団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散
写りが悪いがツバメが3羽。最右端が口をあけている 今朝、トイレの前を通りかかると頭の上をツバメが飛び交っている。今年もツバメの子育てが始まったらしい。コンクリートの壁面を見上げると今年作ったらしい真新しい巣でツバメの赤ちゃんが3羽、大きな口をパクパクさせて親の帰りを待っている。巣の下には糞が落ちないように総務課の人が木の受け皿を取り付けるのだが、付いていないので今年の巣だろう。
何ヶ月で巣立つのか分からないが、かなり大きくなっているように見える。羽はまだまだ。全身が産毛に覆われている。この頃の成長は驚くほど早いみたいだ。成長ホルモンに促されて、細胞分裂が活発なのだろう。それに見合うエネルギーが必要だろうから、親のえさ集めは大変だろう。幸い、我が社は海沿いで、田畑も近くに散在しており、えさには困らないだろうとは思うが、それにしても3羽を育てるために1日中、駆けずり回っているんだろうなと思う。
ツバメは慣れているんだろうが、人が通るのにはお構いなしに飛び交っている。寿命は何年かは知らないが、昨年子育てしたツバメもいるだろう。社内には全部で20箇所くらい巣があるという噂を聞いたことがある。それぞれに同伴者とせっせと子育てしているのだろう。何がそうさせるのか、動物の本能だろうが興味深い。最近報道される子殺し、親殺し事件を聞くたびに索漠とした社会になったものだと考える。
私達夫婦もはまっていた韓国ドラマ「チャングムの誓い」がヒットしたのは、復讐話や出世話もさることながら、親や目上の人を敬う儒教の教えでストーリーが展開されているからで、とうに失った我が国の基本的思想が韓国にはまだまだ充分に残っているということかなと思う。
最近、教育基本法の改正が話題になっている。愛国心がテーマと思うが、誰でもサッカーなどの国際大会では日本国を応援しているはずだ。ただ、この愛国心は一過性のもので、熱狂的応援が終わると消えてしまう。国を愛すると言うのは、生まれ育った山河を愛すると云うことだと思う。ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川だ。その意味で大都会で育った若者には日本人の原風景である里山をイメージできないもどかしさがあるのではないかと思える。
でも、盆、正月の日本人の大移動はまだまだ捨てたものではないとも考える。じいちゃん、ばあちゃんが温かく迎えてくれる居場所があることは、何にも増して幸せなことだ。これからは人口も減る一方だし、自然を破壊するよりも自然と親しむ方向で物事を考えたほうが良いと思う。
今日は書き出したら筆の流れが思わぬ方向へ進んでしまった。要はツバメが無事に子育てを果たし、来年もまた、再来年も変わらぬ環境で戻ってきて欲しいと願うだけだ。
29日。体調がすぐれない中、水俣へ出張。今、公的に認められて50年と話題になっている会社だ。この会社はイヒの化成会社の兄弟会社でもある。大正時代から昭和に掛けて、九州山地の各地に小水力発電所を築き、化学工場の電力を自給していたが、現在は売電が主力となっている。電車で片道4時間。さすがに長い。車内では冷房が強いことが予想されたので、薄手のカーディガンを羽織る。
仕事は2時間で終了。朝方は扁桃腺が痛かったのが、やや治まり鼻水が出だした。治る兆候かもしれない。鼻かぜは毎度のことだから。
無事に帰宅。
今日は何もしていないのに疲れたので、寝ることにする。金、月と出社していないので仕事がさぞや溜まっていることだろう。とても保養は出来ない。
写真はツバメの座席シート(じっと3時間お付き合い頂いた。)
カーテン越しに外を眺める。朝には止むと予報されていた天候が逆になって、ますます風雨が激しい。釣行をやめて良かったと思う。実は今朝、アウトドア大好き人間のはまさんに連れられて、山陰にキス釣りに行こうとしていたのだ。いや、実際に出かけたのだが、途中で暴風雨になったので年寄り二人が海難事故ではしゃれにならないと、急遽取りやめたのだ。はまさんがエンジン付きゴムボートを買ったので、ためしに乗ってみたいのと、釣りが大好きな私は少々の雨なら天気は回復するからと、5時に起きて出かけたのだが、この思いは走り出して早々にはかなくも消えてしまった。スケジュール的に次回は6月中旬しか行けないので、残念。フィットネスに行くことにしよう。
写真は妻が昨日作った柏餅
休日に特に用事が無い場合、近くにあるフィットネスクラブに通うことにしている。そこではジムのマシンでの筋力トレーニング、エアロビ、インドアゴルフ練習が定番である。もうかれこれ7,8年になる。昔はさらにプールまで手をだしていたが、最近は横着になってこれだけで止めている。ここのクラブは3年ほど前に経営が行き詰まり、現在は日本でも有数の大手のクラブ直営に変身した。そのためか、格段に会員数が多くなり、活気が出、すべてにおいて良くなった。エアロビもメインルームとサブルームの2部屋であるので、好きなほうに自由に参加できる。
エアロビの内容は普通のエアロビに加えてボクシングや社交ダンス、ハワイアンダンス、太極拳など実に多様に開催されている。インストラクターの先生も多く、それぞれひいきがいるようだ。私はその中でも初歩のクラスのローインパクトやベーシックステップに入る。いずれも45分間のクラスだ。以前は男性は少なかったが、最近は多く見られるようになった。しかし若い女性も結構多いが、やはり圧倒的に多いのは年を召した女性である。彼女らは殆ど毎日来ているようだ。暑い夏や木枯らしの吹く冬は、確かに快適空間と思う。
インストラクターの先生によって内容も変わる。基本的ステップを重視する先生や、自由闊達に動き回る先生などなど。各先生とも大体1ヶ月毎に指導内容を変えており、2週間も休めば動きが分からなくなってしまう。動きは基本ステップの組み合わせなので、先生の動作を良く見ていれば上手とは云わずとも間違えずに付いてゆけるはずなのに、それが出来ずに時々隣の人にぶつかってしまう。私の特性として、くるっと回るときに逆回転をしてしまう傾向があるようだ。この時はかなり恥ずかしい。電車と同じでやはり、皆さん自分の場所があるようだが、私の横にいつも席取っていた妙齢の女性は離れていってしまった。残念。
終わると汗びっしょりになる。代謝が激しいのだろう、トイレも近くなる。体重は減るし、ストレスは発散できるし、汗を出して気分も爽快。まさに1石何鳥かの気分だ。
これで、終わるはずだったんですが、実は朝ごはんが済んだころから、悪寒がしだした。前日からちょっと寒気はしていたが、今朝雨に濡れたため本格的に風邪を引いたみたい。結局土曜の昼から日曜の朝まで、ずっと寝ている羽目になった。エアロビもダ・ヴィンチ・コードを見に行く約束もお流れになった。寝すぎたためか、腰が痛いが、気分はかなり良くなった。今日、あまり無理をしなければ明日からの仕事も大丈夫だろう。
今日は出張で長崎の浦上へ行った。博多から白いかもめに乗った。指定席だったので客が少ない時は隣席が空いているのが普通だが、今日は違って鳥栖でお隣さんが来た。浦上までは博多から2時間弱。打合せ資料の再確認とキーポイントのチェックにちょうど良い時間だ。博多から降り続いていた雨も電車を下りるころには小雨に変わってはいたが、やはり歌のように今日も雨だった。
今回は我が社最大のお得意様と当社製品の運用に関する共同研究の下打合せで、主管担当のバックアップという役柄なので、特に気が張る仕事でもなく楽だった。打合せも順調に進み、午後3時には終了。早かったので平和公園を訪れた。小雨が降っていたが修学旅行の生徒やら外人たちが見学に来ていた。今も変らずに平和の像の両隣には千羽鶴が飾られているのが嬉しかった。なぜ、2度までも原爆にさらされなくてはならなかったのか、当時の日米の指導者の心持ちを推し量る。いつも被害者は庶民だ・・と少し感傷的になりかかるが雨でスーツが濡れるので早々に退散。
浦上駅で「抹茶カステラ」を買う。妻へのお土産だ。このところゴルフへ行く回数が増えているのでご機嫌取りのつもり。直帰なので電車ではビールを飲んでもいいのだが、最近は飲まなくなった。昔は窓際にビールの空き缶をずらっと並べていたのに、変われば変わるものだ。ストレスが少なくなっているのかも。
帰宅すると、妻が柏餅を作っていた。そういえば、この前父と行った鱒淵ダムの畔でガメの葉を見つけたので持ち帰っていたのだ。葉の大きさに合せてたくみに餅の大きさを調節しているようにみえた。(不揃いという見方も出来るが)おいしかった。
「お気に入りの唄、一人聴いてみるの。オリビアは私の心、慰めてくれるから・・・」、私の今のお気に入りで一人で歩いている時は、必ずといっていいほど口ずさんでる。もうずっと昔の杏里のヒット曲だそうだ。弟の車に乗ったときに聴き、すっかり気に入ってしまった。車を運転するときは必ず繰り返しで掛けている。女の子らしい、寂しげな情感たっぷりの曲だ。
娘に話すとこの杏里に加えて、作曲者の尾崎亜美さんが唄っているのもCDに入れてくれた。私は尾崎さんを知らない(見た覚えがない)ので、どんな人なのか良く分からないが、控えめで恋の終わりを切々と唄っている様が私の琴線に触れたようで、大のお気に入りとなった。
これより前は「eye’s on me」にはまっていた。FF8の挿入歌らしいが、癒し曲ばかり集めたCD「feel」に入っていた曲だ。覚えやすくて心に沁みるメロディと思う。この曲も歌っている人を見たことがない。調べてみると中国人らしい。英語の歌だが、大人に脱皮する直前の、おませな・大人のような不思議な口調を感じる。毎日、通勤途中にプリントした歌詞を見ながら懸命に覚えた。小さなバーの歌姫が、明日旅立って行く一人の若い男をひそかに気遣っている、と勝手に解釈して、自分ダブらせて。(当然、FF8の若い男とは<ゆうしゃケン>のはずで、男は一人雄雄しく旅立つのだ・・・。)
娘たちも私がこの曲が好きなのを知っていて、披露宴のキャンドルサービス時にバックグラウンドとして流したりした。私を泣かせるつもりだったらしい。そんなことを知らない私は、やはりこの曲はみんなに好まれているんだ、と思っていたし、感傷に耽って泣くよりも娘がドレスに足を取られて転ぶんではないか、とはらはらするほうが先だった。 写真は通勤途上の川ベリ
毎朝、7時少し前の快速電車で通勤する。駅まではバスで15分。家からバス停まで4分。家を6時30分に出る。妻が見送りに出ない場合は、玄関の鍵を掛けて出る。不思議なもので電車は同じ車両、同じシートに座る。違うと腰が落ち着かない。1昨年までは7時過ぎの電車だったが、早く起きるのが苦にならなくなったので、一電車早くなった。会社の夏時間勤務を1年間ずっと守っているみたいだ。
ところが、この電車の私が座るシートには、私の母校の高校生が座っている。それも二人がけのシートなのにかばんを隣に置き、座れないようにしている。両側前後の4つのシートを男子高校生4人が占拠しているのだ。当初は、注意してかばんを網棚に上げさせて、無理やりに座った。社会教育をしているという自覚があった。うるさい老人と思ったことだろう。彼らが降りるのは次の西小倉駅。わずか500m程度の距離である。
ところが、最近は考えが変わった。席を占拠するのは道徳に反しているとは思うが、西小倉で彼らは降りる。この席は彼らが取っておいてくれているのだ、と。西小倉までほんの1、2分立っていれば席は自分が座れるのだ。そう思うと彼らの傍若無人ぶりも腹が立たなくなった。
電車は博多までの通勤客が多く、折尾あたりで満席となる。私は博多の手前で降りるので、降りやすいように通路側に座る。毎朝なじみの顔が見られる。皆さん、同じ車両に乗りこむらしい。あらためて、人間は保守的にできていると思う。
45分の電車の中では、本を読むのが常だ。昔は仕事や資格に関する本を携帯し勉強していたが、最近は肩に凝らない文庫本が多い。本は図書館で借りる。老眼が激しくなってから、眼の疲れがひどくなり、目薬は常時持っている。折尾を過ぎる頃からうとうと眠るのも常になった。
赤間でどっと乗り込む。いつものお嬢さんが横に立つ。私がすぐに降りるのを知っているのだ。ところがここ2、3日はお嬢さんを掻き分けて中年男性が来るようになった。覚えたのだろう。ずっと前は5年くらいの永い付き合い?で女性となじみになっていた。高校の同窓らしい二人ずれだったが、共に結婚したのか、会社を替わったのか、最近は見ていない。時々、ずっと昔に見たような人と会うこともある。元気で何より、と声を掛けたくなるときもある。
例年、4月から5月くらいまでは人が多い。ところが不思議なことに6月を過ぎるころから客がめっきり少なくなる。学生がサボることを学習するのだろうか。 写真は我が家のびわ。熟すのが待ち遠しい。
上映が始まった。ここ1週間くらいテレビでも特集番組を組んでいる。私も文庫本を買った。読み終わったのが、上映前日の19日。グッドタイミング。何とか時流に乗り遅れなくてすみそうだ。今は妻が読んでいる。その後は娘が読むそうだ。
「モナリザ」は、ダ・ヴィンチが手放さなかった大のお気に入りであったが、熱中的なファンに盗まれた数奇な運命であったと聞いている。ルーブルが手に入れた経緯なども興味をそそられる。彼女の妖しい微笑には確かに魅了される。 時々、我が妻が口の端をやや広げたようなモナリザばりの顔を見せる場合があるが、それは「得意で自慢したい時の顔」であったり、「私の話がうそではないか、と思っている顔」であって、不思議な顔ではない。
20年ほど前に仕事でパリに行く機会があり、その折に時間をやりくりしてルーブルを訪れて「ミロのビーナス」と「モナリザ」を鑑賞した。夕方だったので人も少なく、じっくり堪能できた。その時は若かったのか、「ミロのビーナス」の肉感的な姿態の方に、より惹かれたものだ。美人の謎めいた微笑みは昔から苦手の一つでもあった。
キリスト教徒ではないのでキリストの子供が云々というのはどうでもいいことだが、この本は確かにありそうなことを書いていると思う。各地の史跡・遺跡を有機的に結合して(もちろん、都合が良いところばかりをピックアップしているのだろうが)、纏め上げた構成力はすごいと思う。ただ、登場人物がよい人なのか悪い人なのか、途中で人物を評価・判断できないのが嫌だ。物事を複雑に考えることができない単純な私は、善玉・悪玉と区分けして本を読む習慣になっているみたい。最後になって、信頼していた人が実は敵の親玉だったりして。ひどいよ。
この騒ぎが落ち着いたら妻と映画を見に行くつもり。知らなかったが、もう年なので夫婦でゆくと割引があるとのことだ。毎月1日の「映画の日」か「ミッドナイトショー」しか割引が無いと思っていた
span style="color: #FF0000;">写真は長姉宅の胡蝶蘭宮里聖司が上がり3ホールで連続ダボをたたき優勝を逃がした後、チャンネルを相撲へ。優勝決定戦をみる。白鳳が強い。モンゴル勢がこれからの主役は間違いないところか、などと思っているといつの間にかソファーに倒れこんで眠っていた。
首筋や肩が痒いので眼をさます。ここしばらく雨が降ったので、蚤かダニでも出たのかなと思って、掻く。ところが痒みが止まらない。シャワーを浴びてさっぱりすれば落ち着くと思って、風呂場へ。シャワーの後、体を見ると、大変。体中に赤いぶつぶつができている。両腕やおなか、尻が特にひどくミミズ腫れになっている。蕁麻疹だ。全身がますます痒くなってきた。
さばやいわしなどの青魚で蕁麻疹ななったことがあるが、それはもう15年以上も昔の話で、最近はない。妻に緊急病院の確認をしてもらうと、近くのK総合病院が空いているとのことで慌てて飛び出す。病院に飛び込んだのが7時。妻も気遣って付いてきた。看護婦に症状を説明する。私は痒いので早く注射を打って欲しいのだが、引き続いて担当の若い医者があれこれ尋ねてきて、聴診器で胸まで診る。薬のアレルギーはないので早く打ってくれ、と督促。やっとのことで看護婦さんが注射をしてくれた。かなりの量の赤黒い液体だった。
気のせいか、かゆみも治まってくるような感じがして帰宅。妻には夕食には酒を飲む、と云っていたのだが吐き気がするようで、とても食べる気にはならない。錠剤を3錠頂いた。3日分だ。今日の分、1錠でいいのに、と思うが、親切心なのだろう。治療費は締めて2030円。洋風料理代と思えば安いものか。ただ、何が原因なのか分からない。しばらくは洋風料理はやめなくては。
大河ドラマが終わった9時くらいには痒みも完全に引いて、感覚は正常に戻った。注射の効果だ。ちょっとブログをのぞいた後就寝。ただ、体は熱くほてっているようで、部屋が日中の暑さがこもっていたためもあり、熟睡ができなかった。
心配した妻が途中で様子を見たらしいが、その時に夢を見ていた私は妻の手を邪険に払って、かつ叩いたらしい。夢の中であるが悪いことをした。ごめんなさい。時々夢をみてベッドから落ちることはあるが、妻を叩いたのはそんなに多くない。夢の中で蕁麻疹が出たのが妻が原因と勝手に思い込んだのだろうか。それとも日ごろのうらみつらみが噴出したのだろうか。しばらくは下手に出なければ。
21日。朝から快晴。天気が良い。庭に出てみると、みかんの木に小さな羽虫が何百と棲み付いていたので殺虫剤を散布することに。長袖、長靴、麦藁帽子と完璧なスタイルで散布。鼻が良い妻はにおいがすごいので外に出られない、と居間で次女の結婚式の写真の整理。今日の昼に親戚が集まって長姉の快気祝いが催されるのでそのときに写真を渡すつもりなのだ。
JRで黒崎へ。会場へは歩いて20分くらい。妻は日傘を差している。日曜の昼なのに人通りは少ない。女性のショッピングは小倉や博多に流れているのだ。会場まであと少しのところで車が横に止まったので見ると、すぐの姉だ。迎えに来たらしい。あいかわらず親切だ。ありがたく乗せてもらって会場の洋食館へ。皆さんもう全員集合だった。
妻方の長姉は80歳になる。元気で太極拳を指導しているが、ひざの関節が痛くなり3月に足の手術をした。杖は必要だが、順調に回復して今日が快気の宴となった。義理堅い夫婦で、人生の節目には人を呼んで会を催す。数年前は金婚式のお祝いが開かれた。兄も近頃は足が痛いらしく、出歩かないが色艶が良い。もともと色白な人だ。
集まったのは5家族、8人。妻と一番似ている若松の姉は、次女の結婚式の前日に血圧が急に高くなって緊急入院したが、それも治まったようで元気そうだ。すぐの姉の旦那さんは実家の法事だそうで欠席。
姉の挨拶のあと、ワインで乾杯。その後洋風会席。イタリアの白ワインで飲みやすい。聞くと焼酎は置いてないそうで、冷酒かワインしかないとのこと。結局ワインで通すことになった。
料理はイタリア風?創作ものらしい。季節の花が添えられていたりして女性陣には大受け。次から次へ料理が運ばれ、日頃は刺身などの純和風が多い私には名前も分からない珍しい料理だったが堪能した。席は掘り炬燵風で、足が下ろせるので姉たちには楽だったみたい。
いつものように口達者な姉たちの近況や昔話などを聞いたり、次女の結婚式写真を披露したりして2時にお開き。長姉宅に場所を移すことになった。家は東京から帰ったときに新築したもので、シャッターは全自動、防犯システムも完備しており、我が家とは違ってレベルが高い。姉が足の手術をしてから手すりなどを取り付けたが、色合いも良く違和感がない。同じ建築メーカーに頼んだとのことだ。2時間ほどして、飲みつかれてお暇することに。中間の姉が方向が違うのに、わざわざ送ってくれるとのことで感謝・感謝。
家に帰って、男子ゴルフを見たり、相撲を見たりしてくつろいだ。が、この後が大変だった。 写真は最後に出た料理。おかゆ
20日、父の誕生日だ。91歳になる。昨年9月に倒れてから入院中。病院でリハビリをしているが足腰の衰えはどうしようもない。認知症もひどくなり、分かるのも私たち夫婦と、孫娘、弟だけだ。妻は3日にあげず、私は会社が休みの土、日に見舞いに行っている。妻の発案で誕生日ということで午後から外出許可をもらって福知山の麓、鱒渕ダムに出かけることにした。父にとっても思い出の場所である。 外出は4月の桜が満開の折に、小倉城に出かけて以来、約1ヶ月ぶり。車の中から外をじっと眺めている。何を考えているのだろう。殆どしゃべらないので良く分からないが、若い頃の思い出が浮かんでいるのだろうか。ダムの水は田植えの時期でかなりの放水をしているが、満水に近い状況だ。昨日までの雨がからりと晴れ、湖面がきらきらと輝き、すがすがしい思いがする。車椅子でダムの湖畔の遊歩道を巡ることにする。舗装しているので歩きやすい。妻と交互に車椅子を押す。父は何かを思い出したのだろうか、湖面を跨ぐ赤い吊り橋に差し掛かると泣き出しそうな顔となった。感情が表に出たのだろう。何か云っているが、良く分からない。
途中に野いちごを見つけた。子供の頃に昆虫採集の傍ら、せっせと摘んだ野いちごを思い出す。時期は少し早いような気がするが、近頃は地球温暖化で早くなっているのだろうか。草むらに分け入って摘んでいると福知山登山の帰り道であろうか、老夫婦がやはりイチゴを手にぶら下げて通りかかった。父に手渡すと唇を赤く濡らしながら、懸命に食べている。私も口に入れる。甘酸っぱい香りが広がる。途中でかなり食べたが、見かけが良いイチゴは草の茎に刺す。娘たちへのお土産だ。
遊歩道は20年前と変わっていないが、木々が大きくなっている。特にところどころに植えられている梅の木が大きくなっているのには驚いた。実が鈴生りになっており、地面にも落ちている。このまま落ちるに任せるのは勿体無い、と思う。旧ダムの放水口に差し掛かると、昔と同じように黒アゲハやカラスアゲハ、アオスジアゲハなどが乱舞していた。食草に群がっているのだ。
湖畔を巡って1時間半、陽射しが強いので父も疲れただろうと思い、帰ることにする。時々感情を表すが、穏やかな顔をしている。病院でも穏やかで扱いやすい、と聞いている。老人医療のしくみが大幅に変わるそうで、大変な時代になるかもしれないが、これからも長生きして欲しいものだ。
(帰って、デジカメを見たところ、いつの間にかマニュアル操作になっており、せっかくの写真が露出オーバーで使い物にならない。ブログ用にと思っていた湖畔の風景や野いちごの写真がパー。がっくり。写真は写りが悪いけど、紹介させてください)