25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いろいろと考える

2018年09月28日 | 文学 思想
 岡田さんのブログ「貴乃花について」を読んでその意見に全面的に賛成である。
 柴田山広報部長は総務部みたいな瑣末なことばかりを言って、ぼくは呆れている。「ハーッ」とため息が出る。ここは八角理事長が出て来る場面である。
 相撲取りになろうという若者が減っている。連日満員御礼の場所が続いているからと大相撲は安穏としておれない。卓球では十代のものが活躍するし、ラグビーもいよいよ世界選手権が行われる。テニスしかり、バドミントンしかり、十代の者が何を選択するかその選択肢は増え続けている。相撲はかろうじてモンゴルの力士たちに救われ、長らえてきたというのが事実である。相撲界に入ろうと思わせる縁を作るのは協会の仕事でもある。伝聞によるとこの協会の仕事を貴乃花が背負うことも考えているようだ。

 日米貿易問題も案の定、畜産が犠牲となった。関税率をTTP並みに下げることを約束してしまい、自動車についてはTAGをスタートさせることで、日本はさらに窮地に陥ったと思えるが、安倍首相は延期できたことを誇らしげに語っていた。ついでにまた武器も買わされるようだ。凛としない。
 沖縄では台風が選挙に影響しそうだと伝えている。沖縄の基地をめぐる環境も変化してきている。まず北朝鮮が核の廃棄を言い始めた。終戦となれば脅威は一段と少なくなる。アメリカは核施設やミサイルのリスト提出と廃棄のプロセスを要求している。
 日本と中国は首脳の相互訪問が行われる。アメリカは沖縄の基地が本当に必要なのだろうか。情報が公に入ってこないのでわからない。戦争の形態も変りつつある。人海戦術で行うのではない。サイバー、無人機、宇宙空間となり、人命を落さない戦争を模索しているように見える。核を使うならば人類の自滅である。核のボタンなど一個人が押せるものではない。

 ぼくはピダハン(アマゾンの奥地で暮らす先住民)的な価値観も自分の中に取り入れたいと思っている。ぼくらの近代的な価値観をある部分否定したいところがある。近代的な価値観の底にはキリスト教的価値観がある。キリスト教もユダヤ教も、仏教も、イスラム教も平和を願って宗教となった。その宗教は戦いの明け暮れで人々が救済されないから作られたものだ。これらの宗教が人類の人るの歴史で全面に出て来て暗黒の時代を作ったのはわずかまだ二千年ほどくらいのものだ。まだ人類はこの宗教の集団のあり方をも克服デキテイナイ。ピダハンは宗教とは無関係にこの問題をそもそも持っていない。

 近代化が叫ばれた明治維新についても疑問をもつようになっている。西洋化という模倣。模倣の仕分けをしなければならなかった。
 貴乃花から日米問題、人類のあり方までグズグズと煮込むように考えているこの頃である。たぶん止むことはない。人間の脳は齢をとっても深化するものだと考えている。