今日は縁あって首を突っ込まして頂くことになりやした、とある研究会参加のために九段方面へ。
その研究会が夕刻スタートってぇことで、顔合わせも兼ねてまずは食事でも、という主宰者さんのご提案により訪れましたのが、今日ご紹介のこちら「九段一茶庵本店」さん。
Kanother的には全く知らなかったんですが、蕎麦屋の暖簾には、何やら「一茶庵系」的な系譜があるらしく、こちら九段一茶庵さんはその名の通り、その系譜に連なるお店のようです。
てかそもそも一茶庵系って何なのさ?て事なんですが、元々の「一茶庵」てのは明治37年埼玉県に生まれの片倉康雄ってぇおヒトが、21歳の時にわずか一週間の見習い修行だけで新宿に開店した蕎麦屋なんだそうです。
そんな始め方だったもんで、開店当時は客がロクに入りゃしない感じだったりしたそうなんですが、こっからが片倉氏のエラいとこで「だって修行短かったもんね。しゃあないじゃんね。でも、だったらやりながら修行すりゃいいんじゃん?」的な感じで、自分の蕎麦を批判するお客さんの言葉から蕎麦技術改善のヒントを会得していったんだそうですよ。ヤル男だねぇ、全く。
その後、片倉氏考案の「そばとろ(とろろ汁で喰う蕎麦)」が大評判を呼んだのを切っ掛けに、著名な文士や北大路魯山人などとの交流が拡がったことから、蕎麦を素材や道具、器などまでを包括する芸術の域にまで高めた功労者なんだそうです。ほほ~。
Kanother的にはワケ知り顔でウダウダと蘊蓄を語る蕎麦オヤジとかはイマイチ敬遠気味だったりするんで、嗚呼、お前さんがあの手合いを産み出しちまった元凶なのかいと嫌味の一つも言いたくなるところですが、しかしこの蕎麦を喰わされては、そんな嫌味は飲み込まざるを得ませんでした。いやはや、旨いもんは旨い。何だかんだって、旨けりゃ全て帳消しですよ。旨い。文句なしに旨かったす。
今日はKanother的に「そばとろ」を頂いたんですが、冒頭のような事情もあって、不本意ながらノンアル。今度は天ぷらやら鴨やらでジックリ呑んだ後に、改めて「そばとろ」で締める的な感じで来たいのう、と思ったりしたんでした。てなワケで、そんな感じで是非また来よう。うむ。
その研究会が夕刻スタートってぇことで、顔合わせも兼ねてまずは食事でも、という主宰者さんのご提案により訪れましたのが、今日ご紹介のこちら「九段一茶庵本店」さん。
Kanother的には全く知らなかったんですが、蕎麦屋の暖簾には、何やら「一茶庵系」的な系譜があるらしく、こちら九段一茶庵さんはその名の通り、その系譜に連なるお店のようです。
てかそもそも一茶庵系って何なのさ?て事なんですが、元々の「一茶庵」てのは明治37年埼玉県に生まれの片倉康雄ってぇおヒトが、21歳の時にわずか一週間の見習い修行だけで新宿に開店した蕎麦屋なんだそうです。
そんな始め方だったもんで、開店当時は客がロクに入りゃしない感じだったりしたそうなんですが、こっからが片倉氏のエラいとこで「だって修行短かったもんね。しゃあないじゃんね。でも、だったらやりながら修行すりゃいいんじゃん?」的な感じで、自分の蕎麦を批判するお客さんの言葉から蕎麦技術改善のヒントを会得していったんだそうですよ。ヤル男だねぇ、全く。
その後、片倉氏考案の「そばとろ(とろろ汁で喰う蕎麦)」が大評判を呼んだのを切っ掛けに、著名な文士や北大路魯山人などとの交流が拡がったことから、蕎麦を素材や道具、器などまでを包括する芸術の域にまで高めた功労者なんだそうです。ほほ~。
Kanother的にはワケ知り顔でウダウダと蘊蓄を語る蕎麦オヤジとかはイマイチ敬遠気味だったりするんで、嗚呼、お前さんがあの手合いを産み出しちまった元凶なのかいと嫌味の一つも言いたくなるところですが、しかしこの蕎麦を喰わされては、そんな嫌味は飲み込まざるを得ませんでした。いやはや、旨いもんは旨い。何だかんだって、旨けりゃ全て帳消しですよ。旨い。文句なしに旨かったす。
今日はKanother的に「そばとろ」を頂いたんですが、冒頭のような事情もあって、不本意ながらノンアル。今度は天ぷらやら鴨やらでジックリ呑んだ後に、改めて「そばとろ」で締める的な感じで来たいのう、と思ったりしたんでした。てなワケで、そんな感じで是非また来よう。うむ。