25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

仲間の力

2018年09月18日 | 文学 思想
 図書館で「よもやま話」が毎月火曜日にある。ぼくは「広報おわせ」で知った。知り合いが主宰していることを知った。
 この4月からぼくも入会した。読んだ本について語るのだから興味があった。ぼくだけでは決して選ばない本も知ることになるだろうと思うから楽しみにしている。
 残念なことがひとつ。この会は高齢化していて、徐々に限界にきているように見える。
 若い人も入っていただく宣伝が必要なのではないか。また小説を題材にしているようだが、「よもやま話」なのだから「新聞記事」でも「映画」でも「シンガーソングライター」でも「武道の本」でいいじゃないかと思う。
 新参者が言うのもなんだから徐々に言っていこうと思っている。
 人は人の間を生きていくものだという意見には賛成する。この会も、同じものを読んで語り合う喜びを求めていると思う。人と触れあうだけでよいとも言えることだろう。
 テレビで91歳のおばあさんが写真塾に入って辞めないのも、人はなんらかの形で他人によって支えられていることを実感するからなのだろう。このおばあさんのインスタグラムは20万人のフォロワーがいて、ちょっと悪ふざけした写真を作る。わたしはゴミみたいなもんだから、とごみ袋に入った自分を撮る。物干し竿に干された自分を撮る。
 夫が先だって、息子が車で30分のところに帰ってきた。母親と適度な距離をとり、できるだけ自立生活を促す。会って話すことはないのだが、ときに息子は顔を見せる。おばあさんは息子に迷惑をかけているなあ、申し訳ないとも思うし、反面安心感も感じる。写真塾の仲間にもメールをし、交流している。
 さて、今日は漱石の「こころ」である。何でも3回目だそうだ。