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11月11日、知人に誘われて長野市の松代大本営地下壕を見学しました。以前から一度訪れてみたいと思っていたのですが、なかなかそんな機会もなく今日に至っていました。今回ちょうど時間がとれたので思い切って参加することにしました。主催は生協の平和クラブの皆さんでした。バスの中は私ともうお一人の男性を除いてすべて女性でした。
30分ほどで松代の象山神社に到着。地下壕の入り口で用意されているヘルメットをかぶり、ガイドの女性の案内で構内を見学しました。地下壕に入るための費用は必要ありませんでした。
地下壕は天井も高く巾も広く私が思っていた以上に広大でした。総延長は約6キロ、そのうち500メートルが公開されています。壕の壁は当時のままで削岩機のあとも生々しく残っていました。
こうした地下壕はここ象山の大本営地下壕のほか、舞鶴山の天皇皇后御座所、皆神山の食料貯蔵庫など松代周辺に3つあるそうです。工事に着手したのは1944年、終戦の前年の11月11日でした。「1」並びの縁起を担いだものとのことでした。この日の見学会もこの日にちなんだものです。
ガイドの方のお話では沖縄の地上戦をあそこまで長引かせたのは、地下壕の工事がまだ終わっていなかったからだそうです。そうした意味で沖縄戦と松代大本営はつながっているとのことでした。
「国のため 重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」という短歌を残して硫黄島で亡くなった映画「硫黄島からの手紙」で知られる松代出身の軍人、栗林忠道中将が戦ったのはまさにご自分のふるさとに建設中の松代地下壕のためだったんですね。
地下壕見学の後、地下壕で亡くなられた方々の慰霊祭にも参加させていただきました。