ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマン、趣味と独り言でストレス発散

兄弟寄り

2024-07-01 15:59:33 | 家族
 北九州地方は線状降水帯に見舞われたそうで、昨日から断続的に雨が降り続いているが、今は空が明るくなって、小糠雨程度になっている。前の川は土手の半分近くまで水かさが増え、ゴウゴウと茶色の濁流となっており、よく観察していると時折枯れ枝や草なども混じっている。この川の下流には地下に調整用の池が作られているので、水害の心配は無いと思うが、やはり水害は怖い。高齢者は避難せよと携帯に連絡が入るが、もうそれも慣れた感じで、半ば無視している。地形的に山崩れの心配は無いし、せいぜい床下浸水くらいのものだ。

 先週、数年ぶりに兄弟寄りを催した。新型コロナのために兄弟旅行を中止していたのだ。私は五人兄弟の長男であるが、夫婦で健康に黄信号がともり始めたので、墓をどうするか、兄弟で意見を纏めたかったのだ。午後に我が家に集合し、墓問題の意見を述べ合って纏めた後に、スーパーで買ったにぎり寿司を食べながら宴会。昔はビールの他に日本酒二本くらいだったのだが、皆年老いたか、日本酒半分、焼酎少々程度だった。

数年ぶりに五人兄弟が集まって記念撮影


 宴会の後は麻雀。実に30年ぶりくらいだろう。私は足が自在に動かなくて、座れないので椅子を持ってきた。牌を並べるにも手先が不自由で、もう麻雀は電動式じゃないと駄目だと自覚した。それでも弟たちの手助けもあって、ハンチャンした。開始早々に3男が「メンタンピン サンシキ ドラ3」の倍満をツモ上がりしたのだが、私は粘ってオーラスの「ピンフー ドラ3」の満願を上がって最後にトップを逆転。昔のように勝負強さを発揮したのだった。弟達が兄を立てたのだと言うが、それは違うと思う、やはり経験の差はおおきい!

 麻雀は四人しかできないので、次は5人全員で遊べるトランプでのオイチョカブ。花札はあるが、トランプの方が計算が瞬時でできるので簡単だ。オイチョだのカブだの、ワァワァ騒いで午後8時に終了した。結果は麻雀と合わせて私(長男)と次男が勝ち、負けは3男と5男。まるっきり30年前と同じ構成。年を経ても習性は変わらないようだ、それにしても楽しい時間だった。五人とも還暦を過ぎ町内会などの役職はあるものの悠々自適の生活を送っている。それぞれ苦労は背負ってはいるのだろうが、
幸せに暮らしている。それが嬉しい。

 最後に今年は秋に是非とも兄弟旅行を復活しようと約束して散会した。(一人は山口県なので家に泊まった)

昨日のスイカミニ畑。ソフトボール大が2個、ピンポン玉大が2個ほど隠れている。花合わせの肝心な時に天気が悪くてめしべが無駄になったのが多かった。





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スイカで一騒動

2024-05-27 12:24:20 | アウトドア

 この1週間、小倉は天気が良く毎日が夏日、時に真夏日の暑い日が続いた。妻はすっかり元気になって体力的には問題無いけれども、緑内障が悪化してほとんど視力を失ったため家事は無理なので、私は主夫業を専門として家事を私なりにこなしている、ただ、娘からはまだまだ不十分だと言われているが、まぁそれなりに暮らしていければと聞き流している。
 パーキンソンは確実に進行しているような感じで、身体全体の動きがぎこちなく、動作も遅い。だから何をするにも時間が掛かるので、自分の時間が取れないのが悩みだ。そんな中、今年も近所の私と同世代の植木職人さんからスイカを植えましょうかと提案があったので、喜んでお願いすることにした。5月の始め、GWの期間中のことだ。ある朝、朝食を食べ始めた8時、チャイムが鳴って出ると、植木屋さんが、「スイカを植え終えたので毎朝夕に水を遣ってくれ」という。苗は接ぎ木苗で3株、去年と同じように道沿いの畝に植えられていた。スイカは連作は駄目と聞いていたが、接ぎ木苗なので、まぁ問題無いだろうと水遣りを欠かさず10日ほど経過したのだが、連作の弊害?かもしれない葉が開かない現象が発生した、3株のうち、1株が全部の葉がアウト、1株は半分だけがアウト、1株は正常だった。
 調べると、土中の窒素成分が多すぎるとその様な状況になるらしい。対策は無く、植え替えするか、毎日水を遣って奇跡的に治るのを待つかしかないようだ。
私はその日のうちにホームセンターに走ってスイカ苗を購入しようとしたが、もう販売時期は過ぎていて在庫はゼロ。仕方ないので種を買ってきて種から育てることにした。この天気だ、なんとかなるだろうと。3日で芽が出て、今月末に植え付けられれば1ヶ月遅れで成るだろうという目算だったのだが、3日経っても、4日経っても、芽が出ない! これは大変だと再度別のホームセンターへ。すると運良く売れ残っていたスイカ苗があった、それを3株と花と野菜の土を一袋買い、畝の土を入れ替えた。これでスイカの株はだめと判断した1株を取り除き、残った2株+新3株の5株となった。半分アウトだったものも土の入れ直しなどで、すっかり完治したので良かった。それにしても、この忙しい中で、スイカ騒動。順調に育ってほしい!

子蔓が伸び始めた最初のスイカ苗と植え付けたばかりのスイカ苗


枇杷の収穫期? 例年6月1週目に収獲している枇杷、そろそろ収獲です、でも今年は剪定したので数が少ない。



 大の里、よくやった! 昨日の相撲、勝った瞬間、見ていた父親が涙を流していたが、私も思わず涙が出た。やっと、日本人の強い関取が出てきた!と。
 相撲界はモンゴル勢が席巻していて、面白くなかったのだ、尊富士に続いて若手の台頭にほっとした心境だ。横綱、大関が不甲斐ないと思える相撲界に新風を吹かせてくれる。大谷翔平のような「気は優しくて、力持ち」の雰囲気があって、非常に好感が持てる。来場所が楽しみだ、全勝優勝するかも!



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GWの中で

2024-04-29 15:35:14 | 日記

 GWが始まった。今年は10連休の会社もあるそうで、毎日が日曜日?の私でも羨ましい感じがする。異常な円安をものともせずに海外に出掛ける人も多いそうで、勝ち組人種は、「我が世の春」を謳歌しているようにみえる。昨日の衆院補選の結果をどのように評価するか、円安と相まって、今我が国は大変な危機を迎えていると思わざるを得ない。現役を離れてもう数年、透明感を持って世の中を眺める心境も板に付いてきた。逆に言えば、今を生きてゆくのが精一杯の私が、どうあがいても世の中は変わらないと諦めている・・・?

 さて、この1ヶ月、色んな事があった。写真をベースに振り返りたい。
まず3月の下旬。私の77回目の誕生日が来た。「喜寿」を迎えたのだ。お祝いは何が良いかというので、県南だったプラネタリウムに連れて行ってもらった。八幡東区のスペースワールド跡地にできたスペースラボ内にプラネタリウムがあって、面白いと聞いていた。ソファーに座って天幕に写る星々は、その輝きと興味深いエピソード紹介などで面白かったのだが、暗いこともあって、後半の半分以上は寝てしまって残念だったが気持ち良い睡眠だった。

●スペースラボで展示されているアメリカのアポロ計画(スペースシャトル)。 この他、「月の石」や「シャトルのエンジン」も展示されていた。


●アポロ計画初期の頃の帰還船?


●3月27日 忠霊塔(平和公園)にて、桜の開花を確認した。昨年より7日遅れ。


●3月の下旬に収獲した夏みかん(ハッサクかも知れない) 今年はあまり酢っぱく無くて好評だった


●妻は週2,私は週1でデイケアに通っている。デイケアは和気清麻呂がイノシシに先導されて足の傷を治した湯川の地にあって、桜の名所としても有名なところにある。4月5日、満開の桜をバックにデイケアで妻と。


●翌6日、平和公園でアンちゃん家族とお弁当を持って夕方に花見。






●玄関の石柱にアゲハチョウのさなぎが居を構えていたが、4月7日に羽化した模様。残念ながら羽化の瞬間は見れなかった。



●夕方の花見で寒かったのが悪かったが大変な事態に。7日、日曜日だと思うが、朝から身体がだるくて頭も冴えない。熱っぽいので体温測ると37.5℃。疲れが出たのかも知れないと早めに寝たのだが。熱は38.5℃まで上がっていた。これを聞きつけた次女が夜分にかかわらず駆けつけてきてくれた。翌朝一番に掛かりつけ医で診察した結果、新型コロナの陽性反応を検出。五日間の自宅籠もりを指示された。2回目の感染だった。そして、またしても妻も発熱。夫婦で罹ってしまった。ただ私は薬のおかげか、1日で熱が引き、妻も3日で快復した。またまた入院にならなくて良かった。 しかし、2度の感染の原因は私。どこで誰からもらったのか、分からない。3度目は許して欲しい。

●4月13日 ご近所で藤の花が咲いているのを見かけた。その他にもハナミズキやツツジなども咲いていて、まさに春爛漫。


●GWの初日、27日の土曜日、妻を乗せて車を運転して中間市の義姉宅へ。およそ1年ぶりだ。仲が良い姉妹で、お互いに涙、を流して喜んだ。
この時期にはスイカは東京に全て出荷しているという熊本スイカを手に入れたと、スイカをご馳走になった。甘くて旨かった


●28日、奏汰君が枇杷の袋掛けの応援に来てくれた。体力が低下してしんどくなる作業なので応援は嬉しい。間引きの仕方、袋の掛け方などを教えてスタート。やはり作業は早い。今年の出来はどうなんだろうな、と楽しみだ。QW中に、袋掛けを終えなければ。




今月はアップテーマがたくさんあったのに、深掘りできず、残念だった。来月は月2を目標にアップしたい。

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春はあけぼの・・・

2024-03-20 21:39:56 | 平々凡々

 今日は春分の日、今日から半年間は昼の方が長い。光を浴びる時間が長いと活動的な気分になるから嬉しい。
 
 病院通いや家事に追われる毎日ではあるが、彼岸入した日曜日、ホームセンターに行って木片と釘、ねじを買ってきた。木片は15t×600L×200wサイズが1枚と90幅の長尺ものを200幅に切断してもらったものが4枚。この小さい板は2枚重ねて足として長い板にねじと釘で取付けた。何かというと洗面所においている洗濯機の排水ホースが邪魔で貴重な場所を取っているので、ホースの上に板を通して、物置スペースを確保したのだ。要するに物置台だ。前々から考えてはいたのだが、なかなか実行する気分にならなかった。それが家事をするようになって、収納スペースが大事であるかが体得出来たのだった。
 
 ただ、この工作、単に釘を打ち、ドリルで穴を開けてねじをドリルで打ち込むだけなのに、腰は痛くなるし、足は曲がらないし、思ったより作業はきつかった。10年くらい前は蝶の展翅板を10セットくらい簡単に作っていたのに。日頃使わない筋肉がいかに衰えているか、よく分かった。


 今日は全国的に風が強く寒気が舞い降りているらしいが、小倉でも墓参りに出掛けたときにみぞれが降った。その時間は短かったが、傘を持ってなかったのと強風で寒かったのもあって、妻のネフローゼ完治を報告し、見守ってくれたお礼を申し上げて帰ったのだった。(前回記事で、妻のネフローゼが奇跡的に治っていると言われ手喜んだが、いまいち不安なところもあったのだが、今月11日の診断の結果、先生から「完治している」とお墨付きを頂いた)

 我が家の墓は公営墓地の中腹にあって、駐車場から墓まで20度以上の急斜面を100mほど登らねばならない。妻は、食欲も戻り体力も戻りつつあって、最初は登れるか危惧していたが何とか無事に墓まで行けた。私の方が足腰に問題がありそうな感じだった。でも、春分の日にみぞれとは! コブシはすでに咲きおわり、水仙も咲き誇っているのに。

 2週間前の隣家のコブシ、


 1週間前、夏みかんの下でひっそり咲いていた水仙


 今年の大河、平安時代の物語。この時代の著名な英雄、豪傑をしらないので、平安時代を良く理解していない。紫式部の生涯のようだが、時代背景を良く理解していないからストーリーと登場人物の関係がよく分からないところがある。道長と紫式部の恋はストーリーだと思うのだが、実はどうなのか、生きていた時代はどの程度かぶっているのか、など疑問点も多々ある。今後の展開もよく分からないのも気掛かりではあるが、平安時代の愛憎劇をどのように創作したかは非常に興味があるところだ。先日は清少納言も出てきた。彼女の切れの良い良質な歌詞のような文は実に味わいがある、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝など、実に季節を的確に捉えていると感じる。紫式部の今後のストーリー展開を期待している。

 我が家の夏ミカン。収獲時期ですが、食べる気がしないので。

 
 去年作った金柑酒が旨かったので今年も金柑酒を作りました。夏みかんからは何が出来るのだろうか

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立春・雨水を過ぎて・・・(遅れましたが・・・あけおめ 改定)

2024-02-21 17:48:26 | 平々凡々

 遅れましたが前記事の続きを。
 ネフローゼ症候群の治療として利尿剤を飲んでいる妻は、食べたくないと言って栄養飲料だけの時が多かったため。みるみるうちにやせ細ってしまい、体重も10キロ以上おちてしまった。水も足りてなかったようで脱水状態となり、掛かりつけ医からすぐさま総合病院に入院させよ、との指示があって、その日のうちに入院することになった、1月20日の土曜日のことだった。これで4回目の入院となった。

 総合病院では内科病棟に入れられたのだが、点滴はもちろんのこと、食べないのならば無理矢理にでもと鼻からチューブを通して流動食を食べさせる荒療治が実施された。この結果、妻は食事の摂取量も増え、日毎に快復し、2月1日に退院することになった。

 退院後、ネフローゼの専門医検査してもらったところ、なんと奇跡的にネフローゼの症候が消えているという。ようするに,治った?! 私たちは先生からそれを聞いて大喜び、まさに奇跡ではないかと。良かった、本当に、良かった! 

 とは言っても、3ヶ月以上もほぼ寝たきりの生活をしていたので、足腰の衰えはひどく、歩くのが精一杯。リハビリに精を出さねばならない。妻は週2回のデイケア、私は要支援1の査定だから週1回のデイケアでリハビリを頑張らなくてはならない。だから週に1回は夫婦でデイケア、妻はその他に週1回一人でデイケアとなっている。

 最近の妻は食事も殆ど完食だし、おやつやコーヒーも欲しがるようになってきた。ただ、利尿剤を飲んでいないので、足の浮腫(むくれ)は結構あって、次回の検査まで浮腫に耐えきれるかどうかが心配ではある。眼は依然として視力がなく、細々とした作業は出来ない。それでも食事後の食器洗いと洗濯物たたみをしてくれるので大いに助かってる。認知症も進行が泊まっているような感じがして嬉しい。厳しい冬を乗り切った感がする。

先週、天気が良かったので妙見宮にネフローゼ治癒のお礼を妻と二人で出かけた。
妙見宮の麓にある平和公園、忠霊塔の梅林。もう盛りを過ぎていた


妻の治癒をお願いした氏神様、足立山妙見宮




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遅れましたが・・・あけおめ

2024-01-31 23:09:54 | 平々凡々
皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
今日はもう1月の最終日、月に1回はブログの記事を投稿したいと時間に追われながらpcに向かっている。今11時半、あと30分。タイプミスが多い。あせっている。
クリスマスの日に妻が退院して、正月は妻と二人でゆっくりと過ごしたのだが、それを過ぎると、大変な忙しさが待っていた。まず妻の視力が両眼とも0.01にまで落ちたことだ。入院中に点眼薬が上手く行かなかったのか、緑内障がひどくなり、眼の中心部の網膜細胞?が殆ど壊れてしまっていると眼科で指摘された。網膜は再生できないというので、視力はこのままと言うことになるのだが、まだまだ進行してしまうかも知れない。こんな怖さも有り、正月を過ぎた頃から妻の食欲が徐々になくなり、それと共に体力・気力も低下してきた。
デイケアに行くのさえ拒むようになったのだ。体重も一挙に10キロ以上も落ちてやせてしまっている。

11時50分になった。途中だが投稿する。続きは2月に。

妻の治癒をお願いした氏神様、足立山妙見宮




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待ち遠しいクリスマス

2023-12-23 18:13:40 | 家族
あと1週間で正月だ。正月までにはとしなんてでも退院して欲しい、食事を頑張って食べてくれ、と妻に毎日のように言っていたが、妻もそれに応えて何とか量50%を維持し、点滴が外れ、むくみも取れ、目つきもしっかりし、介助付きではあるが歩く事も出来るようになった。今は毎日、歩行を主体としたリハビリしている。やはり、体力は食事からだ。と言うことで、退院がクリスマスの25日に決まった。妻は涙を流して喜び、私も凄く嬉しい。けれども手放しで喜ぶことは出来ない。妻の胃はデリケートなようで、むかついて食事を受け付けないこともあるのだ。自宅で食べなくなると、元の木阿弥となる。訪問介護を考えてはいるが、順調に食欲が改善して欲しい。妻は「もう入院はしたくない、だから頑張って何でも食べる!」と表明しているが、胃が痛んでいるのは間違いないようだから、最初はお粥食だ。それでも、クリスマスの25日が待ち遠しい。2ヶ月ぶりに妻が帰ってくる。忘れることが多い妻だが、自宅は覚えているだろう、孫達にも会いたいと言っているから。

11月末の平和公園、銀杏が綺麗でした。


森林公園入り口の柿の木。鳥たちが食べ残した柿が寂しそう。


中国の易経に「積善の家には余慶有り」という言葉があると、私がお世話になった関連会社の友人Mさんから教えて頂いた。「善を積んで来られた方々の家には慶びが余りあるほど来る」との意味で、私を励ましてくれたのだ。40年来の友人で、私と同じように孫達に囲まれて悠々自適に暮らしている。彼のこの言葉によって、いかに元気を持てたか、希望を信じることが出来たか、感謝・感謝です。Mさん、ありがとうございました。

昨日、寒気が押し寄せて、我が家にも雪が少しだけ。アンちゃんは学校で雪合戦したらしい。


孫達も冬休みに入って、25日はばあばと逢えるようだ。妻も楽しみにしている。その日は総合病院で検査もするので、疲れるからクリスマスパーティまでは計画していないが、妻がどんなに喜ぶか、観るのが楽しみだ。


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秋です、よね。

2023-11-01 13:34:07 | 平々凡々
今日から霜月、秋たけなわのはずだ。店頭には柿やミカンが並びだして美味しそう。けれど、体感は「夏」 暑い! ここ数日、夏日が続いている。朝夕はそれなりに爽やかで涼しいのだが、お日様が出るとみるみる気温が上がる。せっかく仕舞い込んだ夏の半袖服を慌てて出す始末だ。この暑さはあと数日続くらしい。その後は急に下がるのだろうか。身体が気温に追随できるか、心配ではある。
 このような夏と秋の混在した環境の中で、それを実感した事柄を紹介する。

まず、夏の定番、すいか。盆明けに虫たちによって受粉したスイカ、この暑さを糧にして枯れることなく順調に育って、今日の朝、収獲した。直径約13センチ、重さ1.3キロの、小玉だ。まだ味見していないが、色合い、種の付き具合からまず問題無いだろう。11月収獲なんて夢みたいだ。





続いて秋の味覚、みかん。これは我が家の物置の裏にひっそりと植えている温州みかん。早生ものだが、それが実を付けた。実は9月に
色付き始めていたのだが、異常な暑さのために、ミカンの房が裂けて捨てていたのだが、その暑さを乗り切ったものだ。



いくつか収穫して食べたが、結構甘くて店頭ものに負けずに美味しかった。


キンモクセイが今年も咲いた。2週間前だが今年もよい香りを届けてくれた。


最後に、福岡のB級グルメ、ラーメン。
あんちゃんと氏神様(妙見神社)を経由して妻方の菩提寺にお参りを兼ねてウオーキングに出かけた。その帰り、昼食時だったのでラーメン屋に二人で入った。で、二人ともチャーシューメン。現役を退いてもう10年? ずいぶん久しぶりだ。豚骨スープはうまいが、体調を考えて飲まなかった、


妻がネフローゼ症候群による筋力低下で入院して1か月となる。ほぼ毎日面会に行っているが、妻は、「もう寝るのは飽きた、家に帰りたい」と涙を流して看護師さんに訴えていたらしい。ちょうどその時刻に私が赴いたので、大泣きすることもなかったが、私としても妻を早く引き取りたい。食欲さえあれば。体調というか、手足の運動能力には問題ないのだから。なぜ食べられない! 娘に今朝の状況を聞くところ、家に帰りたいなら食べなさいというと半分くらいは食べたといってた。胃が苦しい中、妻も頑張っている。正月には家族そろって、を合言葉で頑張らねば。


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氏神様、出番です。

2023-10-09 21:52:10 | 日記
 
 気がつくと前回記事から1ヶ月半経っている。この間と言うか現在は我が家の危機で有り、大きな試練を受けている。8月の盆明けに夫婦揃って新型インフルに罹り、私はすぐに治ったのだが、妻は体力が落ちて歩けなくなり救急車で入院する羽目になった。そして2週間ほど入院して新型インフルは治癒したのだが、コロナ菌が悪さしたのか、後遺症なのか、拒食症状態となり、かつネフローゼ症候群という厄介な病気を背負って退院することになった。ネフローゼというのは血液中の栄養分が何故か尿に流れ出て、体力が低下するという。拒食症のため、食事を殆ど摂らず日毎に体力が落ち、自力で歩けない状態に陥った。退院直後は拒食症を甘く見て、まぁ少しくらいは食べるだろうから自宅看護で行けるだろうと思っていたのだが、妻の拒食症は頑固で1日にお粥を小さじ3杯くらいしか食べない日が続いたので、これは効果が見込めなくても病院で点滴をしなくては死んでしまうと考え、娘達は入院できるディサービスやデイケアでリハビリを兼ねて治療することを進めたが、私は妻の状態から、「自力歩行出来なく、拒食なのにディサービスは行けない」と、判断したのだ。娘達は妻が拒食とは云うものの、上手に勧めればわずかでも食べると信じていて、要するに私の看護が十分ではないと思っているのだ。

 日に日に衰弱してゆく妻を見て、これではいけないと、入院できる施設・個人病院等を探していたが、ネフローゼ治療の総合病院の1ヶ月診断を受けた結果、即日入院となった。やはり、先生も病院で点滴を打って、症状に応じて適正な利尿剤量を処方することが1番だと思ったのだろう。そして今月の2日、妻は総合病院に入院することになった。入院して今日で8日目だが、点滴で膨らんだ足のむくみや張りも徐々に少なくなっている。食事もわずかながら食べ始めたようだ。何となく先行きに明るい日射しが指してきたように思う。

 ここ数日、急に寒くなって、風呂は昨日はシャワーではなく4ヶ月ぶりにお湯を張った。一人しか入らないのでもったいないのだが、お湯が恋しかった。妻には治ったら温泉に行こう!と言っているが、妻は気力を無くしていて前向きの言葉が少ない、面会は毎日行っているが、
「家に帰りたい」「このまま死んでも良い」「私にちゃんと食べているか、野菜を食べなさい」と必ず言う。私は「食べなさい、食べると全部が良くなるから」と毎回言う。私の望みは妻にもう一度綺麗な正装でお化粧を施した姿を見たいこと。このままじゃ、辛すぎる。

 妻の病気の件もあって、2ヶ月間ウオーキングに行ってなかった。今日は久しぶりに2時間ほど時間が出来たので氏神様である足立山妙見宮経由で歩くことにした。6月までは毎月1回は妻と参拝に来ていたのだが。妙見宮で妻のこと、私のこと、いろんなことをお願いした。
お願い事が多すぎるので、優先順位をつけたが。

2ヶ月ぶりの足立山妙見宮


今頃絶好調 季節外れのスイカ
8月に最後のスイカを収獲した。忙しかったのでスイカ園をそのままにしていたら、9月が暑かったためか、蔓が元気に伸びて伸びて。その中に立派なスイカが出きていた。これは儲けものとにやり。他の蔓にも大きな赤ちゃんスイカを抱えた雌花がたくさん出来ていた。これが2ヶ月前なら大喜びなのだが、これらが日の目を見ることはないだろう。

繁茂しているスイカの蔓。雌花が5個以上見つかったが、受粉は断念。

収獲予定日まではあと10日以上、寒さに耐えられるだろうか。


 
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今更ながら・・・新型コロナ

2023-08-25 14:41:47 | 平々凡々
前回記事を投稿した翌日、昼間は暑くて例のごとくシャワーを浴びたのだが、何故か寒気がした。新しい下着に着替えても何かがおかしい。熱を測ると37.4度だった。最近はコロナが水面下で流行っていると聞いていたので、「やってしまったか」と思わざるを得ないほど、熱が出る予感があった。そして夕方になるとますます熱が出て38.4度になった。「これは、新型コロナ確定だ!」と娘が即座に近くのクリニックを手配し、そこで検査すると、見事に新型コロナ反応が出て陽性と診断された。その日から5日間隔離生活を送ったのだが、結果、見事に快復した。身体全体の節々が痛いような気がするが、その他の後遺症はなく、良かった。私の次に罹ったのが私を介護してくれた妻と長女。長女は2回目だ。妻は私より2日後れて熱が出て重症化した。気分が悪くて食事が取れない症状が続いたのでついに階段の昇降が不如意と成り、救急車の世話になった。それが一昨日の夜のことだ。今はコロナ病棟に入って、面会謝絶と成っているが、ラインで確認すると、新型コロナ自体は快復している模様だ。ただ血液中の栄養分が異常に少ない現象は続いており、その検査に時間が掛かっているようだ。

ついに我が家にも襲ってきた新型コロナ、最初の被害者は私なのだが、どこで罹患したのか皆目分からない。囲碁クラブ? でなければコープ? ワクチンは6回接種していて軽くて済んだのかもしれない。それにしても私が熱を出したのは・・・社会人に成って記憶がないので学生時代、55年以上にもなろうか。エアコンと扇風機を入れている部屋でも、暑苦しい自宅内隔離、ベッドで寝てなければならない辛さを味わった。

妻が入院して早くも3日、娘達が何かと心配してくれるが、何か落ち着かない。手足が地面に着かない感じ。長期入院に成らねば良いが。束の間の独身生活をエンジョイすることにしよう。

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