昨日はムラの公民館の掃除日。
我が家の上の方が入院とのことを聞いていました。
深入りせず、なにげなく聞いていました。
何なのかとおかしく聞いていました。
以前の私なら、ユターン以後、まるでおねいさんのように親しく、ちょっととげのある言葉にも境遇の事を考えれば仕方がないのかとこころを片隅に色々聞いていました。何かあればできることはしてあげようと思っていたのに、いろんなことに惑わされるようになり、関係は冷却状態であまりにも不自然に枯れる木々に恐怖さえ覚え続けて、今に至って居るわけですが、入院の理由が胃の不具合とのことでした。
えっと即座に思いました。
山の問題で解決したけれど、相手のおねいさんで、木材伐採に関して関係されていたので文書にも彼女の名前を記して、提出していたのです。
それが関係したのか、時間的にぴったりで驚きでした。
名前が出ているだけで悩んでおられたのか、あまりの偶然に私もびっくりです。
彼女とは色々な問題でゆっくり話さなければと思っていたので、その機会を失くしたのかと、ちょっといやな気分でした。
回復されたらゆっくりと思いますが、ケセラセラです。
あまりにも符号したので驚きですが意外にこんなことで明らかになるんかもしれないです。
警察からなんでもメモることをアドアイスされているので、気持ちなども記録します。このブログにもワケのわからぬことをぶちまけ、恥をさらしていました。
記録していくことは後期高齢者になって重要だと思わされました。父も山林の事は詳しくメモを残し、死人に口はないけれど、大切です。炭焼きさんに山を貸していて、炭焼き小屋が壊されていたこともメモって相手の事も書いていました。
真意の程は判りませんが、思いがけない大切なツールとなります。
人間生きていく上でいろいろあるのが田舎で定点観察をしているとおのずと、謎が解けていくようです。私、今ムラ ウオッチングを楽しんでいます。最近の新移住者とのトラブルも、なかなか興味ある村の社会問題を映し出しているようです。
私のスタンスは両者の意見を客観的に聞くことです。
私の氏名には、中がつくので、使命感さえ覚えます。中間に立って聴く。
以前あまり考えたことがなかったのですが、進学で東京から、その後のアメリカ遊学から、アルゼンチナ丸の移民船の事から、その後の職業、京都市内住まいなど、様々な窓から、マイクロソフトのウィンドウズからの眺めから、すべてがいろんな角度から眺めてわかりやすいのが偶然とはいえ、おしろいです。
子供時代裏山の三角点から眺めてた、村の景色、東京タワー、ワシントンモニュメント、エンパイヤ―ビル。シカゴのツインタワーなど、高い構造物から眺めていた経験が私を作っているなと今思います。
田舎娘の冒険も大事です。
冒険、、事、いつか人生での諸問題解決の糸口となります。
なにかおかしいことがあればメモする。
そのメモの集積が力になってくるはずだと、浅はかな経験から今断言できます。
また昔話も大切、話すことの大切さ。伝えることの大切さ。
100年近くの経験を積んだ母の昔にも傾聴しなければと。
母も男性の一方的な話をされていて、村の女性の為にそんなことを言っていないと
憤慨して集会に行って意見を申し立てたと言っていました。都合のいい一方的な意見には要注意です。
両サイドの意見を聞き、結果はノーサイド。ラグビーの精神です。
お互いに正々堂々討論し、結果は人間のすることです。問わない。
つい、昨日の掃除の事から考えてしまいました。
色んなことが解けたら、私、もっと掃除に専念できるけれどと、甘い考え。
妹や息子達から口撃されそうです。
ノー エクスキューズです。