昨夜小字の集会がありました。
コロナの時代、人と人をぶつ切りにしているような昨今なので、集いには、あまり意識しなかったけれど、地域社会の意味を感じました。世代も変わり、最年長者がどうも私らしいのと、雰囲気も以前のような田舎泥臭さがなく、すっきり整然としてここちよかったのが不思議でした。
年齢にふさわしくなった(?)のか、つい気が緩んで、正座できなく、脚を出して肩掛けで覆ったが、これは、まさに田舎のばあさんの所作なのが、悔しいけれど現実でした。
議事事項は淡々とすすみ、気持ちがいい。若返った雰囲気でした。
高齢化に伴う問題がやっと出始め、遅いきずきだと思いながら聴いていました。
ユーターンしたばかりの頃、私が言っていたことが、やっと出始めました。
やれやれちょっと遅い!と思いながらやっと動き出しました。
皆忙しくて、考える時間がなかったのだと思いました。
また、認知症発症の一人暮らしの女性の事が紹介され、良く、犬と散歩をしていた方だったので、びっくりでした。高齢化の顕著な証です。
私も後期高齢者に突入しているので、組長の役割を延ばしてもらっていました。あまりにも家の内外での異変が多く、掃除をしなきゃと先延ばしに甘んじていました。今年問い合わせもなく先に飛んで行ったのかと率直に喜んでいましたが、待った!がかかりました。去年の組長さんは一時にご両親を失くされ、介護の大変さを経験されているので、飛ばしてくれたようでしたが、クレームがあったようでした。
そう、皆気張っているから、私もまだ参戦しなければとこころ新たにしました。夏100歳になる母に、ボケていてはいけませんよ、役が終わるまでしっかりするようにと言い渡し、
母もそら、そうや!と答えていたのが滑稽でした。最近やっと日を何度も聞くことがなくなり、昨夜は会合に出てる間に、お風呂に入っていて注意しておきました。何かあれば対応できないからダメです!と。こんな風なので当分大丈夫と楽観的です。
認知症も犬にもあるらしく、一昨日はついに犬のこころもそれなのかと心配しました。台所をあちこち動き回り,舌を出し、はーはーと動き回り、戸を開けてやると外に出て、雪が降っているのに、犬走などでうろうろして、様子を見に出ると、雪を背に座っているので、「どうしたのかと心配の夜でした。外出は何度もだったのでびっくり。発熱で冷やしに出ているのだろうと想像し、任せていました。翌朝は、いつもの状態でダイニングテーブルの下でよく寝ていたので安堵しました。昼間も貪るように寝て回復しました。寝れないこころをトントントンと叩いて寝かそうとしましたが、すぐ冷気に当たりたいようでした。犬、考えて外に出て雪道歩いて解熱していたのでしょう。でも犬走で座って夜中に座っていてもチャコール色の姿が見えず、死ぬのじゃないかと心配な夜でした。ねっとで調べると、犬の認知症も説明されていて、不安でした。
翌日は獣医さん訪問を考えましたが、自力でこころは直していました。
多分食べすぎで胃腸の不具合を感じたのでしょう。
こんな具合に、認知症は他人事ではありません。
自分もふくめた予備軍はあちこちなのかもしれないです。
まだ大丈夫だと思うが出来る範囲、村への出役は認知症予防と前向きにとらえ、これからを迎え討ちたいものです。
認知症は身近な問題となりました。
昨夜、帰り道、一緒に帰った隣人に犬が出迎えているよと言われ、なんのことかと思っていましたが、雪の上で犬のこころが私の帰りを待っていました。こんな事は初めてです。
日々いろんなことが起こりますが面白がって対していきたいものです。
ずっとテレビ漬の農閑期なのです。午後から松居直さんの番組があり、ラッキー。私の絵本好きが何故なのかと納得しました。絵も好き、物語も好き。多分子供時代母の寝物語があったからだと再認識しました。昔話が語れるおばあさんになりたいです。
新しいきずきです。
三人の孫達からエネルギー―をチャージします。母とも昔話の思い出を語り合いたい冬中です。寒い夜のゆりかご話です。
とりとめもなく書いちゃったわ。