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栃木県はが郡の

陶工のつぶやき

益子に来たころ

2007-08-18 11:24:56 | 陶芸
昔の話です。

私が益子に来て、最初にお世話になったS氏。

そこにはお弟子さんのFさんという人がいました。

ある日誘われてFさんのアパートに遊びに行きました。

そこは民宿の離れ。

トイレも台所も無い、もちろん風呂もないと言うところでした。

自転車をこいで、汗を流してたどり着くと、Fさんはまず反射式石油ストーブに火をつけました。

季節は初夏でした。

拾ってきた石油ストーブで煮炊きをしているとのこと!

外にやかんを持って行って、どこからか水を汲んできたFさん。

部屋にはベッドが一つ。

そして洗濯物と本とラジカセ。

フライパンと食器。

二人で汗をかきながら、石油ストーブの前に陣取り、やかんが沸くのを待ちました。

風呂はもらい湯をするとのこと。

修行中の身。いまはこれで我慢するのだ。と言うお言葉。

Fさんは、この部屋は窓がついているからまだ良いほうだと言う。

???

近所にまったく窓のない部屋で暮らしている人がいました。

あとで聞いてみると、
「どうせ夜しか帰ってこないから、窓は必要ない。」との答えが返ってきました。

恐ろしいやら、感心するやら、一つの事に邁進する人は我慢強いものだと思いました。

気がつけば、陶芸家を目指して修行中の人たちの、御用達の家が益子に点在しているのでした。

そこにはランクがあり、すごろくのように、グレードアップしながら、最後は独立にたどりつくのでした。

良い物件は、すでに「空いたら、入れて。」と予約済みで、その人が移ったら、そこにまた別の人が入るように予約済みになっていました。

つまり友達ネットワークで三代くらい先まで順繰りに約束されているのでした。

今風に言えばホームレスに近い状態からはじまり、グランドピアノのある家に住むまで登りつめた、ツワモノもいたと言うことでした。

その人は、入り口がムシロで床は陶芸用の「さや」であったという・・・。

昭和40年代の話だそうです。

みんな希望に燃えていました。