪くなるのだろうかと不安な気持ちを持ったまま、さぁスタート。
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瀬板の森は市営の公園だが、私のゴルフコースでもある。瀬板貯水池の東側がゴルフ場となっていて、西側が自然公園なのだ。紅葉にはまだ早いが桜の葉は黄ばんで落葉が盛んだった。貯水池では水上スキーのような大会も開催されていて結構賑わっていた。その頃になると霧雨が舞うようになってきたので傘を出したのだが、終了まで本降りになることは無かった。さすが「晴れ男」と自分を褒めた。(笑)
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堀川新道は遠賀川と洞海湾を水路で結ぶために計画されたとその日初めて知った。明治期の人たちは頑張っていたのだと、「坂の上の雲」を思い出したりして更に感銘を深くした。
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折尾駅にゴールして分かったのだが、折尾駅舎は堀川に沿って建てられており、駅舎の前は川が流れていたのだ。その川に橋がかけられていて、車道や歩道が整備されていたのだった。折尾駅は九州でも有数の古い駅で、鹿児島線・筑豊線・若松線が交差しており要衝に当たる。ここ数年、駅舎を建て替える計画が出ていたが、なるほどこの駅を建て替えるには智恵と金が掛かると納得した次第。
<o:p>瀬板貯水池では水上スキーが。コスモスが満開でした。折尾名物「かしわ弁当」</o:p>
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ゴールしたのが11時40分。2時間20分掛かったことになる。まぁまぁだろうか。英彦山に続き、2個目のゴール証明印を押してもらって帰宅することに。折尾駅は妻が大好きなカシワ弁当が売られている。ちょうど昼時でもあるし、と2個買いもとめた。ウオーキング参加ですか、と売り子さんが緑茶の紙パックを2個くれたが、思わぬサプライズで嬉しかった。
優しかった義兄が旅立ちました。続きはその記事を
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義兄が亡くなった。パーキンソンを患い春から入院していたが経過も良いので、帰宅させて米寿のお祝いを予定していたのだが、その直前に体調を崩し、結局治らないままにこの世を去った。子供がいなくて東京で退職した後は、生まれ育った北九州も居を据えて悠々自適の生活をしていたのだが病には勝てなかった。妻にとって一番上の義兄にあたり20歳以上も年が離れていて、まさに子供のように可愛がられたと聞いている。東京の大学に通ったのも姉夫婦が居たからで、青春時代を優しく謹厳な義姉夫妻に見守られて過ごしたのだった。
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私も東京出張の折は厚かましくもホテル代わりに姉宅を利用して歓待を受けたもので、妻ともどもお世話になっていた。だから、ここ数年は出来る限り役に立てるように見守っていたのだが、とうとうその日が来た、というのが実感だ。
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危篤の報を会社で受け、即座に妻の後を追いかけて病院に駆け付けたのだが、姉と甥夫婦、妻が臨終に間に合ったくらいに眠るように息を引き取ったそうだ。入院中も自分が不在の家のこと、姉のことを心配していた義兄だったが、奇麗で安らかな寝顔だったので思い残すことはなかったのだろう。
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葬式は雲ひとつない快晴の下、親族のみで執り行われた。昨年は親父、そして今年は義兄と家系の重鎮が相次いで世を去った。世の移り変わりとは言うものの、やはり寂しい。そしてわが身に架かる責任も重くなる。集まった親族も明日は我が身と思いを新たにしたようだ。残された人生、悔いの残らないようにしたいと思う。
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