25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

は へ を

2018年09月20日 | 日記
 百日紅の花が終わると、九月に咲くメインの花がないことに気がついた。ハイビスカスが長い間、今になっても咲いているので、気にもしなかったのだろう。九月に咲かせる樹木の花って何があるのだろう。
 長雨。九月は雨ばかりだ。体にカビが生えそうである。
 孫娘が根気よく獲った小魚はずいぶんと大きくなった。もう少し大きくなったら池に放そうと思っている。
 孫娘は 「は」「へ」「を」に手こずっているらしい。一学期は「引く」ということに手こずっていた。今度は国語かい、と笑ってしまう。
 「ぼくは」というときにどうして「は」を使うのかを理解するのも、させるのも難しいことだろう。しかしなんとなくぼくらはそれになじんでやり過ごしていく。
 思えば分数の割り算や掛け算も小学で習うのではなかったか。算数は人類が得た抽象的な計算である。
 さんぶんのいち わる よんぶんのさん にどういう意味があるのか。分数のわり算ができるようになるのも次へのステップとして通りすぎなければならないことなのだろう。
 孫娘は人類が学んできたことをこれから16年は学ばなければならないのだ。やれやれ、ご苦労なこったよ、と思う。自分はどうしていたのだろう。姉がやっていることを近くで見ていたに違いない。第二子は得であった。