25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

記憶が戻ってきた

2018年09月03日 | 日記
 記憶が徐々に甦ってきた。会った人が中国人夫妻で、前々日に話したことを夫であるCさんが確かめたくて、日本語がよできる奥さんに聞いてもらうために尾鷲に来たのだった。昭和55年に日本に来たというからまだ日本語に分かりにくいところがあるのだろう。だからぼくは名古屋でCさんと会った時と同じ話をしたのだった。そのこともあってか、尾鷲で話したことをひとつひとつ確実に覚えていないのだろう、という結論に至っている。それと寝ぼけていたこともあるだろうし、アルコールが入っていたこともあろう。

 昨日はネアンデルタール人の詳細について読んだ。絶滅した人類であるがぼくらの血液に5%ほどのネアンデルタール人の血が入っていると言われている。二十万年存続した人類である。ホモ・サピエンスは20万年存続できるだろうか。10人から20人の小さな集団は世界にバラバラにいて集団どうしのコミュニケーションはなかったようだ。最後のネアンデルタール人は何を思っていたのだろう。その間に氷河期が何回かあり、火山の爆発もあった。二十万年で技術が進歩したこともなかったらしい。わからないことだらけだが、もっと研究は進んでいくのだろう。旧約聖書から始まった読書の旅はいよいよクロマニョン人の登場となってきた。

 読みたい小説もるのだが、もっと先になりそうだ。アマゾン支流奥地に文明と接することなく暮らす人々の取材をした「ヤノマミ」の著者が「ノモレ」という本を出したので、それも早く読みたい。しかし体は一つしかなく、アルコールも飲んでしまう。なかなか進まない。
 明日には強烈そうな台風がくる。また金魚とメダカが心配で、早々と手当をしておいた。台風がくるたびに漁礁を流された台風19号を思い出す。しかしそれは何年だったか覚えていない。
 伊勢湾台風を幼心によく覚えている。保育園のナツメの木が倒れたのにはびっくりした。命が危ないなどとは思ってもいなかったから、桜町の通りに水が溢れ、興奮して泳ぎ、遊んでいた。思えば汚いものだ。親ものんびりしたものだった。