ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

今日も一人で山遊び

2010-11-27 23:40:56 | アウトドア

  

   休日になると体を持て余す。ジムが閉鎖された後、妻はさっさと新ジムへ乗り移ったが、私はビンボー人なので、入会する余裕がない・・・。おかげで体型はというと、いよいよ鏡を見たくなくなってきた。これが5年も続けば、と恐ろしくなってしまう。

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 木曜日、妻がいそいそとジムへ出かけた後、私は思い立って山芋(自然薯)掘りに出かけることにした。通勤時に車窓越しに、山芋の黄色い葉が目立った場所があったので、「もし、掘れるなら・・」と目を付けていたところだ。場所は遠賀。車で40分のところだ。

 

<o:p> 山芋の蔓が群生していたのですが、根っこが切れて分かりませんでした。</o:p>

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 早速、鉈や掘りもんなどの芋掘り道具を車に積んで出発した。そして目指す地域で山芋の黄色い葉を見つけた。ところが、11月末でもあり、蔓は枯れてしまっている。根元を探すが残念ながら折れているのが多く、掘る場所が特定できないのが大半だった。それに、また場所も悪く、急斜面の山沿いの側溝近くだったので、側溝を痛めて掘るわけにもゆかない。というわけで、山芋の葉は沢山あるだが、これといった対象に巡り逢わなかったのだが、それでも1か所、まぁまぁの芋を見つけて掘ることにした。

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ところが、掘り始めた途端、雨が降り出した。予報では30%くらいの確率だったのに。風邪気味で体調が良くない私としては、冬の雨は良くない。仕方なく適当にやめることにした。(少し掘ったところで止めるべく芋の状態を見たのだが、これがまた、芋が不完全で、掘るに値しないのだった・・・!)

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山芋掘りは例年10月。蔓が命なので、やはり今年はもう遅かったようだ。来年はもう少し早い時期にチャレンジすることにしようと心に決めて家路に着いたのでした。

 

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そして、今日、土曜日。

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妻はやはりいそいそとジムへ。そして午後はコーラスだから、私に「どこへなりとご自由に!」と。<o:p></o:p>

若いころだったら、即座にパチンコに行くのであろうが、今は資金不足・体力不足・技能不足なのでパチンコは不可。ということで、またもや私は山登りをすることにした。

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 前回の小文字山・足立山縦走である程度は足腰の自信がついたので、今度はもう少し足を延ばしても!と、いつもながらの楽観派、何とかなるさ思考で戸の上山・足立山縦走にチャレンジすることにした。

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 9時過ぎに家を出てバスに乗り、JRで小倉から門司へ。門司駅からバスで戸の上山登山口へ向かうのだが、ここで一つミス。路線ごとにバス乗り場が違うので、ルートを調べているうちに目的のバスは私の目の前を発車してしまった!。 15分待って次のバスで戸の上山登り口まで行って、さぁ登山開始。

 

  

  (左)門司駅から見た戸の上山。 (右)山頂から下関を。右側に関門橋が見えます。

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 10時20分、バスから降りてリュックを担いで、新鮮な気持ちで登り始めたのだが、民家が切れるところに踏み込むとそこが駐車場で、なんと行き止まり! すぐ上は自然豊かな雑木林が連なっているのに、路が途切れていた。途方に暮れていると、運よくその駐車場に車を止めるのか車が来たので、駐車場の一角から正規の登山道に抜ける道を教えてもらって事なきを得た。どうも登り口を1本間違えてしまっていたようだ。しかし出足からどうもすっきりしない! 決して運が良いとは言えないな、などと考えながら足を運んだのでした。

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 今日の北九州は絶好の上天気。気温は15度くらいの予報だったと思うが、風は無く湿度も低くて登山にはうってつけ。前回の登山で自信がついて、足取りも軽やかに戸の上山頂を目指し、着いたのが11時30分。山頂から眺める北九州、下関は若干黄砂の影響はあったものの絶景でした。

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<o:p> (左)縦走途中に見た足立山(中央の遠い山) (右)門司市街と遠くに見える小倉市街</o:p>

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 さて、ここから足立山まで縦走するのだが、その距離は6キロ、3時間半だと標識に記されている。<o:p></o:p>

ハイキングコースだとはいうものの、アップダウンが激しい路のようだ。厳しい道のりだと再度覚悟をしつつ、腹ごしらえも大事だと、ちょっと早めにお弁当を。写真を撮って、それをメル友に送ろうとした。 ところが、なんと電池が無くなってしまって送れず仕舞い! このところ携帯やメールがとんと無かったのでうっかりしていたが、電池残量が少なかったのだった。・・・このことが後で大問題に!

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 12時10分前に戸の上山頂を発って、遥か彼方にそびえる足立山に出発。この時点ではまだまだ元気いっぱいでした!<o:p></o:p>

 玄界灘と瀬戸内海の両方が展望できる馬の背を通り木漏れ日の自然林を通り抜け・・・と言ったら格好いいのですが、だんだん足が重くなってきた。特に足立山まであと2キロからは急な上り坂が続いており、誰もいない山の中なので頼れるものは自分一人、と心に言い聞かせて懸命に登ったのでした。

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 足立山山頂に三角点(それも一等です)がありました。剱岳の「点の記」を思い出して感動ものでした。

 

 やっとの思いで足立山山頂に立ち、小倉の市街地を遠望した後は、もう下りだけ! とはいうものの、実際下りの方が怖かった。足の膝が壊れるかもしれないという恐怖感の方が先に立って、急なくだりは一歩一歩、ひざの状態を確かめるように下ったのだ。我ながら情けないとは思うが、ひざを痛めるとゴルフができないと懸命の想いだった。

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 のろのろと這うような足取りで麓の妙見神社にたどり着いたのが4時過ぎ。登り始めてから5時間40分を費やしたことになる。日頃は歩いていない私なのに、よく頑張ったと自分なりに褒めて帰りついたのが4時半。

 

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ところが! 

帰りついた途端、妻から猛烈な非難。携帯がつながらないから遭難したのかと思っていたと。娘たちと連絡を取り合って、警察に救援依頼をしようかと考えていたというのだった。携帯の電池切れは私はほとんどないので、そう思ったのだろう。それに、妻は私がまさか、5時間以上もかかるこのような大冒険をするとは思ってもいなかったようなのだった。

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 それはそれとして、妻がすぐに風呂を溜めてくれたのでゆったりと湯船につかって疲れをほぐした。6時間弱の強行軍だったが、なんとか完遂出来たし、膝も痛めなくて済んだ。これで、かなり自信は付いたと。来年はもう少し厳しい山でもOK? 富士山?(笑)

 

 

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霧島・別府・黒川(3日目)

2010-11-23 16:34:46 | 紀行

 

 

 やまなみハイウエイ、狭霧峠から眺めた湯布院。黄砂のため霞んでいましたが紅葉がきれいでした。

 

3日目。毎日食べ尽くめ、運動無しなので体型に異常を感じる。体重計に乗った妻はかなり驚いたようだが、知らん顔して黙っている。私も当然変化量は秘密だ。

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 今日は我が家に帰るだけなのだが、それじゃ面白くも無いというので、黒川温泉を訪ねることにした。霧島・別府・黒川と有名温泉の3連荘だ。昨日の佐伯すっぽかしが響いていたのだろう、妻が別府を立つ前に漁協が経営している「潮彩屋」に行くという。今日は大した行程では無いので私も喜んで潮彩屋に乗り入れた。

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<o:p>  左:やまなみハイウエイ(長者原)から観た久住(硫黄山)</o:p>

<o:p> 右:今年はマツタケが豊作で、出店が。左下から1000円、2000円、3000円、5000円の箱。買いませんでした!</o:p>

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 お目当ての「ひじき」が無かったとつぶやいていたが、そこそこのお土産を手に入れて10時に別府を後にして、城島高原、湯布院、やまなみハイウエイを通り抜けて、黒川温泉へ。湯布院を見下ろす狭霧峠では草紅葉と云うのだろうか、見事に草原が茶褐色に彩られており、絶景には感嘆した。春の緑の若葉も良いが秋の絨毯も良いものだ。黒川温泉に着いたのが昼過ぎ。街の駐車場に車を停め、温泉街を散策した。

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この黒川の中心部に来るのは初めてだったのだが、渓流沿いに旅館やお土産店がレトロ風な装いで立ち並んでいるのには驚いた。湯布院はちょっとけばけばした感じがするが、この街は落ち着いており、なるほど、女性に好まれそうな佇まいだった。ちょうど、看板の好悪についてアンケートを求めており、私たちもそのアンケートに応えて黒川温泉とネーム入りのタオルを貰った。街を良くするために頑張っているのが眼に見えて、好感がもてた。

 

 

 落ち着いた風情の黒川温泉 

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<o:p>  いこい旅館の囲炉裏と自然豊かな渓流沿いの露天風呂。温泉を満喫しました。</o:p>

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 散策した後は、立ち寄り湯に入ることになった。私たちは雰囲気もよく、無料で囲炉裏や足湯などを開放している、いこい旅館を選んだ。一人500円。適当な?値段だった。渓流沿いに男女別々に露天風呂があって、木洩れ日の中をゆっくりとお湯に浸かっていたら、次から次に客が押し寄せてきた。それも殆どが若い人。女性湯も黄色い嬌声が絶え間なかったから、同じように客で溢れていたのだろう。

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 追い出されるように風呂から上がって(妻は身体が温まってなかったのか、帰ってから風邪を引いてしまったようだ)、囲炉裏で温泉卵を食べた。大きな薪がくすぶるように燃えて、ほっとするような空間が演出されており、ゆっくりと時間が流れて心地よかった。

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 これで温泉巡りも終わり、玖珠から高速道に乗って我が家を目指した。今回の旅の一部は3月に娘達から頂いた私の退職祝いを充当した。お陰様で、会社を忘れ、孫達の世話も忘れてのんびりと過ごせた3日間でした。ありがとう。

 

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奏汰君七五三

2010-11-19 21:10:05 | 

 

  

   日曜日、北九州はやや肌寒いながらも良い天気だった。私たちは前日に温泉旅行から戻ったばかりで、やや疲れてはいたが(特に妻が風邪の引き始めだった)、元気を奮い起こして奏汰君の七五三に詣でた。<o:p></o:p>

 

 奏汰君、3歳と10ヶ月。いつもマイペース。良く言えば自由奔放で小さな事にはこだわらない明るい性格。保育園では悪がきナンバーワンの位置ではないかと危惧している。もう少し、大人の言う事を聞けば良いのにといつも思うが、奏汰君は奏汰君なりに行動パターンがあって、それが大概において我々大人の考えと異なっているのだった。でも最近は弟のたっ君を可愛がって、面倒見なければと云うお兄ちゃん意識も芽生えてきている。

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 その奏汰君、パパがやはり七五三の時に着たと云うお下がりの羽織袴姿でちょっとおすまし顔。着物の丈は少し長いようだが、良く似合っている。10時過ぎに奏汰ファミリー4人と私たち夫婦の総勢6人で氏神様である妙見神社に詣でた。ここは奏汰君のパパ・ママが結婚式を挙げたところであり、それから5年、氏神様も奏汰ファミリーの健康で幸せな暮らしに微笑んでくださっている事だろう。

 

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 氏神様の境内は大勢の七五三参りの家族で賑わっていた。私たちと同じように若いパパママとおじいちゃん・おばあちゃん。みな笑顔笑顔だ。和気清麻呂ゆかりの手製のしし笛を配っている老人もいて、華やいだ空気に溢れていた。奏汰君もしし笛をくわえて、「ブオッ、ブオッ」。 本殿で祝詞をあげてもらったが、その間奏汰君は千歳飴を片手にきちんと座ってお利口さんだった。ちゃんとTPOは分かっているのだ!。

 

   

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歩き始めたたっ君も主役を張りたいのか、石段をよじ登って「ハイ、チーズ」で、ご機嫌さん、和やかな七五三でした。

 

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そして今週、奏ママが早出のため朝の世話は妻の役目。朝食食べさせてベビーカーにたっ君乗せて奏君と一緒に保育園まで送り届けるのだが、風邪をこじらせてしまって傍目にも辛そう。とくにたっ君は大変な人見知り。ばあばっ子で私が抱き上げると泣き出すので、全部の負担がばあばに掛かってしまうので、妻の苦労も大変なものだ。

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会社が休みの時は妻がたっ君、私が奏君担当で登園させるのだが、その時は必ず奏君は私に抱っこをせがむ。年少とは言ってもやはり、ママと離れて園に1日居るのは辛いのだろう。そんな思いが伝わるので、私も出来るだけ抱っこしているのだが、奏君も16キロ近い重さになった。このためか、昨日から腰が痛い。椅子に座ったり、立ち上がったりすると神経に来て非常に辛い。歩きもぴしゃりと立てずに前かがみだ。2週間くらい前もこんな症状がでたが、その時はすぐに治ったのに、今回はひどい。 

 

太りすぎて筋肉が脂肪に負けたのか、筋力が低下したのか。先日の足立山縦走で足の調子は絶好調に近く快復しているので、これさえなければ体調万全なのに。ひそかに計画している和君とのランニングもしばらくお預けだ。

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霧島・別府・黒川 (二日目)

2010-11-16 21:41:45 | 紀行

 

  前の夜は飲みすぎたのか、早々と撃沈してしまったので起きたのはまだ暗い5時。ちょうど大浴場が開く時間だったので、朝風呂に入ることにした。夜のうちに雨が降ったようで外は濡れていたが、杉の巨木が鬱蒼と林立していて、幻想的な雰囲気ではあった。貸切り状態の大浴場で長寿風呂やヒノキ風呂、打たせ湯などを堪能して部屋に戻ると、妻が起きだして、即座に風呂へ。やはり温泉の効用を充分に浴びたいようだ。その間、私は今日のルートを考えた。妻がぜひとも見たいという綾の照葉大吊橋に行くとして、泊りは別府だからどの道を通るか、悩ましいところだ。九州の東側、日豊ルートは高速道も部分開通で、非常に不便なのだ。綾は宮崎の北西、ここからまた人吉に戻って高速道を走るのも味気ない。まぁ、基本どおり、日豊ルートを上ることにしよう。

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9時に霧島ホテルを出て、えびの高原を戻って小林へ。そこから綾町までカーナビの案内にしたがう。ダムの湖畔を巡るジグザグで20キロ程度のルートだったため、ドライブに絶好で景色も良いのではと内心思っていた。ところが、この道が実に恐ろしかった。切り立った崖を車1台がやっと通るだけ削った、対向車と離合も思うに任せられないような狭い道で、崖から石や木の枝が落下しており、一瞬も目が話せないのだった。私は対向車と道路の状況に眼を凝らしながら、懸命に運転した。昨晩、充分に眠ったはずの妻は私の思いも知らずにうとうとしている。私の運転技術に間違いは無いと安心しきっているのは嬉しいが・・・。

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見渡す限り人間の手が入っていない太古の森が連なっていました。

 

宮崎は九州の秘境、辺鄙なところではあると認識はしていたのだが、今回も苦労させられた。4年ほど前は、やはり霧島から北上するのに「ひむか神話街道」を通ったのだが、そこも山々の峰を縦走する大変な道だった。だけども、太古の森で広葉樹が連綿と続いているこの道はいかにも野性味が溢れており、時々窓越しに顔を出す深く切り立った山々は、まさに深山の趣に溢れていた。

 

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結局、この道では対向車が3台だけで、2時間弱で乗り切った。着いたところが綾の照葉樹林に架かる大吊橋。この橋は九重の夢大吊橋が出来るまでは世界一の吊橋だったので現在は2番手なのだろう。この橋で綾町は自然豊かな良い所だと有名になって、日本全国からスポーツ合宿などで賑わうようになったと聞いている。

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照葉大吊橋、ちょうど閑散期の今、メンテ中のため各所で工事中ではあったが、私たちは橋を渡る事ができた。もちろん高いもの好きの私は対岸まで。負けずに妻も中ほどのところまで渡った。風がなくぽかぽかしていたので、揺れなかったのが良かったようだ。

 

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綾町にある「酒仙の杜」でワインや焼酎などのお土産を買って、別府に向かったのが2時。一般道しかないので、時間がかかると覚悟はしていた。妻は宮崎まで戻って、高速道に乗れば、とは言うが、高速道も部分開通なのでメリットは無いと判断して、山間部を横断して10号線に乗り組むルートを選択した。

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途中、佐伯を通るのだが、ここは関サバや関アジなどの魚介で有名なところ。ここに立ち寄って、買い物したいと云う希望を持っていたのだが、佐伯に乗り入れたのが5時少し前。道の駅には寄ったのだが気に入ったお土産はみつからず、そのまま佐伯から高速に乗って別府に入った。(妻にしては面白くないのが当然ですが、致し方ありません)

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 別府は海沿いにあるホテル「清風荘」。もう暗くなった6時に到着した。週末とあって、別府の街は賑わっていた。湧出量日本一の別府温泉、私たちはホテル内の大浴場(と言っても、大したことは無かった)に浸かって、二日目の疲れを癒したのでした。

 

 

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霧島・別府・黒川

2010-11-15 15:49:06 | 紀行

   

 霧島ホテルと龍馬夫妻の写真

 

 ここ数年、紅葉に誘われるように秋になると温泉に出かけている。それも急に思い立ってのことが多い。気温が下がるとともに湯煙りが恋しくなるのだろうか。で、今年は昨年に続いて霧島となった。霧島温泉はもう4回目で馴染みではあるが、今年は龍馬とお龍の足跡を訪ねることにした。もちろん大河ドラマの影響であるが、意外とミーハー的な要素を持っていたりする。(笑)

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木曜日、(妻にとっては)早起きして、7時半にマイカーに乗り込んだ。霧島まで300キロ、高速道がほとんどなので距離の割には楽なドライブだ。晴れの予報だったのだが、途中熊本あたりでは雨が降り出した。が、宮崎県に入る頃にはすっかり晴れて、よい天気になった。さすが晴れ男と自画自賛。

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えびの高原はすっかり秋景色。楓や紅葉、クヌギや櫨の木などがそれぞれに黄色や赤く染まっていて、それはそれは見事な風景が広がっていた。特に韓国岳登頂口付近では草木までも一面褐色で見応えがあった。

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宿泊地の硫黄谷温泉をいったん通り抜けて、最初の目的地は塩浸温泉。町営の温泉が一つだけの小さな温泉なのではあるが、大勢の観光客が次々と訪れていた。龍馬夫妻が入ったという露天風呂は渓流の横に残っていたのだが、降りてゆく道がないので記念碑的なものだろう。龍馬達の銅像なども立てられて、まさに龍馬ブームにあやかった観光名所になっていた。

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<o:p>渓流沿いにある塩浸温泉。竜馬が入った露天風呂は写真中央やや左手下部に少しだけ見えています。右の写真は犬飼の滝。</o:p>

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続いて、龍馬が滝裏から眺めて絶景だと感嘆したという犬飼の滝に行った。高さ20mほどで水量も多かった。これが雨期であったらものすごい爆水だろう。龍馬は春先に行ったはずなので、水量も多かったに違いない。

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JR肥薩線「嘉例川駅」

 

最後に駅舎が出来て百年以上という、嘉例川駅を訪ねた。小さな駅舎なのだが、3年連続九州の駅弁ナンバー1に選ばれている、サツマイモをベースにした手作り弁当で有名なところだ。休日だけの販売だが、すっかり有名になって町興しにも一役買っているのが嬉しい。

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ホテルは硫黄谷温泉「霧島ホテル」。龍馬が泊まったホテルだ。 わたし達には2度目の宿泊であるが、なんといってもこのホテルのウリは大浴場。600坪は優にある巨大な温室のような建屋内に広大な浴場と各種の泉質の温泉をしつらえている、もちろん当然ではあるが、露天風呂もある。ここは基本的に混浴可能なのだが、なぜか7時半から10時までは女性専用となり、男性はシャットアウトされる。私はホテルに着いてすぐと、翌朝の2回、この大浴場で4種類の泉質に浸かって、疲れをほぐした。

 

 

<o:p>早朝、大浴場の中をパチリ。湯煙りでかすんでいました</o:p>

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気分が良かったのか、アルコールが美味しく(生ビールと熱燗、冷酒、いも焼酎の4種を)、すっかり酔っぱらってしまって、その晩は轟沈。朝5時まで爆睡してしまった。

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その間、妻がせっかくの旅行なので、もう一泊しようと各地の温泉にホテルの空きを調べたのだが、週末の金曜ということもあって、結局宿は別府温泉となった。ということで、1泊2日の温泉旅行の筈が2泊3日に。こんなことなら、お龍が足袋履いて登ったという高千穂峰に私達も登って、頂上で天の逆鉾にお参りすることもできたかも。(結構厳しい登りなので、それなりに装備しておかなければ、危険なのだろうな)

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2日目、3日目の話は、また。

 

 

 

 

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働き甲斐

2010-11-10 20:28:53 | 平々凡々

 

 

  早くも小倉駅にイルミネーションが登場しました。 

 

   「技術部は満足度が低いようだね」と社長。先日、囲碁が終わった時に私に投げ掛けられた言葉だ。前にも紹介したが、今度の社長は囲碁八段であり、昼休みに社長室で打っている。最初は3子局から始まったが、現在は5子局に差し込まれてしまった。ただ5子局では圧倒的に私のほうが有利であることは間違いなく、実力的には4子局が妥当なところだろう。この日も5子局で白石を屠ってしまい私は意気揚々としていたのだった。

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3週間ほど前のことだが、産電向けの売り上げが低迷しており、何か良い手立ては無いものかと社長が遊びがてらに私のデスクまで来た事があった。 私もずっと産電製品の拡販に努力してきたので、私の想い、薀蓄を即座にレポートにまとめて提出したところ、非常に感銘を受けたようで私の提案を各部に指示したと聞いた。産電に情熱を持って望まない限り売り上げ増は見込めない、社内のチームワーク不足が主原因なのだ、と当たり前の主旨だったのだが、ここ最近私を閑職に追いやった旧上司への当て付けも含めて私にとっては鬱憤晴らしでもあった。そのレポートは同期の常務にも届けていたので、トップで何らかの話がもたれたのだろうと推察はしている。ともかく、沈滞している営業活動が動き出す事だろう。

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親会社から来られた社長は事務系であるが、社員の厚生、働き甲斐を第一に考えてくれており、今までのトップダウン主体のがんじがらめの社風とは打って変わって、自由な個人の能力を重視しているかのようで、社員ものびのび度が増しているようだ。また社長も自分の想いを社内向けに不定期ではあるが社長ブログと言う形で発表していて、社長と社員との距離が縮まった感がしている。食事も社員食堂で従業員と一緒に食べるし、権威ばったところが無い。

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毎週通っている博多の一宮、住吉神宮の境内。銀杏のじゅうたんです。拾いたいんですが、処理しきれないでしょうね。

 

その社長がつい最近、従業員の満足度を調査したのだが(私は残念ながら対象外)、その一部を読んで技術部内の満足度が低いと思われたようなのだった。

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我が社はメーカーであるので、技術部の負担は非常に大きい。よりよい製品、コストダウン、新製品開発と技術部への要求は年毎に高まっているのが実情で、それも致し方ないといえるだろう。だが、私も含めて、ここ数年で団塊世代が消えつつあり技術部員は大幅に若返っていて、技術土台である過去の技術継承が置き去りになっているのも事実である。だからつまらないミスが多発したり、ユーザーからの問合せに余分な工数を費やしたりと、作業効率が低くなっている。だから頑張ってはいるのだが、成果が思うように上がらないといえるのだろう。これが満足度が低い最大の原因だと思う。

 

 

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社長の問い掛けに、「ミスしたら責任ばかり取らされて、チャレンジすることが出来ない体制になっている」と応えたのだが、さて。 私が若い頃は、若さに任せて何でもチャレンジ、新製品を開発したものだ。

 

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最近の若手は大人しい気がする。マイホーム主義も言いのだけれど、果敢にチャレンジして欲しい。こんなことを考えていたら、数日前、次女が私に読んでくれと1枚のレポートを差し出した。内容は次女の上司が、次女の仕事(業務内容・実績)を評価したもので、いわば通信簿とでもいえようか。病院の栄養士として勤務しているが、たっ君の育休が終えた4月から、入院患者全員の献立や栄養管理、果ては食材購入などの食に関するシステム導入を主管して見事に立ち上げたのだと書いてあった。この病院に勤める前に、このようなパソコンソフトを開発・販売・運営する会社に勤めていた経験が役に立ったのであろうが、次女なくしてはシステムの立ち上げは出来なかっただろうと過大な賛辞で締めくくられており、私も涙が出るほど嬉しかった。 「頑張っているじゃないか!」

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確実に世代交代が進んでいると感じるこの頃なのでした。

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今日は一人で山遊び

2010-11-07 12:15:48 | アウトドア

 

  足立連山縦走コース

 

 このところ良い天気が続いている。まさに行楽の秋だが、さて何しよう。ジムが閉鎖されてから、私の生活リズムが狂ってしまった。 カーペットや布団類、扇風機の入れ替えなど冬支度も終えると、本当に何もすることが無くなってしまった。孫は来ないし、妻はさっさとフィットネスやコーラスなどに出かけている。撮り溜めているビデオは沢山あるが、この上天気の中で一人ぽつねんと観る気にはならない。

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 ジムに3カ月以上も通っていないので、体重も増えだした。腹周りもメタボ基準をオーバーするかのような勢いだ。これはいけない、なんとかせねば。ということで一念発起、足腰の鍛錬を兼ねて山登りをすることにした。それにもう一つ、山の状況チェックだ。実を言えば、この季節、山芋掘りのシーズンなのだ。以前は遠賀のAさんに連れられて芋掘りに行っていたのだが、Aさんがリタイアしてからはそれも出来なくなったので、近場で芋掘りが出来ないだろうか考えたのだ。

 

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 ずいぶん久しぶりの山登りだ。娘たちが子供の頃に昆虫採集を兼ねての英彦山や久住が最後なのでもう25年以上にもなる。今日のターゲット、足立山縦走に関しては30年ぶりだ。

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<o:p> 木洩れ日の登山道、クサリで登る急な坂も。</o:p>

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 足立山は標高598mという低い山ではあるが、小文字山と連れ立った足立連山として小倉っ子にとっては手軽な縦走コースとして人気がある。山は急峻であり、一気に500mを登るので、決して楽な登山ではないが、自然林がそのまま残っていて、頂上からの絶景と言い、登山のだいご味を感じられる。また植物や野鳥の観察にも適しているようだ。今年はイノシシも麓の公園に出没したと報じられており、野生の宝庫とも云える。

 

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 9時半にリュックを背負って、我が家を出発した。途中、コンビニでお弁当や緊急用のチョコなどを調達して登山口へ。山は冷気が残っているのか、霞のような靄が立ち込めており、木洩れ日が深山幽谷の風情を醸していた。登り始めの30分ほどは枯れ葉を踏みしめる足もしっかりしていて余裕があったのだが、登りが急になると息が上がり、足元もふらつくような感じになって、ぜいぜいと喘ぐ感じになってきたのは我ながら情けない。やはり日頃から鍛錬しておかないと。

 

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小文字山頂から小倉市街の眺望

 

登り始めて1時間半。11時に目指す小文字山山頂に到着した。ここは京都の大文字焼きにあやかって、盆に迎え火として「小」文字を焼くので有名な山で、そのためか頂上部は土がむき出しになっている。数人の先客がいて、それぞれに景色を楽しんでいた。私も30年ぶりに小倉市街を見下ろした。霞んでいたが、小倉の街並みがなぜか愛おしく感じられた。小1くらいの孫を連れた老夫婦もいて、私も和君がいたら同じだなと思ったりした。

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しばらく休憩した後はいよいよ縦走だ。尾根伝いに山頂にある妙見神社の上宮を経由して麓の妙見神社までがハイキングコースとなっている。総距離は10キロくらいだと思うが、アップダウンも結構あり、急なところも多いので軽装だと危ない。先日も高校生が上宮付近で過呼吸症になって救出されたことがあった。途中、山芋の黄色い葉が沢山あり、中には掘りだした形跡もあったのには驚いた。山頂まで掘りに来る好きな人も居るのだ。

 

 

縦走途中。小文字山頂と山芋の蔓

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<o:p>縦走風景。左:正面が足立山 右:門司、関門橋方面</o:p>

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下りは足の膝を痛めるので、用心の上にも用心を重ねて慎重に降りた。ひざのばねが明らかに無くなっているのが分かり、自分の体であるのにもどかしい思いもしたが、何とか無事に麓に着いた。妙見神社に詣でた後に、よろめく足取りで我が家に帰り着いたのが2時。4時間半の冒険だった。

 

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シャワーを浴びて、ビールを飲んで居間でうとうと。ふくらはぎが悲鳴をあげているかのようだったが、冒険をやり終えた気持で、心は高揚していた。

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臨時飲み会

2010-11-03 06:59:59 | 平々凡々

 

  先週の水曜日、ニュースや新聞で流れたので知っている方も多いだろうが、夕方の時間帯でJRが5時間以上も不通だった。原因は橋げた(鉄鋼材)に亀裂が入っていたのが発見され、その修理に時間を要したものだ。何でもこの部分の亀裂は以前にも見つかり、その時は小さかったので徐行運転して急場をしのぎ、深夜に応急修理したらしいが、またまた同じ部分が痛んだという。電車が通過中に橋梁が壊れるとものすごい事故になるのは見えているので、仕方ないとは思うが、それにしてもある程度は分かっていたようなので、もっと早く手を打てなかったものか。でも、私の通う区間内だったので、乗り合わせた電車で事故が起きなくて良かったと感謝すべきかもしれない。

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 その日、何も知らない私と同僚のU君が連れだってH駅に着いたのが5時半過ぎ。改札口では駅員が懸命に不通である旨を説明していた。その時点で復旧がいつ頃になるか見通しが立っていなかった。私達は即座に長期戦を覚悟して、駅前で臨時懇親会を開くことにした。2人だけでは寂しいのでしばらく逢っていないヨットオーナーのO君を呼び出すと、すぐに駆けつけてきた。

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 O君、体型もそう変わらず、元気だった。相変わらずヨット三昧の日々を過ごしているようで、夏の山陰シリーズの萩ヨットレースでは準優勝も果たしたという。それに、つい先週はフランス旅行から帰ってきたばかりだとも。その前は北京にも出かけたとかで、夫婦二人で優雅な生活を過ごしている。実に羨ましい。そういえば、U君の奥方は英語が堪能で旅行会社の応援ガイドをしているが、欧州ツアーに添乗したり、海外からのツアー客を案内したりと結構忙しいようだ。もちろんその間はU君は一人ぼっち。家事にまめな男なので、悠々と独身生活を楽しんでいるようだ。

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 電車は8時に復旧した。久しぶりの飲み会でほろ酔い気分の私は、たまにならこんなことも良いなとJRに対して太っ腹な気分で帰ったのでした。

 

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 さて、その次の出勤日の金曜。なんとずっと懇意にしているお客様から連絡があって、私と飲みたいという。20年もお付き合いしている課長で、私と同じく来春がどうも退職(移籍)になるようだ。人情に厚い人で色んな仕事を共にして、お互いに気ごころを知った仲なのだ。午後に来社していただき、形だけの業務打合せをしたあと、懇親会となった。メンバーは従来からの気の合った仲間たち。美味しい酒を酌み交わしたのでした。

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ここしばらくは飲む機会がなかったのだが、不思議なことに続けて2回も飲むことになった。それも楽しい仲間たちと。ストレスは少なくはなっているが、それでもやはりストレスはある。それがすっかりと解消されたのでした。<o:p></o:p>

 

 

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