今晩は、ブラタモリの目黒を見ました。
目黒と聞くだけで、はっとします。
何故なら、二年間、学生時代を過ごしたのが目黒だったのです。
まだ珍しい新幹線に乗っていきました。
山手線に乗り換えて、母とぐるぐる回って二回目に目黒に下車したことがこの間のようです。
も「昔のことです、ホームシックになると目黒不動をよく散歩しました。
目黒駅までの坂道、何度上がり降りしたことでしょう。
初めて家を出て暮らした東京の目黒は懐かしい。
まだ恐る恐るの東京冒険学生時代です。
1966-68年の春まで過ごしていました。
未知の東京生活を恐る恐る送っていたようです。
なんだか目黒には、縁があって、長男夫婦も目黒暮らし。
目黒を思い出すと、田舎臭い、好奇心にあふれていただろう自分に出会えそうです。
もう昔、昔のお話になりました。
今夜はなんだか懐かしさで満たされています。
追記
目黒で一番忘れてはいけないのは、送ってきてくれた母を目黒駅で別れ時の
あのすっきり、爽快感、やれやれとおもった解放感です。
親離れ、自立への一歩を歩み出した時は、目黒駅でした。
もううるさくて、うるさかった母親から離れられた爽快感!
今尚親から離れず、同居し、独身男性の未婚率を考えると、
親離れが出来ていないのだと思ってしまいます。
三人の息子達、長男は追い出し、二男は早くから自立、三男は長くいましたが、離れて行ってくれてまあ、っ子育ては、花丸とは言えないが、
丸になって良かったです。
目黒を思うと子離れ、親離れの大切さを思い出します。
すごく気持ちが軽くなったので、なんと薄情なのかと思いましたが、
いましっかり母と暮らせるのは、一度切っていたからだと思います。母親と娘の関係は、いろいろ問題含みなのですが、私は、目黒で自然にきれたからだと思っています。
目に見えない無言の圧力程、無気力にするものはないと思っています。
田舎のうるささからの解放感は経験したものでないと解らない思いでしょう。一度家を出ることは、成長上大切だと思っています。
特に男の子には。
今でも長男を出した時は印象的です。
彼は自分の好きな道を選んで元気で結婚し、目黒で暮らしているのが面白いです。
目黒での経験がなかったら、すっぱりと長男を追い出していなかったでししょう。
息子もうるさい母親から自然に離れられて良かったのだと思ったでしょう。
一度このことを聞くのも一興かもしれません。
目黒は私達親子にとって、アイデンティ発見の一歩だった。