「戦後70年」「節目の年」。今年に入ってからそんな言葉があちらこちらから聞こえる。その多くはテレビを始めとしたマスコミからではあるが。
人生には節目を意識する時があるのは理解できるので、今年が節目という言い方に対しては特に引っ掛かることもない。
ただね、節目の年だからと言って「シベリア抑留兵の名簿を公開する」とか、かつての戦地やアメリカに残っている「日の丸の旗や兵士たちの写真を遺族に返還する」とか、こんな時にだけしなくたっていいはず。遺族はどんどん歳を取っているわけだし、亡くなっている人も多くいる。遺族が元気な間に、犠牲になった民間人や兵士たちの消息をどんどん公表・公開してあげてほしい。

昭和22年頃の祖父母と母と幼い叔母。戦争が終わって新しい生活をし始めた時の写真かな。
今、愛妻がテレビで中継されている某スポーツ選手の試合に一喜一憂している。
我が家の隣には新しい家が出来て、新しい家族が住み始めた。生まれたての赤ん坊もいる。
近所の公園では、週末に行われる盆踊りの櫓が町内会の方たちによって組み立てられている最中。
近所の市営プールからは、子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる。
何気ない日常、さりげない毎日。平和が続くことをただただ願うばかりだ。
人生には節目を意識する時があるのは理解できるので、今年が節目という言い方に対しては特に引っ掛かることもない。
ただね、節目の年だからと言って「シベリア抑留兵の名簿を公開する」とか、かつての戦地やアメリカに残っている「日の丸の旗や兵士たちの写真を遺族に返還する」とか、こんな時にだけしなくたっていいはず。遺族はどんどん歳を取っているわけだし、亡くなっている人も多くいる。遺族が元気な間に、犠牲になった民間人や兵士たちの消息をどんどん公表・公開してあげてほしい。

昭和22年頃の祖父母と母と幼い叔母。戦争が終わって新しい生活をし始めた時の写真かな。
今、愛妻がテレビで中継されている某スポーツ選手の試合に一喜一憂している。
我が家の隣には新しい家が出来て、新しい家族が住み始めた。生まれたての赤ん坊もいる。
近所の公園では、週末に行われる盆踊りの櫓が町内会の方たちによって組み立てられている最中。
近所の市営プールからは、子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる。
何気ない日常、さりげない毎日。平和が続くことをただただ願うばかりだ。