ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

SLやまぐち号

2009-04-28 20:50:20 | 

 

  

  日曜日、朝8時。我が家に和音君と奏汰君が勢ぞろい。今から山口に行くのだ。目的はSLやまぐち号乗車。汽車好きの和音君にバァバがSLを体験させようと企画したもの。可愛い桃太郎と金太郎のお供は当然、雉と犬と猿。(妻と長女とケンさんです)  小さいながらも奏汰君はキビ団子(お握り)をリュックサックに詰めてもらって背負っている。

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この計画、実は妻と長女と和音君の3人だけで行くつもりだったようだ。ところが私が行きたいそぶりを見せたのと、高速道路の千円乗り放題の記事を読んで、私にお供役を命じたのだ。となると、次女も安心だと思ったのだろう、「奏汰君も連れて行って!」 

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ETCカードを間違いなく挿したことを確認して、次女の見送りの中、我が家を出発。高速を経由してJR新山口へ。低気圧は東へ去って天気は快方に向かっている筈なのだが、空は曇り空。念のために雨傘を車に積んではいたのだが。

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SLやまぐち号は貴婦人と愛称されているようにC57系の優雅な蒸気機関車。土、日の休日のみ新山口と津和野間を走っている。1日に1往復だけだ。日本各地でSLやトロッコ電車が復活しているようだが、ここもすごい人気と聞いていた。全席指定券が必要だが、妻が準備した。

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高速道を無事に走って、目指す新山口には10時に着いた。途中、小雨が降ったのが唯一の気懸かり。まさか雨じゃないだろうな! 発時間まで40分もあると思いながらも駅舎に入ると、ちょうどSLがホームに滑り込むところだった。ラッキー! 私達は慌てて改札口を抜けた。

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ホームには私たちと同じように子連れの客と高年層のお客がひしめいていた。なるほど!人気の高さが伺われる。乗車記念に写真を撮ろうと思って先頭の機関車のところへ駆け出したが、皆同じ思いなのだろう、写真スポットは人、人、人。もくもくと煙や蒸気を吐き出している貴婦人の雄姿をカメラに収めようと人混みを掻き分けての記念撮影だった。孫たちは始めてみる機関車の圧倒的な迫力に押されたのか、人混みに恐れをなしたのか、意外と大人しくしていた。(和音君はSLやまぐち号のミニモデルが欲しいと騒いでいた)

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列車は5両編成。客車は、明治・大正・昭和・欧州・展望車とそれぞれ装いが異なっている。私達は昭和の車輌。昔懐かしい車輌だった。欧州の車輌は豪華な背もたれで、じゅうたんまで敷いてあってまるで宮殿のような雰囲気。同じ料金だったら、欧州車輌の方が良かった!

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やがて定刻になり、長い汽笛を発して動き出した。私にとっては40年ぶりくらいのSLだ。窓を開けて前方を見ると、白い煙をもくもくと吐いて懸命に進んでゆく機関車がなぜか愛おしく思えた。孫たちも大人しくしていたのは最初のうちだけ。妻に連れられて展望車に行ったり、明治の車輌を見学に行ったりと、じっと座ってはいない。私だけが荷物番。

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急勾配の山道をやまぐち号はあえぐように進んだ。沿線には各所で3脚を立ててカメラを構えている人たちや、笑顔で手を振っている人達がいて、地元の人たちにも愛されているのが判って嬉しかった。ただ、煙や蒸気が沿線の家屋に吹き付けられているので、列車が走る休日には洗濯物が干せないなと思ったりもした。

 

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津和野に着いたのが定刻の12時40分。ところが雨が降っていた。晴れていたら、自転車を借りて小京都津和野を散策しようと思っていたのが、思惑が外れてがっかり。小雨ではあったが気温は低く、肌寒い。とりあえず昼食を、と駅前を見渡すが、何にも無い! タクシーが数台溜まっているだけだった。駅舎の横にテントが張られて、津和野案内のボランティアが居たので、妻が食事が出来るところなどを教えてもらった。

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紹介された駅から200mくらい離れた和風レストランに駆け込んだ。長女は薄着だったのでかなり寒そう。ここの名物がサバ寿司だった。山の中なのにサバ? 後で判ったことだが、津和野は江戸時代から4時間も掛けて日本海の新鮮な魚を運んでいて、そのルートをサバ街道と呼んでいたのだった。だから駅前の通りを新サバ街道と称して、サバ寿司が名物として売られていたのだった。

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<o:p>津和野駅</o:p>

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お勧めメニューに、サバ寿司1200円と大書されていたが、私はサバに弱い。100%、蕁麻疹が出る。だから私は無難に『カツどん』、妻と長女が遠慮せずに「サバ寿司」と「焼きサバ寿司」を頼んだ。

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程なく出されたサバ寿司は脂が乗っていて美味しそう! それにサバが大きくて長さが30センチ程で量も多い。それを見て思わず生唾が湧いてきた。焼きサバなら当たらないでしょ、と妻が云うので私も焼きサバ寿司に手を出した。 実に美味しい。 脂が滴り落ちるような感じだ。 数切れ食べた後で、自分のカツどんまで食べたので、もう満腹。昨日に引き続いてお腹が悲鳴を上げていた。

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食事が終わって時間を見ると、帰りの特急電車にちょうど間に合う時間だった。電車は1時間に1本しかないし、相変わらずしとしと雨が降り続いているので、帰ることにした。孫たちが風邪引くかもしれない。電車は3両編成。自由席は1両しかなかったが、運よく席が空いていた。孫2人は妻と長女がそれぞれ抱きかかえて座った。孫たちも疲れたのと眠たかったのか、2人ともすぐに眠ってしまった。私も満腹だったので、まぶたがお腹に引き寄せられて、うとうと。電車の中は暖かくて快適だった。

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新山口駅前に駐車していたマイカーに無事に乗り込んで一安心。安全運転で帰り着いたのが4時過ぎ。雨で残念でしたが、孫たちのSL体験でした。次はSL人吉号。のんびりと人吉温泉に泊る旅をしたいものだ。

 

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誕生祝いはバイキングで

2009-04-26 21:03:06 | 平々凡々

    妻に届いた花束。ありがとう、お姉さん。

 

  土曜日、昨晩は潮干狩りで疲れたのか、9時過ぎには寝たので目が覚めたのが5時過ぎ。階段をいつものようにトントンと降りたのだが、なんとなく太ももに違和感がある。潮干狩りで前かがみになったので、筋肉がこわったのだろう。(日曜の今日、筋肉痛がますます広がり、痛みも激しくなってきた)

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   まだ暗かったので、そのまま居間に座り込んで撮り溜めしていた将棋番組などを見た。ようやく明るくなったのでカーテンを開けると、昨夜来の暴風雨も収まる気配を見せてはいたが、やはり鉛色の空は残っていた。だが西の空は雲が薄くなっていて、午後には雨が上がると思われた。

 

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 やがて、妻も起きてきたので、いの一番に「誕生日おめでとう!」

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  覚えていて良かった。とは言っても、思い出したのが昨晩なのだから、プレゼントは準備もしていない。けれども、気は心。メッセージだけでも。

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 プレゼントがないのでその代わりに、食事にでもと朝食の時に提案したら妻は心当たりの店があるようで、「空いてないとは思うけど、連絡を入れてみる!」という。だからこの件は任せて私は書斎で机上やパソコンの整理をしていた。すると、妻から「取れたわよ!」と弾んだ声が。女性に人気のレストランだそうだが、運よく1席だけ空いていたと云うのだった。

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 ということで、街なかにあるホテルニュータガワ内にあるレストラン「雫」という京風創作オーダーバイキングの昼メニューに行くことになったのだ。和風料理で制限時間が90分のバイキング、売りは料理はもちろんのこと、ホテル内の景色とデザートだという。私はフランスのコース料理じゃなかったので、財布にはそう響かないと安心したのだったが。

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<o:p>  ホテルニュータガワの中庭とバイキングで食べた最初の料理の一部。 後は一人2835円の元を取るのに夢中で・・・。</o:p>

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 開始時刻の1時に15分ほど遅れて、「雫」に到着した。ガラス越しに庭園を配置した落ち着いた雰囲気のレストランで、客の全員が女性と言ってもいいほどだった。すでに数多くの料理を取り終えて盛んに口を動かしていた。私たちも席に案内されてから、負けずに料理を並べた。まずは一通り小皿から。そしてお寿司や天麩羅をオーダーした。

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誕生祝いなのでワインで乾杯をしたかったが、和風料理には合わないと思って、飲み物は冷酒にした。ちょっと辛口の「松竹梅、黒麹4段仕込み」

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それから1時間、昼食のご飯の量を減らすという課せられたテーマを頭の片隅に追いやって、懸命に食べた。そしてお腹はいっぱいになったのだが、さらに追い打ちを掛けるようにデザートとしてマンゴープリンと何とかプリンを2個も!(妻は3個も食べました!)<o:p></o:p>

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さすがにお腹がはちきれんばかりに大きくなって、帰りは運動を兼ねて歩くことにした。二人で太鼓腹を抱えて歩く様はみっともなかったと思う。知人に遭わなくて良かった。やっとの思いで帰り着いて、妻はそのままベッドで昼寝。私も居間でうとうと。夕食も食べずに寝てしまったのでした。

 

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成人病対策? 潮干狩り

2009-04-25 19:04:00 | アウトドア

 

金曜日、休みを取って午前中は掛り付けの病院へ。毎月の検診と先月に実施した血液検査の結果を聞くためだ。尿酸値が高いため、薬を飲むようにしているが、その効果を調べるのが目的だった。が、会社で特定保健指導を受けることになったように、肥満が原因の成人病をチェックすることにもつながる。私としては、「ほぼ問題ない」という結果を期待していたのだったが。

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 結果、尿酸値の外に、中性脂肪、血糖値が標準値よりはやや大きいと示されていた。やはり症状は変わっていないということであろうか。食生活や行動パターンが同じなので変わるはずがない、というのが真実のようだ。先生から「お酒は適度に」「油脂分が多い食事は控えめに」という毎度おなじみの言葉を聞いて、病院を後にした。「分かってはいるんですよ、先生!」

 

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 天気は曇り、やや肌寒い。予報では低気圧が来ていて今夜から暴風雨とのことだ。ということは昼間は大丈夫ということ。予定通り、潮干狩りに繰り出すことにした。今日は大潮、今日から3日間が潮干狩りに絶好というわけなのだ。

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 病院から戻って、早速潮干狩りの準備を整えて、しゅっぱ~つ! 目指すは前回と同じ、行橋市簑島。マテガイ掘りだ。干潮が14時40分なので昼過ぎに着けば大丈夫と踏んで出かけたのだった。が、あと30分早ければ良かった!

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 12時半に浜辺に着いた。潮はかなり引いており、中学校の団体らしい人たちがもう浜に入っていた。私も負けじと防寒着等を着て準備していると、漁協のおばさんが入漁料を取りにきた。500円!

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  しまった、30分遅かった! 別に不服ではないが、潮干狩り客全員から集めるのならば納得するが、取れる人だけからしか取らないので、どうもしっくりこないのが本音のところ。

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 マテガイ掘りは4回目。はまさんから教わったが、まだ初心者だ。鋤で砂を掘って穴を見つけてそこに塩を振り掛ける。塩辛い(?)のに閉口したマテガイが飛び出るのを待ちかねて捕まえる、というもの。言葉で言うと簡単なのだが、これが意外と難しい。深い穴を掘ると海水が沁み出してきて、せっかく見つけた巣穴が水で埋まってしまうし、浅く掘れば塩をかけてもマテガイが反応しないのだ。

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  初めの頃は巣穴が6個に対して1,2枚のマテガイを捕獲できればいい方だった。ところが40代くらいの女性が掘るのを見ていると、実に手際が良い。小さな鍬で砂を掘り起こすと素早く塩を多量に撒き、モグラたたきの横領で両手で飛び出るマテガイをつかみ上げる。1回の作業で5,6枚も捕獲していた。なるほど、塩は多量に素早く!がモットーだ、と私も分かった。けれども、同じようにできない。私の塩入れは妻から貰った蜂蜜容器。その口は径が7ミリくらいだろうか、その口が湿ってしまって塩がくっついて出にくいのだ。仕方ないので口のところを取り外して、直接撒くことにしたのだが、もう遅かった。潮が満ち始めていた。

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 結局3時間くらいの間、沖に出ていた。戻ってくる人たちの収穫を見ていると私の2倍から3倍くらいだ。もちろん二人づれの人もいるのだが。次回は準備万端、ノウハウも会得したことだし、大漁が期待できるはずだと思って帰路に着いた。

 

   

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<o:p>  ツガニを見つけました。バケツの中に入れていて、逃がすのを忘れて持ち帰りました。和音君が来ていたので見せてこれな~に? </o:p>

<o:p> 「これはカニ」と和音君が答えました。初めて見たはずなのによく分かったものです。</o:p>

<o:p> ツガニ君、元気に横歩きをしてました。可哀想なので川に逃がしました。今晩は雨なので、きっと汽水域までたどり着くに違いないと。</o:p>

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孫たちの日曜日

2009-04-23 20:52:31 | 

 

  

    帆柱山ケーブルカー「かなた号」

 

 

  土、日曜は特にイベントが無い限り孫たちはそれぞれの家庭で過ごしている。公園で遊んだり、デパートのおもちゃ売り場で電車に乗ったり、イチゴ狩りに行ったりと、親子3人で楽しい1日を過ごしている。

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先週の日曜日は,

 

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<和音君> 久しぶりにマンションでの一こまです。ママのメッセージ「ぬいぐるみに本を読んであげたり、布団を掛けて抱っこしたりしています。ぐりとぐらとくるりくら、というながぁい絵本をほぼ最後まで一人で読みます」

 絵本と自動車・汽車が大好きな和音君、ミッフィーちゃんにお話してあげてたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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<奏汰君> かなた号ケーブルカーに乗りました。北九州市の真ん中に玄界灘を覗き込むようにそびえている帆柱山。この山には2台のケーブルカーが掛けられている。その名も「はるか号」と「かなた号」。かなた号は全長1100m、標高差440mあまりの緑の中を約5分で登ります。頂上から望む夜景は新日本3大夜景に選ばれたほど、見事なものです。かなた君、すっかり満足して上機嫌でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  カウンターが「111111」に近づいています。 これを踏まれた方、若しくは近い方、ぜひとも連絡をお願いします。よろしくです。

 

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お絵かきその後

2009-04-21 20:41:51 | 屋内趣味

 

   ペンタブをディスク袖に置いて、準備は万全ですが。

 

  1ヶ月以上も前に仕事に余裕ができたのでお絵かきを勉強したいと書いた。そしてその時にマウスで自由に線を描くのは私には無理なことが判明したとも述べた。それで私がどうしたかと云うと、早速ペンタブを通販で買ったのです。それもその時にすぐに。手軽で一番安いワコムのA6サイズのもの。価格は忘れたが12000円くらいだったかな。

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 ところが、購入した直後に仕事が急に忙しくなって(宮崎の物件が入ったのです)、お絵かきの勉強を棚上げしていたのです。 そして1ヶ月が過ぎた。そろそろお絵かきの再勉強をスタートしなければ、と思ったのです。

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 ペンタブにはお絵かきに関するソフトが数種入っていた。写真加工や水彩画作成などだ。さて、これを見てまたまた考えた。どれから着手すべきだろうか。究極の目標は水彩画系のイラスト作成だ。とはいっても手軽に写真を加工して絵画的に仕上げるのも魅力がある。私がひそかに考えているのが、世界遺産の見事な風景を私のお気に入りの絵画に仕立て上げたいのだ。世界遺産は百以上もあるので、リタイア後のライフワークとして取り掛かれたら嬉しいと。

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 写真加工やイラスト作成に関しては、ずぶの素人! 用語から勉強してゆかなければならない。とりあえず、マニュアルを読み始めることにしよう。

 

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暑い!

2009-04-19 20:31:20 | 平々凡々

 

  八朔の花です

 

  土曜日、雲ひとつなく濃いめの碧さの空が広がっていた。日差しも春のそれではなく、夏のような感じだった。が、気持ちよい。心が浮き立つような気分だった。 こんな時には魚釣り(婿殿がこはだを大量に釣ってきたと聞いていた)が絶好と思ったのだが、その前に懸案の植木の手入れ。

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 垣根として赤芽(レッドロビン)を植えているのだが、それが繁茂して車の通行に支障をきたしている。それにキンモクセイも伸びすぎだ。赤芽は毎年、春と秋に刈り込んでいるのだが、その時期だったのだ。

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 朝食後、麦藁帽子の作業服で刈り込み開始。キラキラとお日様が輝く中で、脚立に立って剪定に励んだ。剪定などの植木手入れは改築した10年前からは私の仕事だ。それ以前は親父がやっていて私はしたことがない。親父の道楽だ、くらいの認識しかなかったのが恥ずかしい。

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 始めて1時間したころ、妻が加勢に出てきた。良い天気なので私もと思ったのだろうか。帽子などの日焼け対策は取っていたのだが。(これが後で問題に!)

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 それにしても、赤芽は伸びていた! 毎年成長の度合いが加速しているのではないかと思えるほどだった。夏を思わせる日差しの中で、汗びっしょりになりながら二人で懸命に手入れをし、そして道端いっぱいに散らかった葉を片づけた。休みもせずに作業して終わったのが1時過ぎ。4時間以上も掛ったことになる。お腹が減ったのも気付かずに、よく頑張ったものだ。

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 簡単な昼食後、私はジムに出かけた。エアロビとゴルフの練習だ。いつもの時間と違ったので、初めてのインストラクターのレッスンに入った。まだ10代かとも思える若い先生だった。ワークアウトエアロだったので、最後の10分間くらいはランニングだと覚悟はしていたのだが、それどころではなかった。エアコンの調子が悪くて、冷気の量が少ないというトラブルはあったのだが、それにもまして、この先生の動きが早いこと、目まぐるしいこと! 私は熱中症になる直前のような感覚に襲われたのです。(以前、娘とやはり夏に体育館でバドミントンをしていて、あわや熱中症になるかと思ったことがありました) 水分を大量に補給して、難を逃れたのでした。 けれど、その日のビールは美味しかった! 

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 日曜日、妻と些細なことで喧嘩してお互いに不機嫌だった。スーパーの朝市に行くつもりでお化粧を始めた妻が、素っ頓狂な声を出した。「私の頬が腫れて赤くなっている!」

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 もともと妻は色が白く、頬は赤くなるタイプなので、私は気にもしてなかったのだが、妻が怒り出すこと怒り出すこと! こんなに赤くなっているのが分からなかったのか!と。 その気になってみると、確かに赤くなっている。それに熱もあるようだ。妻の言い分によれば、昨日の剪定作業の前に日除け用にクリームを塗ったのだが、どうもそれに負けたのではないか。 年をとると、皮膚が弱くなってしまうのだろうか。 それから患部を冷やして、妻は安静に!

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 仕方ないので、朝市は私が一人で行くことに。目玉は鯛。養殖ものではあろうが1キロ弱くらいのサイズが1匹700円。お刺身用に3枚に下ろしてもらった。

 

 妻がご不興なので、私も遊びには行けない。後でどんなことを言われるか分かったものではない。ということで、燦々と日が照っている日曜日、私は一人で囲碁や野球・ゴルフの中継を見ていた。贔屓の西武は日本ハムに3連敗、さくらちゃんも18番で痛恨のスリーパット。巡り合わせが悪い日でした。

 

 

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ベイジン・・・技術屋魂

2009-04-17 20:48:00 | 平々凡々

世界最大の原発建設に中国国家はどう取り組むのか。原発は神の火?それとも悪魔の火? そして技術総責任者として派遣された日本人の良心・技術屋魂とは。

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 この本への思いは別に記載しているので詳しくは書かないが、私も40年近く技術屋の端くれとして生きてきた。成功もあったし、失敗もあった。私の生きてきた証として記録を残しておきたい。

 

  

  私自身の想いとして書いています。長文で分かりにくいかと思いますので、無視してください。代わりにトピックの写真を。

 

    

会社でボタンの花に傘がさしてありました。心優しい人の想いです。いつの間にか傘の数も増えていました! 右のミカンは先日紹介したお刺身で食べる日向夏を輪切りにしたもの。房と皮の間の綿のようなところが厚いです。kiriさん、中身が分かったでしょうか? 味はまさに「乙女のキッス」。 酸味はほとんどなくてむしろ甘さを感じました。

 

  

私の仕事は超高電圧機器(主に変圧器)の設計だ。基本設計書を作成し、それに基づいて箱屋といわれる構造設計屋が収納する入れ物を作る。車で云えば、エンジンや制御部分、全体の基本概念イメージから車の性能、エンジンや制御部分の詳細設計を担当していることになる。したがって、機器のコストから特性、信頼性まですべての責任を委ねられていることになる。数億円から数千万円の価格帯であり、受注から納品まで最短でも半年、永い物で3年くらいを要する。入社してすぐに技術部に配属され、最初の1年間は見よう見真似で設計をしていた。独り立ちしたのが3年後。第1次オイルショックが始まる頃だ。戦後の復興期を背景に業容はすさまじく発展し、それと共に私が担当する機器も超高電圧・大容量化の追い風がすさまじく吹いていた。

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新技術は大阪にある親会社から学ぶことが多かった。設計書を片手に夜行寝台列車でとんぼ返りが当たり前の生活だった。ただ、その頃の私は精鋭の技術者として社内から認められつつあったので、疲れや苦労などはひとかけらもなかった。やる気満々だったのだ。今から思えば、生意気な若手だったと思う。自分の意思を決して曲げなかったのだから。

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技術で悩むことも多かった。親会社に尋ねても、明確な答が示されないことも有って、寝てもさめても考え抜いた。どうしても分からない時は、もっとも安全な策を準備しながら、これと思った設計を採用したりした。今思えば無茶なことだが、当時は個人の力量・才覚に任せられていたのだ。このおかげで私の設計自由度は大きく、色んな技術にチャレンジして習得することが出来た。

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失敗も1度や2度ではない。試験の結果が思わしくなくて、現場の班長にお願いして徹夜で造り直したこともある。要するに私の冒険が期待以上に過ぎたミスなのだった。

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設計に当たっては電気設計の他に熱設計、構造強度設計など、広範に渡った工学技術が必要だ。その他にも現場への輸送問題・ユーザーの運転監視方法なども押さえておかなければならない。要するに総合技術が求められる。だから、概要設計が終わるとデザインレビューを行って、設計品質を全社で確認することが通例である。我が社の設備で製造可能か? ユーザーニーズに適合した品質が確保できるか?等。

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製品を試験した場合に、その特性結果が設計値と一致すればよいが、大幅に違うことがある。この場合が問題だ。私自身の判断基準はこの製品が30年以上も無事に使用可能か? と云うことだ。運転していて爆発したり、高熱が発生したり、破壊することがあってはならない。

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試験検査を行うと、製品の信頼性が評価できる。したがって製品試験は重用だ。原発でも100%出力じゃないと良否の判断が出来ないと書いてあったが、正にその通りだ。定格出力時の温度分布が問題なのだ。内部に熱がこもって、思いがけない事故が生ずる可能性がある。 要するにIHヒーターと同じ原理で、強磁界のために思わぬ損失が発生することが有るのだ。

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私の最大のミスもこの強磁界が原因だった。当時としては記録品であった大型変圧器で試験後、若干損失が大きく計測された。試験官は大して問題が無いと思ったようだが、私にはなぜ損失が増えたのか不思議だった。その原因を考えに考えて出した結論が変圧器内部に溜まった熱。原因は100%出力時の磁界だ。このまま納入すれば、30年の期待寿命に疑問が残る。意を決して私は、上司に見解書と対策案を提出した。幸いに理解があった上司(大学の先輩だった)だったので、すぐに採用してくれて、3ヶ月掛けて作り直し(手直し)をした。その結果、見事に試験データは設計値と一致した。

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この時、私はボーナスをカットされた。設計ミスによる損害発生がマイナス評価されたのだ。だけども、私は自分の意思を貫いてよかったと思っている。この経験が私のステータスとなって現在も生き続けている。私は自分の良心に恥じないように、出来うる限りの製品を創出してきた、と。<o:p></o:p>

表彰も何度も受けた。記録製品だったり、技術革新だったり。お客さんから涙を流さんばかりにお礼を言われたこともある。沖縄に納めた製品だった。このときは今は居ないがK君と死に物狂いで共に設計に取り組んだ。

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最近では1昨年のリアクトル。親会社でも製作したことが無い大物だった。それを私が受注から設計・製作・試験まで面倒を見たのだった。リタイアした後だったので、苦労して受注活動や製作に携わらなくても良かったのだが、なぜか私の魂が揺さぶられたのだ。個人プレー的物件だったので、社内の現役世代からの反発もあった。だから私のわがままを許してくれたTOP層の恩に報いるためにも、絶対にミスは許されないと精を込めた。親会社の工場で無事に試験が終了して、結果も私の設定どおりだった時にはそれこそ、気が抜けたような想いだった。その時に訪れた那智の滝は一生の思い出に残ると思う。やり遂げた思いで爆水が神々しく思えたのだ。また夕焼けに染まった明日香の地で、箸墓古墳や石舞台古墳の息遣いを感じることが出来たのも、私が頑張ったお陰だと感謝している。<o:p></o:p>

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私が手がけた製品は、運が良いためもあろうが、今まで事故は起きていない。技術屋として。誇りにしても良いことだと自負している。老技術屋の愚痴と思うかもしれないが、私のバックボーンとして萎えそうな気力を奮い起こして進みたい。今まで頑張ってきたのだし、これからも頑張れるはずだ、と。

 

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筍とビワ

2009-04-16 20:32:46 | アウトドア

  

  Aさんの田んぼ。れんげ草がところどころに。  

 

  日曜日、遠賀のAさん宅に出かけた。1昨年にリタイアして持ち山の手入れや畑仕事をしているのだが、どうしているか心配だったのだ。 それに筍のシーズンでもある。

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  半年ぶりのAさん、元気で庭仕事をしていたが赤ら顔でお腹が盛り上がって布袋さんのようだった。働きに出ていないので、自由気ままに時間を過ごしているらしい。6月からは年金も入るし、そんなに長生きもしたくは無いし・・・という。世捨て人のようだ。けれども社の現況は気に掛かるようで、だれそれはどうしてる? あの職場は忙しいか? などと次から次へ質問してくる。私も出来る限り説明して、再度働かないと、と薦めたが、「もうしごとは嫌だ!」と云うばかり。

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 Aさんが元気なので安心して、いつもの竹林に分け入った。もう筍が出ていることだろうと思って。ところが、今年は雨が少ないのが原因なのだろうか、遅れていた。筍は大きすぎるのも硬くて不味いが、小さすぎるのも見つけにくいし、量は少ないし、困る。 とは言っても、せっかく来たので手ぶらも癪だ。日当たりが良さそうな場所を集中して探した。その結果、小さな筍を10数個見つけた。

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大量に掘るのならば、例年のようにドラム缶に湯を沸かして、灰汁抜きをするのだが、今回はそうも出来ないので持ち帰ることにした。妻に面倒をかけるが、家で鍋を沸かして灰汁抜きだ!

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袋掛けが終わりました。

 

帰りに遠賀農協で枇杷袋を買った。300枚で1065円。ちょっと多すぎるとは思ったが、余れば来年使えばよい。帰宅したのが1時半。早速、脚立を出して袋掛けを始めた。終了したのが、4時半。3時間掛かったことになる。かぶせた袋は偶然だろうがぴったり100枚。昨年が150枚以上だったはずだから、今年は少ない。昨年が出来すぎだったから、まぁ仕方ないだろう。2ヵ月後が楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私のオーガスタ

2009-04-13 21:32:48 | アウトドア

 

  

  鞍手CC,中コース5番。ニアピンコンテスト対象ホール。ピンの右1m少しに付けて前の組の旗位置よりも近づけました。

 

  土曜日、ジョージア州オーガスタナショナルGCの空は青く澄み渡っていた。 1番ホール、私が渾身の力で放った白いボールはその紺碧の空を切り裂くかのように高い弾道を描いて飛んでいった。ナイスショット!大勢のギャラリーから歓声があがる。タイガーウッズ顔負けのドライバーショットに、思わず笑みがこぼれた。<o:p></o:p>

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  もちろん、夢の話だ。今日は製造部長杯ゴルフコンペ、今年2回目のゴルフで気分が舞い上がっていたのだろうか、想いがマスターズゴルフと重なっていたのだ。初夏を思わせる陽気だったので、半年振りに長袖を半袖に替えて颯爽と鞍手CCの東コース1番ティに登場した・・・のです。

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 この半年、練習場では体力変化に合わせて、グリップの修正とショートアプローチの練習に精を出してきた。飛ばないのは仕方ないと諦めて、正確さを追求することにしたのだ。その成果だろうか、ドライバーはそこそこ、アイアンは切れて面白いようにピンに絡んだ。ただパットには苦労した。オーガスタナショナルに引けを取らないくらいにアンジュレーションに富んでおり、ピンも難しい位置に切っていたのだ。 

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 さて結果だ。スコアは48,44の92。ハンディは10なので成績は10オーバーの82だ。アウトで不運なOBとロストボールがあったので、4打も損したのが痛い。けれど順位は参加者28人で7位。ラッキーセブン賞だった。その他にニアピン賞を2ホールともGETできた。如何にアイアンショットが良かったか理解できると思う。ニアピン賞は二つともピンから1メートル少しの距離だったのだから。ただ、グリーンは難しく、バーディは1個しか取れなかった。(それでも同伴者はチョコ泥棒!と罵っていたのだが・・・チョコは26枚の収入でした)

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<o:p> GETした賞品。開けてみると右側のパット練習マットでした。</o:p>

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ラッキーセブンの賞品を意気揚々と持ち帰った。妻に見せると大きな箱なので毛布か布団類だろうと云う。そして玉手箱を開けると! なんとチップパター練習マット!! 4980円の値引きシールまで貼られていた。 これを見て急に妻が怒り出した。 家庭に何の役にも立たない品物だったからであろうが、「家庭で待っている女性向けの賞品が当たり前なのに、幹事が悪い!」。 確かに昔の賞品は女性向けの品物が多かった・・・。箱が大きくて、期待も大きかったのだろう! 5000円の賞品だったら何が買えるか・・・と考えたのかも知れない。私にしたって、このような練習パットは不要だ。

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思わぬことで妻の不興を買ってしまったが、私の責任ではない。一時、自信を喪失していた私のゴルフにも曙光が見え始めたのが嬉しい。練習にも実が入るというものだ。

 

マスターズゴルフもカブレラの優勝で終わりました。惜しかったのがケニー・ペリー。最後は体が動かなかったようです。ウッズはやはり本調子じゃないのでしょう。最後になって崩れました。日本の片山さん、頑張りましたね。遼君はいい経験をしました。来年がまたまた楽しみです。

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4つの約束

2009-04-10 21:24:18 | 平々凡々

 

  先日、特定保健指導の対象者に見事に選ばれたと報告したが、早速そのスタート、個人面談があった。ヘルスサポート会社から派遣された20代の若い女性が担当で、個人情報に関することだからだろうが個室が設定されていた。パソコンでのレビューだったが、なぜ私が選ばれたのか、なぜ指導が必要なのか、などの動機付けから、生活パターンをベースにした具体的な行動目標、その実施記録のつけ方やサポート・チェックのやり方などを(無理矢理に)決めさせられたのです。PDCAを回すというが、まさにそのPDCAの手順・約束を決め合ったのでした。<o:p></o:p> 

 

 私の場合、指導の対象ははっきりしていて太りすぎだ。肥満指数(BMI)が26.2%で指導標準値25%を超えているのが問題なのだ。だから大目標はずばり「体重減」とあっけなく決まった。そして目標値は指導が終了する半年後に「2キロ減」だ。

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 そのために、何をするか・・・担当の女性が「お酒を・・・」と言いそうになったので、慌てて「お酒だけは止められません」と先手を打った。「ストレスが発散できません!」<o:p></o:p>

 結局、私の行動目標は『体重2キロ減』を達成するために<o:p></o:p>

    会社の昼食(定食)で、ご飯の量を3分の1減らす。(週5回)<o:p></o:p>

    毎日筋トレ(色んな種類の腹筋を計70回)(週5回)<o:p></o:p>

    毎日トレーニング(腕立て伏せ20回)(週5回)<o:p></o:p>

    会社までの通勤は歩行とする。(週3回)<o:p></o:p>

これが、私の4つの約束だ。

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  実を言うと、①のご飯の量を除いて、他の3つは現在も実施していることなので、効果は少ないと思う。ただ、出張なんかの時は実施できないので、週に5回と云う制約のために家庭でもしなければ、と思うかもしれない。それにご飯の量は夕食の量にも影響するかも。戦後世代の常として、出された惣菜はすべて残さずに!が美徳として躾けられてきたが、これからは残すことも美徳になりそうだ。<o:p></o:p>

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今日の昼食(定食)です。御飯が2/3量のつもりです

 

 最後に、我が社で指導を受けるのは何人なのか尋ねたら、38人と返された。300人強の会社だから10%以上が該当者なのだ。成人病や肥満で生活習慣に起因するものなのだろうが、多すぎるような気がする。美食過ぎるのだろうか、それともストレス過多なのだろうか。

 

 

 

 

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