咳止め液が効いているのか、咳が止まり、咳で要する体の消耗も減ったのか、ずいぶんと楽になった。食欲も戻りつつある。明日くらいで咳止め液も止めてみようかと思うようになっている。思いもよらぬ風邪だった。ぼくのからだは26度を越えると汗をかく。時々、夜の12時ごろに体の内側から燃えるように熱くなってくるときがある。自律神経のものなのか、代謝のものなのかはわからない。
宿題の「こころ」を読み終えて、また「ピダハン」に戻った。近代人のこころと狩猟採集で暮らすピダハンのこころはずいぶんとちがう。たとえば、思春期の悩みであるとか、人間とは何かなどと悩むことはない。人類は自己との問答をする特殊な生き物である。そしてそれが自我を形成し、他と区別し、個人の自由をかくとくしてきたにがいわば文明側の歴史である。ピダハンには飢餓になる環境条件はなく、魚をとり、ナッツを採り、食糧を採集して生きていける環境のなかにいる。集団意識は高いが強い縛りはない。暴力を否定している。アメリカ人の宣教師は我が子を折檻しようとするのをみると、それはだめだと止める。
ホモ・サピエンスがアフリカを出た20万年前、先にアフリカを出ていたネアンデールタール人
と交接もして、世界の隅々にまで旅をしていったなかにピダハンの先祖もいただろう。ピダハンは暮らすにふさわしい場所を探し当てた。それは餓死することのない世界だった。ゆえに奪い合いをせずともよかったのである。ジャングルだから農耕をする他民族も入って来なかった。神を信じる宣教師に、「神? 見せてごらんよ」と言って笑うのである。
一方で漱石の「こころ」では下宿屋の娘を好きになり、友人にはそのことを隠していたらその友人が同じ娘を好きになってしまった。このこころの葛藤がテーマである。ピダハンにこの話は馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうことだろう。ピダハンの男も女も別の男や女とだれとでも寝る。結婚もするが儀式もない。相性があえばそのまま一緒に暮らす。
飢餓から免れない場所に住んでしまった人々と飢餓がない場所を偶然にか探し当てた人々とではこれほど違うようになってしまうとは。
宿題の「こころ」を読み終えて、また「ピダハン」に戻った。近代人のこころと狩猟採集で暮らすピダハンのこころはずいぶんとちがう。たとえば、思春期の悩みであるとか、人間とは何かなどと悩むことはない。人類は自己との問答をする特殊な生き物である。そしてそれが自我を形成し、他と区別し、個人の自由をかくとくしてきたにがいわば文明側の歴史である。ピダハンには飢餓になる環境条件はなく、魚をとり、ナッツを採り、食糧を採集して生きていける環境のなかにいる。集団意識は高いが強い縛りはない。暴力を否定している。アメリカ人の宣教師は我が子を折檻しようとするのをみると、それはだめだと止める。
ホモ・サピエンスがアフリカを出た20万年前、先にアフリカを出ていたネアンデールタール人
と交接もして、世界の隅々にまで旅をしていったなかにピダハンの先祖もいただろう。ピダハンは暮らすにふさわしい場所を探し当てた。それは餓死することのない世界だった。ゆえに奪い合いをせずともよかったのである。ジャングルだから農耕をする他民族も入って来なかった。神を信じる宣教師に、「神? 見せてごらんよ」と言って笑うのである。
一方で漱石の「こころ」では下宿屋の娘を好きになり、友人にはそのことを隠していたらその友人が同じ娘を好きになってしまった。このこころの葛藤がテーマである。ピダハンにこの話は馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうことだろう。ピダハンの男も女も別の男や女とだれとでも寝る。結婚もするが儀式もない。相性があえばそのまま一緒に暮らす。
飢餓から免れない場所に住んでしまった人々と飢餓がない場所を偶然にか探し当てた人々とではこれほど違うようになってしまうとは。