25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

老年的超越

2018年02月07日 | 文学 思想
 老年的超越とはスウェーデンの社会学者が唱えた言葉である。物質主義的、合理的な世界観から宇宙的、超越的世界観への変化。死の恐怖が薄らいだり、他者を重んじる気持ちが高まったりする状態でもあるという。一人でいてもさほど孤独を感じず、できることが減っても悔やまないようになり、周囲への感謝の気持ちが高まりやすいという。「成功」や「達成感」を重視する若い頃と穏やかな幸福感を感じる・・・・。
 以上は本日2月7日付けの朝日新聞の朝刊で読んだ記事の要旨である。

 ハタ、ともうすぐ93歳になる母親はこれではないか、と思い当たることが多々ある。交通事故、転倒事故での入院をし、命を長らえて、今は一人住まいをしている。性格は穏やかになり、感謝の気持ちも述べる。寂しがったりしない。一日中椅子に座って、テレビを見たり、ふと気がついたものを探してみたり、 週3回のデイ・サービスにもきちんと行く。お金の欲もなければ、為すべきことはなにかなどと考えない。古きこと、古き癖は憶えていて、新しい物の操作はできない。文字も読めるはずだができない。マグカップの方が便利だろうと買ってきても相変わらず昔なじみに湯飲み茶わんを使い、マグカップが定着するまで相当の日数がかかる。
 思えばうまく上手に歳を重ねてきたのではないかと思う。気の強い女であった。しかし薬好きなところはやけに神経質であった。
 睡眠導入剤がないと眠れず、ないと騒いでいたのが、5年前。それもなくなった。薬の管理はできず、毎日の分を指示して渡すという格好だ。
 マグロが美味しかったと言ったので、三日後にまたマグロを買ってくると、「珍しんな」と前に食べたことを忘れているので、ぼくも都合がよい。
 その日、その日がぼんやりと緩やかに過ぎていくようで、これは「老年的超越」以外のなにものでもないと思うのである。
 ぼくは『死は自分では経験できない』と言葉で考えてきた。母親はまさに宇宙に漂うように死に向かっているのだろうが、人生でいつが幸せだったか」と聞いてみたい気がする。「今」とか言うのかもしれないなあ、と思うとゾクッとする。聞こうか、聞こまいか、考えてしまう。