今回は、「色絵 蝶に木の葉文 小皿」の紹介です。
非常に薄作りです。それにもかかわらず、かなり実用に供されたようです。そのことは、直ぐ下の写真の上側の小皿の葉っぱの葉柄が磨り減って消えているところからもわかります。
そのためか、元は、もっと多く存在していたのでしょうけれど、私が手に入れた数は、中途半端な数の3枚だけでした。
表面
上側の小皿の葉っぱの葉柄が磨り減って消えています。
口縁には金彩で口紅が施されていたわけですが、それも殆ど磨り減っています。
裏面
代表の1枚の表面
代表の1枚の側面
ちょっと歪みがあります。
代表の1枚の底面
生 産 地 : 肥前・三川内(平戸)
製作年代: 江戸時代後期
サ イ ズ : 口径;12.2~12.5cm(3枚の最小と最大) 底径;5.5cm
なお、この「色絵 蝶に木の葉文 小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちましてこの「色絵 蝶に木の葉文 小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー213 伊万里柿右衛門様式色絵蝶に木の葉文小皿(平成28年6月1日登載)
写真だとわからないが、実物は、「蝉の羽根のように薄い」と表現されるほどの非常に薄い作りで、卵殻手といわれるものである。
手に触れただけでも壊れそうなので、実用に供するには相当の勇気がいりそうである。
ところが、よく見ると、口縁に金彩で口紅を施してあったようであるが、それがほとんど擦れ落ちてしまっているし、3枚ある皿の内の1枚の皿の葉っぱの文様の葉柄も擦れ落ちている(上の3枚まとめて撮った写真の上の皿参照)ところをみると、かなり実用に供されていたことがわかる。
このような、手に取るのもためらうような物をどのような方が実用に供したのであろうか。
平戸藩が三川内皿山の御用窯に命じて作らせた(いわゆる「古平戸」)、天皇家か公家への献上品或いは贈答品とした物なのであろうか、、、。
そうであれば、雅な方が実用に共していたであろうことが想像されるのである。
江戸時代後期 口径:12.2~12.5cm(3枚の最小と最大) 高台径:5.5cm
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*古伊万里バカ日誌146 古伊万里との対話(超薄作りの小皿)(平成28年6月1日登載)(平成28年5月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
古平戸 (伊万里柿右衛門様式色絵蝶に木の葉文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今日はどんな古伊万里と対話をしようかと押入れ内を物色していたが、ちょっといつもとは毛色の違う古伊万里を発見したようで、さっそく引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: お前は、普通の古伊万里とはちょっと違うな。非常に薄く作られているものね。有田の陶石では、こんなに薄い物は作れないものね。
古平戸: どこで作られたんですか?
主人: 作られた窯としては三川内だろうね。三川内の平戸藩の御用窯で作られものだろう。
三川内にあった平戸藩の御用窯では、長崎の網代陶石や熊本の天草陶石を使用して薄手物を作っていたようだからね。その磁土への造詣は、他産地の追随を許さなかったようだ。
古平戸: それなら、私のことを、「伊万里焼」としないで「三川内焼(平戸焼)」と表示すべきではないですか。
主人: 確かに、そのように表示する人も多いよ。
でもね、三川内焼は、肥前地区の焼物産地の中でもとりわけ小さな産地なので、そのために認知度も低いんだよ。どうしても肥前地区の磁器の総称として使用される有田焼(一般的には、伊万里港から搬出されたので「伊万里焼」といわれるが)の名称を使って市場に出回ることが多かったんだ。
また、有田焼、波佐見焼、三川内焼は、産地が隣り合わせになっているという地理的特性もあって、なかなかその区分には難しいものがあるんだよね。
そんなことから、私は、以前から、肥前地区一帯で作られた磁器の総称として使用される「伊万里焼(有田焼)」の名称を使っているんだ。それで、「古伊万里」と表示しているんだよ。
古平戸: わかりました。でも、「柿右衛門様式」と表示されることにも抵抗がありますね。
主人: 確かに。「柿右衛門様式」に区分するには、ちょっと無理があるかな~。「柿右衛門様式」と言えば、ハンプトン・コート様式に属するものがその典型だものね。それに対比すると、かなりの隔たりを感じるものね。
でも、私は、「伊万里」を「様式」で区分していて、いずれかの「様式」に当てはめているのだけれど、お前は、「古九谷様式」でもないし、「鍋島様式」でもなく、いわんや、お前に金彩が施されているからといって「金襴手」ともいえないものね。結局、一番近いのは「柿右衛門様式」かなと思って「柿右衛門様式」に区分したんだ。
古平戸: どこか、京焼を思わせますね。
主人: うん。器体全体はちょっと黄色味を帯びていて、そこに、蝶と木の葉が瀟洒に描かれ、「仁清」を彷彿とさせるね。
でも、生地から見れば肥前地区で焼かれたことは明らかだし、こんなに薄作りのものを作れたのは全国的にみても三川内だけだったから、お前の産地は肥前地区、つまり「古伊万里」ということは動かせないね。
古平戸: それはそうでしょうけども・・・・・。しかし、なぜか、釈然としないものがありますね。
主人: そうだね。既存の古伊万里の様式区分では律しきれないものがあるね。
ところで、三川内の平戸藩の御用窯は、主に、天皇家、将軍家、大名家といった権力者への献上品とか贈答品を作ることを目的としていたらしいね。そのため、有田焼や波佐見焼のように産業としての性格が薄く、採算を度外視した繊細優美な絵付けや精巧緻密な細工物に代表されるように、技術の洗練化を使命としていたらしい。そうした、技術的に洗練化された製品が明治になってヨーロッパに向けて数多く輸出され、世界の各地の美術館で「古平戸」と称されて所蔵、展示されているそうだね。そういった実態に着目すれば、「古伊万里」は世界の古伊万里とされ、肥前地区一帯で作られた磁器の総称とされてきたわけではあるが、「古平戸」というものが既に「古伊万里」から独立したものとして世界的にも認知されているものであるならば、「古平戸」を「古伊万里」から分離・独立いて考える必要があるかもしれないね。そうすれば、お前のような物を、無理に、「伊万里柿右衛門様式」というように区分する必要もなくなるものね。
古平戸: そうすればすっきりしますね。
主人: それはそうなんだけどね~。でも、そのようにすると、もう一つ問題が出てくるんだよね。
私は、何度も言っているように、肥前地区一帯で作られた磁器を総称して「古伊万里」としてきているので、「鍋島」も「伊万里鍋島様式」と区分してきたんだ。知ってのとおり、「鍋島」も、天皇家、将軍家、大名家といった権力者への献上品とか贈答品として作られたので、やはり、産業としての性格は薄く、採算を度外視しして作られているので、「古平戸」を「古伊万里」から分離・独立させるなら、「鍋島」も「古伊万里」から分離・独立させなければならなくなるな~と考えているんだ。
古平戸: なるほど、そうですか。でも、そうすることによって何か弊害が出てくるんですか。
主人: 特に弊害は出てこないけどね・・・・・。これからの課題だね。
古平戸: ところで、「古平戸」って何ですか?
主人: 三川内皿山が平戸藩の御用窯であった時代に作られた磁器のことを言うようだね。三川内の平戸藩御用窯の歴史は古く、約400年前に遡るようだよ。
古平戸: 私が京焼風なのは、天皇家とか公家への献上品とか贈答品として作られたからなのでしょうか?
主人: そうかもしれないね。そう考えると辻つまが合うものね。
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