明治維新以後、大久保利通らの志は富国強兵、殖産工業による近代化、いわゆる西洋の模倣化であった。大久保はテロで殺されたがこの路線は明治の終わりまで変わることがなかった。
日露戦争に勝ったことが明治の時代の転換点だったのではないか。この戦争でどれだけのものが虫ケラのごときに死に、屍を重ねた上での終戦であったことか。尊い命が失われたことへの反省などないごとくに、軍人は威張り散らし、しの実、軍人の中身は無責任極まりなく、日本人を滅ぼしてしまうこともあったかもすれないほどに腐っていた。
天皇陛下を利用するだけ利用するのが軍であった。
責任をとらないという日本の上層部の悪癖は今もなお続いていて、それは原発事故などのときに出てくる。公務員や教師の失敗事件でもその本人がとらず、上司とか、教育長が出てくる。
昭和の戦前史ほどなんど読んでも馬鹿の集まりが無垢な国民(普通になにも大声をあげて政治主張をしているわけでもない人々)を巻き込んだと思うしかない。
日本人は自爆攻撃の経験者でもあるし、兵站もない死の行軍をした経験もあるし、他国民を虐殺した経験もある。そして最後には原爆を経験した国である。日露戦争が終わってから22年で昭和。日中戦争まで12年。わずかそれから8年は戦争であった。わずか46年で植民地化したのである。
日本は大国だと思い込んでいる政治家が多いように思う。借金しまくって大国化する必要もないのに、大国意識を持ちたがる。
どの世界ににでも世代交代がある。世界をリードしたのはスペイン、ポルトガルからオランダへ。オランダからイギリスへ。そしてアメリカへ。イギリスは斜陽の国になってからそれなりの国となり、さらにスコットランドや北アイルランドが独立すればさらに小さな国となる。それでもいいではないか。
日本も人口が減り続ける。それで不幸せになるとは思えない。人口密度が低くなれば、個人の土地所有にも余裕がでるというものだ。畑もできるというものだ。
今の借金政策をいつまでも続けていくわけにはいかず、日本はどこかの時点で価値観を変える必要が起こることだろう。この巨大な借金。誰が責任を取ってくれるのだろう。もちろん民主主義国家だから「国民」ということになる。そして不思議なのは過半数以上が反対していても自民党が政権党になり続けていることである。
日露戦争に勝ったことが明治の時代の転換点だったのではないか。この戦争でどれだけのものが虫ケラのごときに死に、屍を重ねた上での終戦であったことか。尊い命が失われたことへの反省などないごとくに、軍人は威張り散らし、しの実、軍人の中身は無責任極まりなく、日本人を滅ぼしてしまうこともあったかもすれないほどに腐っていた。
天皇陛下を利用するだけ利用するのが軍であった。
責任をとらないという日本の上層部の悪癖は今もなお続いていて、それは原発事故などのときに出てくる。公務員や教師の失敗事件でもその本人がとらず、上司とか、教育長が出てくる。
昭和の戦前史ほどなんど読んでも馬鹿の集まりが無垢な国民(普通になにも大声をあげて政治主張をしているわけでもない人々)を巻き込んだと思うしかない。
日本人は自爆攻撃の経験者でもあるし、兵站もない死の行軍をした経験もあるし、他国民を虐殺した経験もある。そして最後には原爆を経験した国である。日露戦争が終わってから22年で昭和。日中戦争まで12年。わずかそれから8年は戦争であった。わずか46年で植民地化したのである。
日本は大国だと思い込んでいる政治家が多いように思う。借金しまくって大国化する必要もないのに、大国意識を持ちたがる。
どの世界ににでも世代交代がある。世界をリードしたのはスペイン、ポルトガルからオランダへ。オランダからイギリスへ。そしてアメリカへ。イギリスは斜陽の国になってからそれなりの国となり、さらにスコットランドや北アイルランドが独立すればさらに小さな国となる。それでもいいではないか。
日本も人口が減り続ける。それで不幸せになるとは思えない。人口密度が低くなれば、個人の土地所有にも余裕がでるというものだ。畑もできるというものだ。
今の借金政策をいつまでも続けていくわけにはいかず、日本はどこかの時点で価値観を変える必要が起こることだろう。この巨大な借金。誰が責任を取ってくれるのだろう。もちろん民主主義国家だから「国民」ということになる。そして不思議なのは過半数以上が反対していても自民党が政権党になり続けていることである。