すっかり秋めいた朝夕で、日が落ちるのも早くなった。帰宅する頃はもう真っ暗で、リーンリーンという鈴虫の涼しげな鳴き声がなぜか侘びしい。もっと風情を感じればよいのだが、風邪をひいてしまって体調を崩しているので、その余裕がないのかもしれない。
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この1週間、行事が重なって気ぜわしく過ごした。ゴルフコンペに親父の四十九日法要、専門学校の初講義に勤務先での指導教育。体調が悪いまま、何となく流されてしまった日々だった。
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5位の賞品と大波賞。何しろアウトより16打も良かったんですから。
ゴルフコンペは九州では名門、福岡センチュリーGCで会社の創立記念日、10月1日に開催された。OBや関連会社のトップクラスが集まり、大々的に開かれて賞品もたくさん出るので毎年頑張っている。ところが今回は寝違えて首筋を痛めていたせいでもあるが、出だしのスコアは59。実に15年ぶりという最悪の成績だった。何しろボールがどこに行くのか分からない。右に左に、大きく小さく。このためペナルティやバンカーのオンパレード。トリプルが続出し、中には10打も叩いたホールもあった。ただ、昼食休憩の後の後半ではミスも少なく43のスコアだった。最終ホールに池に打ちこんだので(池があるのを知らなかった)、それが無ければ41だったはずなので、何とか挽回はできた。
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プレー後のパーティで成績が発表されたのだが、こんな成績にもかかわらず、私は5位にランクされていた。運よく私が大叩きしたホールがハンディー対象ホールだったのだろう。総数55人だったので運が良かったと云える。
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月曜日、私の第1回目の講義だった。週のスタート、月曜日の第1時限。9時10分から90分間の授業だ。「電気機器の設計」という講座を半年間受け持つ。対象は高卒以上で専門学校の2年生。中には大学や社会人から再入学した人もいてバラエティに富んでいる。けれど女子生徒はいない。
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いつもと同じ時間の6時過ぎに家を発ち、特急電車に乗って博多へ。久しぶりの博多だったが、博多駅の九州新幹線全線開通に合わせた改築工事も急ピッチで進んでいるようで、外観はほぼ完成していた。<o:p></o:p>
途中、時間があったので博多の一宮、住吉神社に参拝した。半年間の無事な講義をお願いしたのだが、都会の喧騒の中で神社の森は別世界のように静かで落ち着いていた。
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和パパが写したかけっこのゴールの瞬間。記念すべき瞬間です。さすがパパ、頑張って撮りました。
定刻9時10分、出席簿やチョークなどを携えて教室に入った。教室はカラフルな装いの生徒が思い思いに談笑したり座ったりしていて、何となくざわめいていたが、私の入場とともに潮を引くようにそれも収まって、「起立・礼」の挨拶とともにいよいよ授業開始。
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当然だが45人の生徒達は私の人となりを注視している。「どんな人なんだろう!」 私も最初に自己紹介し、半年間の講義の概要などから授業に入っていった。授業自体は私の知識やノートで充分にこなせるのだが、その日の初講義で心配していたのが、頻尿問題。授業の途中で尿意を催すと困るなと思っていたのだが、なぜか調子が良くてその心配は無かった。緊張して汗も出ていたせいであろうか。
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90分の長い授業が終わって講師控え室に戻った時に、腰が異様に痛いのに気づいた。教室では緊張していたので気づかなかったのだろうが、立つことも出来ないくらいに痛い。腰の後ろ側に鈍痛が走って、座るのもやっとの思いだ。腰のちょうつがいが劣化して、ふくよかな上半身を受け止める事ができなくなったようだ。これからは腰の痛みをどう調整するかが課題になりそうだ。
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さて、私の初講義の印象だが、初めてと云うこともあってか、奇妙な緊張の中に生徒達のバラバラではあるが時々興味深そうに見つめる視線が教室内に充満して、決して不愉快ではなく心地よいエネルギーが充満している磁場に浸っているようだった。会社では味わうことがない瑞々しい若者のほとばしる熱気が私に遠慮なく突き刺さってくるのが感じられ、それが私の感性を刺激していたのだった。学校の先生は若々しいと思っていたが、なるほどこの為なのかと感じたのでした。
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次週は体育の日で休みなので、次の講義は2週間後。教えるのが楽しみになってきた。
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