25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

株価下落が続いている

2018年02月09日 | 社会・経済・政治
 株価が下落している。機関投資家は一喜一憂するのが仕事だから、リスク回避、資金移動などと手際よく頭を働かせているのだろう。個人投資家は泰然としているものと慌てるものに分かれるのだろう。株価は株を持っている一部の人の道楽である。本当の投資家というのは上場もしていない会社を応援し、発展してもらおうというのが健全な株主だと僕は考えている。会社が株式市場に上場してから何を応援するというのか。上がったら売る。いわば不労所得である。

 経済の話は打ち切った、というところで、株価下落というニュースが入ってきた。なので、また書きたい。

 株で潤う人はほんの少数である。株価が上昇すると経済は良い、などと言い、トリクルダウンもあると言う人もいるが実体経済経済成長ほぼゼロという中で株価上昇というのはなんとも奇妙である。日銀と年金機構が日本株を買い、高値を維持してきた。いつ日銀と年金機構は株を現金に換えるのだろう。このタイミングが難しい。膨大に増える国債をいつから売りに回るのだろう。投資家はじっと見ている。朝日新聞の今日のコラムでもそろそろ出口戦略を探る時期にきているのではないかとコラムニストは書いていた。

 ぼくに言わせれば、それは難題である。ほとんど金融政策は手をうってきて、もう打つ手がなくなっている。日銀の総裁の言葉で「憶測」を呼ぶ。
 アメリカの長期国債の金利が上がるのではないかという「憶測」がアメリカ市場の株価を下げた。すると日本、世界各国の株価が下がった。次の日は様子見だったが、また今日になって下がっている。「憶測」だけでこんなに反応するものかと驚くが、アメリカの実体経済は堅調だから、むしろ過熱気味だった株式市場は冷静なほうに向かっているのかもしれない。それに比べ、日本は実体経済がよろしくない。企業の利益は生産性を上げての利益ではない。為替差益や海外への投資による利益である。しかも日銀と年金で維持されて、上昇してきた。日銀が撤退すれば、投資家もリスク回避をするのが手にとるようにわかる。

 任期を終えようとしている日銀の岩田規久男副総裁は「2年で物価上昇率2%達成できなかったら辞任する」と言っていたが、彼はまだ辞任していない。折り込み済みだった消費税のせいにしている。黒田総裁も辞任するのか続投するのか、頭の痛いところだろう。神経をすり減らす舵取りが連日となる。一度ガラガラポンに内心はしたいことだろう。ガラガラポンとは国民の貯金で借金を返してしまうことをいう。当然国民の貯金はなくなる。その代わり国民の借金もチャラになる。それが終わればまた戦後のようなV字回復となる。日本はギリギリのところにいる。高橋洋一は暢気なことを言っているが、高橋の理屈を信じれば、早々に換金可能な資産を今から売るしかない。資産があるからと言って、それを売るのは国民の痛み後のことに思える。これについて高橋は言わない。芸能人から転じた司会者がなにもわからず高橋のいうことにうなづく。

 消費資本主義の限界が見え始めている。格差を生むばかりの市場原理主義は終わろうとしているのではないか。