今回は、「色絵 蝶に花文 小皿」の紹介です。
表面
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裏面
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銘:角福
生 産 地: 肥前・有田 九谷
製作年代: 江戸時代前期 明治の初め頃
サ イ ズ : 口径;13.7cm 底径;7.8cm
なお、この「色絵 蝶に花文 小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
そこで、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「色絵 蝶に花文 小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー207 古九谷様式色絵蝶に花文小皿 (平成27年8月1日登載)
薄手で、高台畳付部の処理も丁寧で、手抜きがない。
いかにも完成度の高い高級食器という印象を受ける。
これは、輸出用ではなく、国内の富裕層とか高級武士用の食器として生産されたのではないかと思っている。
当時なら、私などの小市民は、これを見ることすらかなわず、その存在さえ知らなかったであろう。
民主主義の現代においては、私などの小市民でもそれを所持することが出来るのである。現代という時代に感謝である。
江戸時代前期 口径:13.7cm 高台径:7.8cm
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*古伊万里バカ日誌136 古伊万里との対話(花蝶文の小皿)(平成27年8月1日登載)(平成27年7月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
花 蝶 (古九谷様式色絵蝶に花文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
日々猛暑が続いている。最近、年々、猛暑の酷さが増しているように思える。地球温暖化の影響か・・・・・?
主人は、加齢に伴い、その酷さをより一層骨身にしみて感じているようである。
今回も、しんどくなってきて、骨休みにしようかと思ったようであるが、なんとか対話をする気になり、押入れから適当な古伊万里を引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: 毎日暑くてまいった。連日、テレビでは、天気予報のたびに、「熱中症に注意を!」と呼びかけてはいるが、毎日、多くの方が熱中症で病院に搬送されているようだね。
我が家の近くでも、つい先日、熱中症で倒れ、ドクターヘリで病院に運ばれていった人がいたな。
もっとも、「熱中症に注意を!」と言われたって、現実には、どこまで注意をすればいいのかわからないものね。エアコンの効いた部屋の中にじっとしていれば、それは、熱中症には罹らないかもしれないけれど、今度は、別な病気に罹りかねないものね。
花蝶: その点、私達陶磁器はありがたいですね。熱中症になどなりませんからね。
主人: そうだよね。「猛暑!」ぐらいではなんの影響も受けないものな。幸せだな。
私なんか、最近では、夜はエアコンのお世話になっているよ。以前は、今よりは若干若い時は、夜もエアコンのお世話にならなかったんだがね。今では、我慢しないで、夜はエアコンのお世話になることにしたんだ。ど~も、私等の年代の者は、エアコンは体に悪いとか、電気代がもったいないという意識が強く働いて、夜も自然クーラーに頼ってしまいがちなんだよね。しかし、エアコンを我慢することは体にもっと悪いと思うようになってきたので、お世話になることにしたんだ。
花蝶: それはいいことですね。年寄りがヤセ我慢してやっていることは、「年寄りの・・・・・」と言いますし、気象条件も以前とはちがってきているでしょうからね。
主人: ところで、お前は、なかなか薄作りで、涼しげでもあるね。青い花が、この暑い時期に咲いている桔梗の花のように見えるからかな~・・・。
今、我が家の庭にも桔梗が咲いているが、桔梗は、このカンカン照りの猛暑の中でも、涼しい顔をして咲いているものね。
花蝶: 私は、何時頃、何処で作られたんですか?
主人: 江戸時代の前期に有田で作られたものと思っているよ。
以前は、30年くらい前までは、何時、何処で作られたのかは不明とされていたね。「古いことは古いように見えるけど、はて、何時頃、何処で焼かれたんだろうね・・・・・?」ってな具合に言われていたかな・・・・・。
花蝶: 不明だったんですか。
主人: そうなんだ。なにせ、日本で古い色絵磁器といえば、有田産の柿右衛門か九谷産の古九谷ということになっていたから、お前のように、柿右衛門にも古九谷にも属さないものは産地を特定しようがなかったから、「何時、何処で作られたかは不明」ということになったわけさ。
その後、窯跡の発掘調査などから、従来「古九谷」と言われていたものも実際は有田で作られていたことが明らかにされてきた。有田では、柿右衛門だけでなく、いろんな古い色絵物も作られていたことがわかってきたんだね。お前のように、薄作りで、厳しい造形のものも作られていたことがわかってきたんだ。
花蝶: 焼物の場合、初めは素朴で稚拙なものが作られ、だんだんと技術の向上に伴って、緻密で上質なものが作られていったと言われていますから、私の場合、そんなに早い段階には作られなかったのではないでしょうか・・・・・。
主人: まあ、一般的にはそうかもしれないね。でも、私は、有田の磁器生産の場合はそうではなかったと思っているんだ。有田の磁器生産は、当初から中国景徳鎮のピンチヒッターとして登場してきたわけだから、一気に、完成度の高い磁器の生産を目指していたんだと思う。だから、有田で磁器生産が始まってまもなく、お前のような完成度の高いものも作られるようになったと思っているんだ。
花蝶: そうですか。でも、そこには、なんか、自然の流れのようなものが感じられないので、寂しい感じがしますね。
主人: そうね。だが、磁器生産は、田園的牧歌的な雰囲気の中で行われていたのではなく、産業として、町全体の者が一丸となって、その町の命運を賭けて行っていたことに思いを致すべきだね。
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追 記 (令和3年10月19日)
これをインスタグラムで紹介しましたところ、或る方から、「これは、明治の初め頃の九谷焼の古九谷写しではないでしょうか」とのコメントが寄せられました。
そこで、この小皿の生産地を「九谷」と、製作年代を「明治の始め頃」と訂正いたします。