25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

カミロ、家入、あいみょん

2018年02月13日 | 音楽 ポップス
 どうやら一番寒い時期は過ぎたようでこれから三寒四温の調子で季節は移っていくのだろう。金魚もメダカも無事にじっとして冬眠している。この二月、岸壁などでは魚が釣れないはずだ。金魚をみていてわかる。代謝しないため、餌を食べない。ごく当たり前のことだが、それは多くの海の魚も同様だろう。
 
 カミロの歌を車用にとCDにして、ついでにスマホのSDに同期させた。スマホのSDに入っている音楽を編集することもした。もう不要かなと思ったものは削除した。
 セサリア・エボラという西アフリカの島出身の歌手のアルバムを運よく、リスボンのミュージックショップで手に入れた時の感動をよくおぼえている。デビューしたての頃だった。彼女はあっというまに世界の歌手となった。クリントン大統領に招かれたというニュースを見た時は驚き、バリ島のバーで彼女の歌がかかっていたのにも喜んだ。モルナというジャンルの歌を彼女は歌った。日本ではこのリズムを聞いたことがない。
 
 まだ二十歳のカミロも独特のリズムを作っている。打楽器と男性コーラスがバックの音楽として曲を揺れるように支えている。気持ちがよい。J-Popはあまりにもお粗末だと思ってきた。そのとたん、二日続けて「あれ、これは」と想った歌手がいた。日本のシンガーソングライター家入レオ。
 次の日、あいみょんという歌手。ああ、歌はAKBだのなんだのではなく、ちゃんと出てくる者がいるのだと思ったのだった。CDを買おうかとも思ったのだった。あいにく一曲しか聞いていないので、なんとも言えないのだが、歌心のある曲を作っていた。メロディーも平坦ではなく、美しかった。歌手としての質も高かった。
 
 オリンピックで活躍する若者の曲芸的な技と天候の運、不運にいろいろ思いながらも、スポーツ競技としてジャンプやスノーボードはオリンピック競技として成り立つのだろうかと思う。2040年問題もしなやかに乗り切るのはこの十代の世代である。やっと日本からも新しい歌手がでてきた、という勘が十分働いている自分にもまだ感覚が鈍化していないと思ったのだった。