ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

飯塚「雛の祭り」ウオーキング

2012-02-27 10:13:19 | アウトドア

  

   気がつけばもう1週間。早い! 瞬く間に日が過ぎる。この前ブログ記事を載せたはずなのに、と思うのだが。<o:p></o:p>

 この1週間、実を言えば変化に富んだというか、色んな状況が舞い込んだ1週間だった。そのことはおいおい話すとして、今日はまたまたウオーキングのこと。詰まらないかもしれないが。

 

 久留米駅前のからくり時計。日本のエジソンと言われる田中久重翁は久留米出身。丁度9時でからくり時計が色んな仕掛けを見せてくれた

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 土曜日は久留米。梅林寺という久留米藩有馬家の菩提寺で梅の名所として有名なところを巡るウオーキングだった。例によってまだ暗いうちに家を出て(何故か休みとなると早く目が覚める!)、電車を乗り継いで久留米に着いたのが8時半。久留米駅は九州新幹線久留米駅と併設され、立派な駅舎に建て替わっていた。そこから、さぁ出発。久留米城址や有馬記念館などを見物し、九州最大の大河、筑紫次郎の河川敷を散策して最後に梅林寺へ。12キロを歩き遂せてやっとの思いで梅林寺にたどり着いたのだが、何ということか梅はまだまだ蕾み。ゆったりと赤い毛氈敷きの椅子で抹茶でもとの思いは見事に裏切られた。白梅がちらほらで、紅梅はまだ固いつぼみのまま。今年の異常気象はどうにかならないものだろうか。

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<o:p>  左:筑後川。多くのカルガモが。 中:まだまだつぼみが硬い梅林寺境内で。 右:梅林寺の茶店で。甘酒も美味しかった。</o:p>

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 それでも、梅園の中には茶店があったので、疲れていた私は「ぜんざい」と「甘酒」を頂いた。男一人なので寂しい気はするが、「まぁ、ウオーキングの楽しみ」の一つだ。

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 翌、日曜は飯塚のウオーキングで「雛(ひいな)のまつり」。飯塚は炭鉱の町として有名だが、実は小倉から長崎に向かう長崎街道の筑前六宿の一つとして江戸時代から賑わっていたところだ。でも最近はどこでも同じだが老舗の街並みはすっかり客足が遠のいて閑古鳥が鳴いているのだが、飯塚の町挙げてひな祭りで町興しと頑張っている。

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 さて、この日の朝食は昨夕の水炊きの残ったおつゆに餅を入れ雑煮とし、餅を3個も食べて元気いっぱいで家を出たのだが、なぜか私の調子がなぜか今一つ。なんだか微妙に歯車がかみ合わなかった。まず食べ過ぎなのか、家を出る直前になってお腹が痛くなり、バスを1本遅らせる羽目に。それが飯塚行きの電車に微妙に影響して、結局は快速電車で行くところが各駅停車の普通電車となった。まぁ、致命的ではなかったが。

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新飯塚駅に着いたのが1040分と遅かった(手渡されるコース案内表では私の順位は1081番だった!)のだが、今日はショートコース、2時間の予定だったので余裕を持ってスタートした。まずは駅裏の麻生大浦荘、飯塚歴史資料館を皮切りに、ひな祭り一色の商店街や嘉穂劇場などを散策した。道路やひな祭りのポイント箇所などでは「雛のまつり」の幟が立てられ、町じゅうでこの催しを成功させようと頑張っている熱気なども伝わってきた。

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  左:遠賀川河川敷。この川を石炭を積んで下っていた。 中:チロリアンや千鳥饅頭の千鳥屋本店 右:嘉穂劇場  

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<o:p>市内の各所でひな人形が飾られていた。右は商店街の中。畳んだ店も多かった。</o:p>

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伊藤伝右衛門邸は行ったこともあるし、昨日は12キロを歩いたこともあって、今日はもう良いだろうとショートコース5キロで新飯塚駅に戻ってきた。12時20分で2時間弱かかったことになる。距離的には大したことないが、見学時間に結構費やした。

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ウオーキングを終了するとカードにスタンプを押してもらえる。そのスタンプが10個または20個になると記念の品物を貰えるので、それもウオーキングの楽しみの一つだ。私は昨年の11月に10個を集めてJRの特製マップケースをGETしており、次は20個集めてボトルケースを狙っていた。ところが、コースをクリアしてスタンプを押してもらおうと意気揚々と到着受付に行くと、「スタンプは押しますが、このカードはもう使えません!」という。

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ここで重大なことに気付いた。ウオーキングの締めは2月末。毎年3月に始まるウオーキングは翌年の2月で締め切り、その時点でスタンプの有効は終わるのだった。私はすっかりというか、初めてのことなので知らなかった。ずっと毎年有効に継続出来るものと思い込んでいた。

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私のスタンプは結局7個で終わり。残念ながらこの7個は日の目を見ることはできない。来年に引き継ぐこともできないのだ! こんなことなら昨日の久留米、今日の飯塚は参加しても意味がなかったじゃないか!・・・ウオーキングは歩くのが目的だとは言ってもやはりスタンプは欲しいし、それで賞品を手に入れるのも目標になっている。<o:p></o:p>

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私のスタンプカード。残念ながらスタンプは7個で終了。せめて半分くらい繰り越せないものか

 

気落ちして、新飯塚駅から直方行きの普通電車に乗ったのだが、この電車が3分遅れて運行していると放送があった。が、私の頭の中はスタンプでいっぱい! もう2か所くらいウオーキングに参加できていたのではないか、いやいや10個は始めから無理なんじゃないかなどと。

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小倉に帰るには直方から電車を引き継いで折尾に出る必要がある。だから直方で折尾行きの電車を調べて乗るつもりだったのだ。ところが、直方に着いて、ホームに建てられている福北ゆたか線の時刻表を調べていると、「折尾方面は向かいの3番ホームの電車に乗ってください。」と案内があった。見るとなるほどホームに電車が止まっている。慌てて乗り込もうとしたのだが、途端にドアが閉まって電車が出てしまった! 「何ということだ! 汽車は出てゆく、煙は残る!」

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ここで思い出した。そうだ、今着いた電車は3分遅れていたのだ。だから通常は乗り継ぎもスムーズの筈なのに、今出て行った折尾行きの電車はそれを無視して定刻通りに出発したのだと!

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私は通勤でJRを利用しているし、JRの頑張りには敬意を表している。だからJR九州のファンでもあるのだが、今回のスタンプの件(はっきり言って、スタンプが今日を限りで無効と事務的な口調で言われてムッときた)と、この私を置き去りにした折尾行きの電車(ホームに残っている人を確認して出発するくらいはしても良いのではないか! 私が3分も遅らせたのじゃないのだから)の対応にはがっかりした。

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結局、20分待って次の電車に乗ったのだが今度は黒崎行き。折尾駅ではホームが違うので、妻が大好きな東筑軒本店のカシワ飯を買うことが出来なかった。黒崎駅でも乗り継ぎの電車時間が長く、イライラし通しだった。こんな事じゃいけないと反省はしたのだが。(小倉駅で立喰いの玄海うどんを食べてやっと気が落ち着いた。要するに腹が減っていたのだ)

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JR九州ウオーキング、80万人を突破してますます好評のようだ。熟年世代の手軽な健康増進の場として役目を担いつつもある。もう少しこまめなルールの説明などが欲しかったと思う。(単に私が1年ルールを知らなかっただけ?)

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雪中行軍12キロ

2012-02-21 21:03:07 | アウトドア

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  粕屋(篠栗町)の田畑。憧れの富良野をイメージしました。

 

   土曜日から強烈な寒波に襲われていた北九州だが、吹雪が時折り舞うものの積雪には到らず、日曜日も平穏な朝を迎えた。天気は福岡地方は午前中は雪で、午後から降り止むと報じられていたので、予定通りJRウオーキングに出かけることにした。今回は福岡市の東、自然豊かな粕屋がウオーキングの舞台だ。

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7時前の電車で鹿児島本線を西へ。博多の手前、吉塚で福北ゆたか線に乗り換えてスタート駅の門松駅に向かうのだが、電車が西に行くに連れて雪がひどくなり、門松駅に着いた時には吹雪状態。3センチ以上も積もっていて、一面の銀世界。昨晩から降っていたときいて驚いた。小倉はなんともなかったのに。

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まさか吹雪になるとは思いもかけなかったので、当然傘は持っていない。ザックから純毛の暖かいセーターを取り出してジャンパーの下に、そして先日買ったレインウエアを着込んで完全防寒スタイルでスタートした。ただズボンは厚手のジーンズ。ヒートテックの下着は穿いているものの寒いかもしれないが、今までの経験で大丈夫だろうし、それにトレッキングシューズなので雪にも強いだろう。

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門松駅をスタートしたのが8時25分、受付ナンバーは8番でほぼトップスタートだった。降りしきる雪の中をマスクして眼だけの完全装備で歩くのだから、異様なイデタチだったかもしれない。でもこの時点では意気揚々、元気溌剌だった。

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道路には雪が積もっていて、滑らないように注意していたのだが、さすがにトレッキングシューズ、そんな心配は無用、雪の中でも安心して歩けた。特に九大の森(自然研究林)では靴が隠れるほどの積雪だったのだが、歩くたびに「キュッ、ギュッ」と雪が鳴って、そのリズムが楽しくさえ思えた。ただ、やまちゃんが紹介していたスパッツを持っていないので、ジーンズの裾が濡れるのがいやだったが仕方ない。(帰りの電車の中で、凍っていた裾が濡れて足が冷えてきたが、それまでは特に寒いとは感じなかった)

 

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<o:p>左・中;九大の森で。ミニ八甲田気分。 右;異様な男が?</o:p>

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歩き始めて30分ほどもすると身体も温まって着込んでいたセーターを脱いで厚さを調節。雪も大して苦にならずにウオーキングを楽しんだ。それにしても久方ぶりに見る雪景色、真っ白な世界は夢の中に居るような感じもして、楽しく歩けた。これが例年通りだったら梅の香りが漂って、別の味わいがあるのだろうが。今年は梅の開花が遅いと聞いているが、コースでも梅の花は見れなかった。

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設定コース12キロを歩き終えて篠栗駅に着いたのが11時前。2時間半かかったことになる。早く終えたので何かプレゼントがあるかと期待していたのだが、それは無し。雨天扱いのスタンプを2個押してもらってウオーキングは無事に終了。たいして疲れも無かった。

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<o:p>思いがけなく早く小倉に帰りついたので、一緒にお昼をと、炊き込みご飯のお弁当を。</o:p>

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帰りの電車に乗った頃には雪もやんで、陽射しが覗いてきた。これで雪景色も終わりだろう。北海道の皆様には怒られるかもしれないが、貴重な雪中行軍を体験できたと感謝したい。

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デコポン

2012-02-20 14:38:30 | 平々凡々

 

 

最終授業の日、博多駅に「くまもん」が。 球磨村を人懐こくPRしてました。

 

木曜日、専門学校で最終授業というか、補講と追試を実施して私の担当の今年度の授業をすべて終えた。半年間、全19回の授業だった。2年目ということもあって、講義資料は前年のが使え、若干のゆとりは有ったのだが、今年は就職難ということもあって学生数が大幅に増加して2クラスになったため、同じ講義を2時限続けてしなければならず、体力的にさすがに疲れる。帰りの電車の中ですっかり懇意になったタイムサービスのお弁当売りの塩サバ弁当を食べるのが常なのだが、この時に私を励ましてくれたのがKさん、有り難うございました。おかげ様で無事に私の勤めを終えることが出来ました。来期もよろしくお願いしますね。

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土曜日、寒波が到来し北九州も吹雪が舞った。その吹雪の中をデコポン狩りというか、デコポンの買い出しに遠賀に出かけた。毎年世話になっているイチジク農家からデコポンも始めたという案内が来ていたのだ。2月半ばから収穫を始めるからと。我が家はみんなミカン好き。甘いデコポンを割引価格で、と。

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遠賀は会社の同僚Aさんの地元で土地鑑もあるので、大村果樹園にも問題なく到着した。前日に妻が連絡を入れていたこともあり、笑顔でご夫妻が迎えてくれた。まだ若い二人、パソコン世代ということもあってホームページなどでも紹介して、専業果樹園としてやっているようだ。広い納屋には農機具や車などが整然と並んでいて管理が行き届いていると感じた。2ケース買ったのだが、帰りにおまけとしてデコポンが数個入った袋を貰ったのがサプライズ、得意客としての配慮だろうが嬉しかった。

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<o:p>左:収穫したデコポンがサイズ毎に積み重ねられて。 右:吉田朝もぎイチゴ直売所の店内。色んな種類のイチゴがいっぱい。</o:p>

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<o:p>日にちは前後しましたが我が家の八朔も収穫しました。今年は裏年? 18個しか成りませんでした。</o:p>

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遠賀はまたイチジクの産地でもある。次女が数年前に眼の手術で入院した時に隣のベッドだったのが、遠賀のイチゴ農家の奥さん。娘達はその縁でずっと懇意に交流していて、イチゴを買っているのだが私達はその機会がなかった。折角なのでとそちらにも寄った。朝もぎイチゴ直売場として大々的に店を構えていた。それも女性に好まれそうなピンクを主体にした小奇麗な戸建てで、明るい店内、豊富な品ぞろえもあって、多くの客が入っていた。口コミで人気が広まっているようだ。

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帰ってそのイチゴを食べたのだが、甘さにびっくり。こんなに甘いイチゴは初めてだ。糖度はいくらかは知らないが、絶対に15度以上はあると思う。やはり新鮮なイチゴはおいしいのだろう。

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遥かなる帰還

2012-02-17 16:23:22 | 平々凡々

 

ウナギの稚魚、シラスウナギが不漁だそうだ。ここ数年で漁獲量が10分の1にまで激減して、何と1キロ百万円の相場というからものすごい。宮崎・鹿児島の浜で網を得物に懸命にその稚魚を掬っている映像が紹介されているが、頑張っても一晩で10匹程度しか収穫できないというからその惨憺さが分かる。ウナギの生態はよく分かっておらず、遥かマリアナ諸島の深海で卵を産むと聴いたが、親ウナギが産卵場所までたどり着いていないのかも知れない。

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ウナギ大好き人間の妻、このニュースを聞いて「ウナギは超高級食材となって、将来は食べられなくなる。今のうちに味わっておかなくては!」と本気で心配している。 しばらく外食から離れていたこともあって、「じゃ、夕食はウナギだ」、と出かけることになった。ただ、食事だけでも味気なく、前々から見たいと思っていた「はやぶさ?遥かなる帰還」を観て、その帰りにウナギ屋に行くことになった。ウナギもハヤブサも気が遠くなるような遠いところから帰還するのだから、似たようなものだと勝手に合点したりして。

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さて、水曜日。午前中は久しぶりに出張の仕事が入っていたが、昼過ぎには無事に終わったので、懸案の映画+ウナギに出かけた。平日なので客は少ないだろうなと思っていたのだが、大あたり。500席くらいの劇場なのに、たったの10人くらい。まるで貸し切りだった。映画館といえば暖房がよく効いているのが常なのだが、この日は客が少ないためか、途中から寒くなって慌ててコートを羽織る始末。寒いためか、映画による感情なのかどうかは分からないが、途中からハーフタオルが手放せなくなった。

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夕刻の5時過ぎに映画は終わり、夕闇せまる歓楽街を通って鴎外通りの「田舎庵」へ。小倉で一番のウナギ屋だ。若いころは家族でウナギなんて贅沢で考えられなかったが、田舎庵はここ数年で確か3度目だ。それだけ、心もちにゆとりが出来たということだろうか。

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もうこれっきりで食べられないかもしれないという強迫観念に押されたのか、妻がコース料理でも良いよと珍しく余裕を見せるので、私はせいろ蒸しコースを、妻はかば焼きコースを注文した。

 

3枚目は妻のかば焼き。4枚目が私のせいろ蒸し。他の4品は同じでした。

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やはり平日のやや早い時間帯だったので、他のお客は少なく、ゆっくりとウナギを味わうことが出来た。久しぶりに味わう一番搾りや東北の冷酒(名前、忘れた!)も美味しくて、二人ともすっかりご機嫌さん。私も年と共にウナギの美味しさが分かるようになってきた。

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今週末はまた大寒波が到来とか。今も外は粉雪が舞っている。立春も過ぎて朝も早くなってきている感じはするが、それでもまだまだ春は遠い。何故か今年は春が待ち遠しい。<o:p></o:p>

 

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女神がほほ笑んでくれました!

2012-02-14 20:19:36 | 屋内趣味

 

日曜日。前日の土曜日に引き続いて福岡は晴れ渡って絶好のウオーキング日和。早春の東峰村や瀬高の平家の里を巡るウオーキングなどが開催されていたのだが、私は残念ながら博多へ。博多駅前の日本棋院九州本部で春の法人囲碁大会に参加したのだ。

 

法人囲碁大会は春と秋に開催されており、昨春は見事に優勝、秋は準優勝とゲンが良い大会だ。チームは3人構成で大将が我が社の社長(8段の実力なのだが、規定で6段で登録)、副将が4段の私、三将が2段のA部長。このメンバーで毎回好成績を挙げている。何しろ大将が絶対のエースなのだから、私かA君のどちらかが勝てばチームは勝つ。

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 大会は有段者のAクラスと級位者のBクラスに分かれており、私達のチームはAクラスだ。対戦相手もJR九州や九州電力、積水ハウスと何度も戦った顔見知り。一番の強敵は1回戦で当たったJR九州。前回は負けてしまった相手だったので、雪辱を期して気合をこめて対戦した。

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 日頃、会社で昼休みに社長から教わっているので、ここ1年で実力をつけたと自負している私、1,2戦は割りと楽に勝って、あと1勝でチームも優勝というところまでこぎつけた。3戦目の前に支給されたお弁当を食べて、新たに気合を入れ直して午後の対戦が開始された。相手は九電OB.私と同等の実力だ。ところが慎重に打っていたはずの私だが、例によって闘争心がむらむらと持ち上がり、序盤でのっぴきならぬ戦いに。早々と勝ちたいとあせっていたのかもしれない。このため石が窮屈になってしまい、何と云うことかシチョウという初心者でも分かるような手を見落としてしまって、盤上の4分の1くらいの地を取られてしまった! これはもうアウト、必敗だから、投了しようかと思ったのだがまだ対戦は始まったばかり。時間が有り余っているので、打ち進めることにした。

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それからは負けを覚悟しているので手負いの猪と同じで、無理を覚悟で乱戦に持ち込んだ。互いに相手の大石を取ったり取られたり。戦いがたけなわの頃には両隣の我が仲間がともに勝ったのでチームの優勝が決まったのだが、私は一縷の望みを抱いて奮闘していた。相手は勝利は間違いないと思ってか、石が緩んでしまい私の追い込みが功を奏し、途中は私の逆転の局面もあったのだが、今度は敵も頑張り出して、互いに懸命、勝敗は不明のまま戦いが終わった。

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チームメイトの注視の中、地を数えると、なんと私の半目勝ち! 白番でコミ(ハンディ)が6目半だったのが幸いした。相手は当然憮然とした表情。負けるはずが無い序盤だったのに。勝負事は最後までやってみないと分からないと、私自身が驚いた対戦だった。

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その後、表彰式があったが我がチームが三連勝で優勝、社長と私が全勝、A部長も2勝1敗と全体で8勝1敗の堂々たる結果だった。私達は表彰状と優勝賞金、全勝賞などをGET。頑張った甲斐があったと思わずにんまり。良かった ! 

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意気揚々と帰宅したのだが、なぜか妻はお冠。 私の賞金を見てのことなのだが、せっかく博多に行ったのにと!  どうも気配りが不足していたようだ。

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城島酒蔵開き・・・JRウオーキング

2012-02-12 21:19:22 | アウトドア

 

建国記念日の土曜日朝6時半、張り切って家を出た。3か月ぶりのJRウオーキング、それも我が県の酒どころ、城島の酒蔵開きなのだ。冬季はウオーキングは休み、若い身体をもてあましていたのだが、やっと身体の赴くままに活動できる!(笑)

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 ところがバス停でバスの時刻を確かめて驚いた。「そうだ、今日は休日だった!」 土曜日だとは認識していたのだが休日でもあった。土曜日と祝祭日ではバス運行時刻が違う! 乗ろうとしていたバスはもう10分も前に出ていた。 次のバスは30分待たねばならない。 茫然として考えた。タクシーで駅に向かう手はあったが、こんなことで貴重なお金を浪費することはできないと、寒い中じっと我慢の子、辛抱した。

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 ウオーキングの最寄り駅は荒木駅。鹿児島本線の久留米の次の駅。このトラブルで計画より30分遅れて到着した。だが同じようなザックを担いだウオーキング者が多くて、今年も盛況だなと喜ばしく思ったりもしていた。寒気も過ぎ去って天気は快晴、ウオーキングには絶好の日よりだったのだ。

 

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 JRのウオーキング案内では歩行距離は荒木駅から9キロ、酒どころ城島の酒蔵が協力して各社自慢の新酒を振舞って盛り上げているようで酒好きの私、美味しい酒を飲めると期待していた。

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 田園地帯をオゾンを吸いながら優雅に歩いて疲れもなく最初の酒蔵に到着した。で、試飲はというと、もう200人位の長い列が出来ていて、これを見た瞬間にとてもじゃないと諦めてそこをパス。次の酒蔵へ向かった。ところがそこも人が溢れており、仕方なくメイン会場で一気に試飲しようと考えてここもパス。

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左:「花の露」酒造の酒蔵。 右:メイン会場で。利き酒に並んでいる行列ですが、どこが最後尾なのか?

 

 カタログを見ると城島地区の酒蔵は私が知っているだけでも「比翼鶴」「有薫」「池の亀」「花の露」「万年亀」「杜の蔵」など、二桁の酒蔵が記載されていて、正直驚いた。地元の酒を飲んでいたのだと。酒が自由化になって、自由に出回るまではやはり地元の酒が優先だったのだ。

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 それから数か所の酒蔵を唾を飲み込みながらもパスして、メイン会場に着いた途端にたまげた。もう広い公園は11時過ぎの早い時刻なのに人でいっぱい。利き酒比べなどはもう長蛇の列。どこが最後尾なの全然分からない。こんなに多い人混みは初めてだ。各酒蔵からの出店の角打ちやB級グルメなどにも黒山の人が群れており、私は唖然とした。「これでは、私が入り込む余地がない」<o:p></o:p>

どう見積もっても人の数は1万人以上。5万人位と思えた。好天気と相俟ったのだと思うが、赤い顔になっている男衆も多く、やはり酒蔵開きを楽しみに近隣各所から来ていたのだろう。

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<o:p>メイン会場の横手に広場ではB級グルメなどが店を出していた。丁度昼飯時、広島風お好み焼きがあったのでその匂いに誘われて。イケメンのお兄さんが焼いていました。歩き疲れた身体が生き返りました。</o:p>

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で、私は連れもなく一人身。寂しいこと、この上もない。早々に退散することにした。でもお土産のお酒はちゃんと手に入れて。<o:p></o:p>

帰りは荒木駅までのシャトルバスが出ているということで、途中のそのバスストップまで歩いたのだが、それがまた大変だった! 各酒蔵と荒木駅を巡回しているバスなのだが、無料ということもあってもう満員。数少ないバスなのに、満員通過されるといつ乗れるか分からない。2台目は私の前で満員札止めだったので、次のバスが来た時は私も懸命、降車ドアを開けてもらって無理やりに乗り込ませてもらった。おかげでせっかく手に入れた「花の露」がドアに挟まって割れるところだったが、私の大事な命の水、痛かったがお尻をガードにして何とか助かった。

左:メイン会場に向かう道で。昔、ポッポ鉄道と言う名のミニ汽車が走っていたと言う線路、今は歩道になっています。田園風景が広がって、実に快適。今年一番の陽気に誘われてかモンシロチョウが飛んでいました。もちろん今年初めてです。

<o:p>右:ふと見上げると電柱にせっせと巣作りしているカササギが。もちろんツガイでした。</o:p><o:p>電力会社は困っているのです。巣だけなら問題ないのですが、この巣の中の卵を目当てにヘビが登ってきて短絡事故を起こすから。</o:p>

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それにしても、凄い人出だった。私が帰る時にもまだまだ訪れる客は多く、お酒が人を呼び寄せる集客力は凄いものだと感心した。

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夕食で、苦労して持ちかえった「花の露」を飲んだ。口当たりが柔らかく、女性が好みそうなすっきりした甘いお酒で妻も美味しいと好評。とりあえず良かった!

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山本作兵衛展

2012-02-08 15:12:32 | 屋内趣味

田川市石炭歴史博物館

 

立春も過ぎ、いよいよ春が目の前に迫ってきた。峠は越えたと思うが、あと1カ月の我慢だ。歩き始めたミイちゃんじゃないけれども、野山を駆け廻れる日を例年以上に待ち焦がれている。

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 さて、日曜日。妻と懸案だった田川に出かけた。世界記憶遺産で一躍有名になった山本作兵衛の原画展が中村美術館で開催されていたのだ。北九州に住みながら山本作兵衛の炭鉱画を知らず、世界記憶遺産に認められたと聞いて、我が郷土にもこのような人が居たと知って驚いたのだが、機会があればその概要を知りたいと常々思っていた。

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 中村美術館で新聞などの報道で見知った絵を改めて見て、その精緻と言える描写力に驚いた。炭鉱内の機械はすべて彼の記憶に基づいて描かれており、その名前や役割などが正しく紹介されていて、彼の学習意欲の高さ、記録の確かさに感銘を受けた。またそれ以上に、私が知っている以上に過酷な採炭現場と現代では考えられないくらいの彼らの身体を張っての頑張りに衝撃を受けた。

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子供の頃、私が住んでいた町には小倉炭鉱があって、男衆はカンテラ付きのヘルメットをかぶっていたのを覚えているし、トロッコでボタを捨てる際にその中わずかに残っている石炭を探しにバケツを持ってボタの山を掘りに行った記憶もある。だから炭鉱とは、と人並み以上に知っていると思っていたのだが、それは大きな間違いだと思い知らされた。<o:p></o:p>

 

炭坑節にも唄われた明治に建てられた耐熱レンガの大煙突。坑内の動力は蒸気機関だったので、排煙装置が必要だったとか(手前は大正期の復元された炭鉱住宅)。2,3枚目はやはり明治期の高さ40mの巻揚げ機。地下350m、2トンの石炭を地上に吊り揚げていた。

 

美術館を出たあと、次いで田川市石炭歴史博物館を訪れた。ここは三井炭鉱の跡地で、当時の機械や設備が残されており、山本作兵衛の記録も展示されていて、炭鉱文化のメッカと言えるところだ。 館内は広く、明治期から昭和期の採炭の歴史や、胸乳豊かな20代と思われる若い女性が上半身裸で働いている写真などが展示されていて見応えがあった。若い女性が腰布だけの半裸とは信じられないが、それだけ坑内が暑かったのと暗かったのだと思うが、夫婦二人の作業が普通だったと聴いてなるほどと納得した。そして屈託のない彼女達の笑顔に大いに私は勇気づけられた。彼女達の身体を張った頑張りに比べると私なんかまるで遊びだと。

 

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<o:p>明治から昭和の工具や坑内風景が展示されていました。上半身裸の働く女性も。</o:p>

 

博物館は生憎の雨にも関わらず大勢の観光客で溢れていて、田川の最大の観光スポットとなっていた。炭坑節発祥の地という、明治期に建てられた大きな2本の煙突、地下350mまで下りているエレベータ巻揚げ機など遺構なども沢山残っていた。<o:p></o:p>

 

日頃の怠惰な生活を少しばかり省みて、知的探究心を補充した積りの私、お土産の「かんてら」というお酒を手に入れてすっかり満足。帰りに冷えた身体を温めようと福智山麓の日王の湯(ひのうのゆ)という温泉に立ち寄った。湯に浸かりながら、急激に近代化した我が国とそのエネルギー推進力に付いて思いを馳せたりした。現代に足りないもの、それは・・・など、自分自身への警鐘でもあると思ったりもした。

 

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停電

2012-02-03 21:28:21 | 平々凡々

 

 

アッシー君として送り迎えした昨日の夕刻。外気温は0℃でした。

 

今冬一番の冷え込みに襲われて難儀を強いられている九州。このため、ただでさえやりくり節電で何とか乗り切っている九州の電力は、ついに切羽詰まって、いつ需給崩壊してもおかしくない状況に陥っている。

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その寒波に見舞われた昨日、夕方のこと。電力需要のピークは夕方の6時から7時の間で、供給余裕はたかだか5%程度だと報道されていた。 日中でも最高気温が0度と冷蔵庫以上に冷やされたので、これは大変かもしれないと感じていたのだが・・・。

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突然、真っ暗となった。昨夕、6時15分のことだ。電気が止まった。停電だ。 この瞬間、電力不足による強制停電だと思った。外は粉雪交じりの北風が吹雪いており、とうとう電力ダウンか!と。 これは当分電気がつかないな、と諦めモードの私だったのだが、台所仕事していた妻が、ブレーカーが落ちたと言う。驚いてカーテンを開けて向かいを見ると、なるほど灯りが付いている。街全体の停電ではなく、我が家だけだった。

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孫達と楽しく遊んでいた私だったが、その時の電力事情は暖房関連のエアコンがレッスン室と居間、それに電気カーぺットやオイルヒータが運転されていた。そして日が落ちていたこともあって、各室の照明は当然点灯していた。これだけだったら何も問題は無かったのだが、ちょうど夕刻、妻が台所仕事に大わらわ。電力量が大きいIHヒータをいっぺんに二口も点けていたのだった。要するに電気の使いすぎ!ブレーカーが60Aと大きな我が家でも、これだけいっぺんに電気を使うとさすがにオーバーしてしまう!。

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真っ暗な中、妻から手渡された懐中電灯を頼りに、ブレーカーを押し上げて、電気が点いたのだが・・・。節電、節電と騒がれているのに、我が家では節電になっていなかった。TVやビデオは点けっぱなしだし、おまけにPCまで画面が光っていた。反省だ。ただ、寒いので孫達に風邪引かせてはならないといつも以上に暖房に気を遣っていたのは事実だ。寒さに慣れない九州人、この寒さが続くと病人続出だろう。

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専門学校の授業も2月の期末試験で終わり。私の仕事は成績評価だけとなる。その期末試験が2月の初めにあった。私も2年目、少しは授業に余裕も出てきて将来を担う生徒達が可愛いと思うようになってきた。そんな期末試験が終わった時、生徒が記念に写真を撮っておきたいから一緒に!と言う。拙い私の授業ではあるけれども、そんな生徒の気持ちが嬉しくて、一緒に写真に納まった。「ブログに載せるからメールで送って」と頼んでいたら、その日の晩に送られてきた。そのコメントが、

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 お疲れ様です!


テスト難しかったですよ(笑)


ありがとうございました。


社会に出ても、気張ります!」

 

   騒がしくて授業がまとまらなかった日もあるA組。タレントが揃っていました。

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  これから巣立つ若者の精一杯の頑張りを込めたコメントで、私も嬉しさがこみ上げてきた。私でも何とか役に立っているようだ。これから社会の荒波にもまれるであろうが、頑張って欲しいと切に願ったのでした

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奏汰君、5歳に

2012-02-01 15:50:28 | 

 

   30日は奏汰君の5歳の誕生日だった。月曜日なので、たっ君ともども保育園に通う日なのだが、ママが休みだったこともあり、たっ君だけ保育園で奏汰君とママは二人で市の動物園に行ったと聞いた。動物園はお客も少なく、まるで貸し切り状態。動物達に餌を存分にやることもできて、奏汰君にとってママと二人だけの特別な日、嬉しい1日だったと思う。その帰りに我が家に立ち寄った。誕生日プレゼントだ。

 

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最近、孫達に流行っているのが、将棋とボーリング。特に将棋は「本将棋」の他に、「歩上がり」「山崩し」「お金取り」などの遊びが面白いようで、クリスマスに和君に将棋盤セットをプレゼントしていたのだが、奏汰君も欲しいと言いだしたのだった。

 

将棋の遊びは頭脳はもちろんのこと、手先を遣うし、数の計算にも役立つので有用だと思っている。何よりもルールを守って、仲良く遊ぶことを覚えるのが嬉しい。奏汰君は「歩上がり」と「山崩し」が好きだが、和君は本将棋も覚えて時々パパママと指すらしい。3人とも本将棋は初めてなので、互角だと言うのが和君には面白いようだ。

 

私が時々相手するが、「じいちゃん、強すぎる!」と敬遠気味。歩上がりについては、なんとたっ君までもが「じいじ、しよう!」と言ってくるのも面白い。ルールは良く分からないのだが、4枚の駒を投げるのだけは理解しているようだ。

 

 

左:ボーリングゲーム。ボールは少年野球のボールよりやや大きめ。ストライクが出ると嬉しい。

右:土曜日、ワカサギ釣りに。1.1キロと久しぶりに爆釣。

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さて、ばぁばからの奏汰君へのプレゼントは、その「将棋盤セット」と「ボーリングゲーム」、「ふうせん」。奏汰君、ご満悦でにこにこしていた。たっ君と仲良く遊んでくれたらよいが。最近はたっ君もしっかりしてきて、お兄ちゃんに文句言うこともあるし、叩かれても負けてはいない。2人目は早いと言うが、本当にそうだ。和君含めた3人が真っ黒になって遊んでいる姿が目に浮かぶようだ。

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